お盆休みも終わりましたね。
名古屋もこの2~3日、虫の音が聞かれるようになりました。
季節は確実に移り変わっていっているようです。
お盆休みは、毎年岡山の実家に帰省します。
実家は築200年の旧い木造家屋。途中で一部リフォームしていますが、それも40年前のこと。
先人の知恵が生かされた昔の家は、自然と共にあり人に優しい空間です。
田舎のことなので昼間は家の戸も窓も開け放ち、風が家の中を通りぬけていきます。
野良猫もどうどうと通りぬけていきます。
家の中に生き物が普通にいます。
畳の上を素早く進むものが一瞬こちらを窺がっている、近づくとつぶらな瞳のヤモリです。
何か腕を這うものがいると思ったらムカデ、割箸でつまんで外に逃がします。無駄な殺生はしません。
夜寝ようと思ったら、ブンブン羽音が・・・昼間迷い込んだアシナガバチが天井近くで飛んでいます。
明日の朝窓を開ければ、また外に出ていくことでしょう。
外に出れば、裏山の崖を上る小さな青大将、庭先でちょろちょろ動くトカゲ。甕の水に飛び込むカエル。
どこかで ’’カサッ” と音が・・・。視界の中で何が動いた・・・。
「アッ 何かいる・・」このちょっとしたワクワク感。
この旧い家屋で過ごしていると、五感が刺激されどんどん豊かになっていくようです。
庭の白い山百合は視覚で涼を呼び、ひんやりとした宵の風が肌を撫で、蝉しぐれのリズムに身体が同調する・・。
子供の頃は踏みしめる畳の感触一つにも、季節の移り変わりを感じていたものでした。
お盆を過ぎると木の廊下から足を伝ってヒヤリと立ち上る秋の気配。
同じ家に暮らす家族みんなが、季節ごとに庭のくちなしの香りを、きんもくせいの香りを、庭の木に訪れる
フクロウの物悲しい鳴き声を、五感で感じとり共有していたのだと思います。
今思えば懐かしくも貴重な時でした。
ここ数十年の間に日本の家屋の多くは便利に進化を続けてきたと思いますが、自然と一線を引いた快適さを
求めてきたのでは・・という気がします。
家の中に生き物がいるなんてあり得ない・・・
外の灼熱とはまったく別の、エアコンの効いた快適空間を作る・・
人も本来自然の一部、一つの生物に過ぎないことを思うと、ヤモリと一つ屋根の下が許せないことのほうが
不自然なのでは・・? と私は感じますが、そんな考えは少数派なのでしょうか。
五感を使うということは、生物としての人が生きることそのものなのだと思います。
残念ながら現代社会の在り様は五感力の退化が加速する方向に向いていると感じます。
ネット社会によるコミュニケーションの変化、一見快適な居住空間、食文化の貧弱化。
便利さと引き換えに、人が生きる上で一番大切なものを、じわりじわりと失ってはいないでしょうか。
そんなことを改めて思うお盆休みでした。
ちなみに五感豊かに過ごした数日間のおかげでしょうか。
私は休み前よりも体調アップ、力が湧いてくるのを感じながら名古屋に帰ってきました。