魂のスケーター

今日の朝日新聞の朝刊の一面に、演技を終えた浅田真央さんの会心の笑顔と、「真央 3回転跳びきった」

の文字が踊っています。

メダルはなくとも、このようにトップ記事でとりあげられたことを、とても嬉しく感じました。

 

浅田真央さんのフリーの演技には息をのみました。本当にすごかった。

ほとばしる力が細胞の一つ一つにまでみなぎり、すべてを受け入れ、空気を切り裂き、この一瞬を舞う姿。

人間わざとは思えません。

そして何より美しかった。

このような演技の前に、メダルだとか点数だとかあらゆるジャッジは色あせ、意味を持たないと思います。

ジャッジに支配されるものではなく、あらゆるジャッジを超越した魂の舞でした。

 

演技を終えてリンクの中央に立つ真央さん、それを見つめる佐藤コーチをカメラがとらえていましたね。

あの静かな強い眼差しにも胸をうたれました。

言葉よりも雄弁に、万感の思いが伝わってきました。

 

華奢な体に人々の思い、自身の思いや軌跡、この世の次元を超えた何か、本当にいく千万のものを背負い、

あの舞台で昇華させた浅田真央さん、凄いスケーターです。

 

 

 

2014年2月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

涙の効用

ソチオリンピックから目が離せません。

連日寝不足の方も多いのではないでしょうか?

テレビ観戦とはいえ、やはりリアルタイムで「ワッ・・」とか「キャッ!」とか言いながら観る高揚感。

次々と繰り広げられるストーリーは、筋書きのない崇高なドラマですね。

 

その中に映し出される選手たちの表情、体からあふれ出る感情の表現、とりわけ試合後の目に光る幾多の涙。

歓喜の涙、悔し涙、せつなさの涙、感謝の涙、後悔の涙・・・

その世界は繊細で、複雑で、容易に推し量ることなどできません。

しかし、選手たちの素直な感情のほとばしりや、湧き上がる感情に耐えている様子などをみると、

こちらも胸がいっぱいになります。共感してしまうのですね。

 

「情感豊かに涙を流す」人間だけにみられるこの行為には、計り知れない効用があるようです。

悲しくて、悔しくて、どうしようもなくみじめで・・・

そんな苦しい時は、素直に滂沱と涙を流す。感情に身をゆだね我慢などしない。

そうすると、悲しいという事実は変わらないものの、涙の後に、ある種のすがすがしさ、すっきり感を

感じたことはないでしょうか。

またはより悲しくなったということもあるでしょう。それも大切なプロセスです。

素直に涙を流している時は、自分の心に深く触れています。

いわば心の解放が起こっています。

それにより、カタルシス効果(浄化作用、抑圧された精神的苦悩を積極的に表出させて解消すること)

が進んでいます。

めそめそしているようで、実は心の中では、大きな良い変化が起こっているのです。

 

子供の頃、「泣いたカラスがもう笑った」とからかわれた経験はありませんか?(うちだけ・・??)

これなどカタルシス効果の最たるものではないでしょうか。

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しかし、多くの人は涙を流すことに抵抗があるようです。

男が泣いてはいけない・・・。泣くなんて自分のキャラじゃない・・・などなど。

そもそも自分のキャラなんてありません。すべては、自分の経験や周りからの価値観などで創り上げられたもの。

人は本来、何の捕らわれもない無垢な存在なのです。

 

あなたのその涙、我慢しないで。

 

 

 

 

2014年2月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

家族の信念

前回のブログで、「個人の信念」について触れました。

幼い頃から周りの大人からの影響や、自分の経験の積み重ねにより身につけていく「信念」、

今日は「家族の信念」を取り上げてみたいと思います。

 

家族には、その家族メンバー特有の「家族の信念」というものがあるようです。

アメリカの著名な家族療法家、ペギー・パップ女史によれば「家族の信念とは、両親がそれぞれの出身家族から

引き継ぎ、核家族に伝達している態度、常識、期待、偏見、確信などの混合物である」と定義されます。

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文字Tシャツを思い浮かべてください。Tシャツに大きくメッセージが描かれたあのシャツ。

例えば「常識人」とか「私は雨女です」とか「困った息子です」とか・・・

それぞれの家族はお揃いの文字Tシャツを家族のユニフォームとして着ているとイメージしてみてください。

そのお揃いのTシャツの文字はさまざまです。

「常にトップを目指せ」「人には親切に」「頼りになるのはお金である」「楽をしてはいけない」などなど。

もし「安定した人生こそ最高だ」というスローガンを持った家族であると、子供が会社に就職せず、画家を目指すと

言った場合、きっと問題になります。

一方で、「人生はチャレンジだ」というスローガンを持った家族であれば、捉え方はきっと違うでしょう。

 

さて、あなたの家族のユニフォームにはなんて書いてあるのでしょう・・?

そのスローガンはどんな時役に立っていますか?

どんな時負担に感じますか・・?

 

 

 

2014年2月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room