アカバアカバナのはずが・・・

朝から霧のような雨が降っています。

カラカラだった庭の木々も地面もしっとりと気持ちよさそう。

まんさく2

今年の5月に「稲沢の植木まつり」で買ってきて庭に植えた「アカバアカバナトキワマンサク」

赤い花をつけています。

 

アカバ、アカバナと名前についているとおり、本来はこのように全体が赤い姿をしています。

まんさく3

我が家のトキワマンサクも買ってきた当初は、葉も花も赤い「赤い木」だったのですが・・・。

 

しばらくして赤かった葉はすべて緑色になり、「緑の木」になりました。

こんなはずではなかった、「赤い木」が欲しかったのに・・・と思っているうち、再び枝の先の方に

新しい赤い葉がチラホラみられるように・・。

 

今は赤葉、緑葉入り混じり、そしてそれも日々刻々と変化している不思議な木です。

 

この4か月の間に2回花をつけました。

一回目はわずかに3個くらいの花。

そして2回目は10個くらい。

だんだんとこの地に馴染んで、しっかりと根を下ろしているのでしょう。

 

赤でも、黄でも、緑でもどんな色の葉でもいい!

たくましく素直に成長する姿に惹かれ、ながめています。

魔女の秘密展

先週、名古屋市博物館で開催中の「魔女の秘密展」に行きました。

003

子供の頃なじんだ魔女は、アニメやドラマに登場するファンタジックで夢のある存在。

魔法使いサリー、奥様は魔女、魔女っ子メグなどなど。

 

けれども今回は、ヨーロッパの魔女をめぐる暗黒な歴史を知り、感じることとなりました。

本来魔女とは、魔除けやおまじない、占いなどで人々に向き合い、その苦しい現実に希望や光を与える存在だった

のではないかと思います。

ところが、天候不順による凶作やペストの流行、30年戦争など、その当時のヨーロッパの苦しい時代背景の中、

やがて魔女は人々のフラストレーションの標的とされていったのです。

 

「魔女狩り」、「魔女裁判」そして「火あぶりの刑」罪のない何万人も普通の女性が犠牲になりました。

悪魔と手を結びキリスト教に異端する、忌まわしく絶対的な悪として。

”すべては魔女のせい” 人々はその物語を信じて疑わなかったのでしょう。

懸命に生きる善良な人々の中に潜む残虐性、「善」の名のもとに集団心理が起こす暴力。

 

展示の最後のコーナーに「火あぶりの刑」の様子を体感できるメディア展示がありました。

人々が顔を紅潮させ魔女が火あぶりにされるのを見る様子が映し出されています。

もし私があの時代、あの瞬間に生きていたとしたら・・・。

民衆の中に自分の顔をみた気がしました。

善と悪とは一体何なのでしょう。

自分の中に探っていることでもあるのです。

 

魔女展、2回足を運びました。

今回一緒に行った友人は、その背負った歴史も今の活躍も「魔女」そのものの方。

現代を生きる魔女として、人を癒し続けています。

魔女DSC_0016

 

 

 

足首をひねる

昨日、テニスをしていて足首をひねってしまいました。

足元に転がってきたボールを避けようと、とっさに足の甲から着地してしまったのです。

 

その時は何ともない気がしてそのままプレーを続けたのですが、家に帰ってからじわじわと痛みが・・

あとからくるものなんですね。

 

それにしても怪我とは無縁の私にはめずらしいこと・・・なんで今??

久しぶりのプレーなのに準備体操もほとんどしなかった、とか、

今までのようには身体が動かない年齢になった、とかわかりやすい理由はあげられます。

でももう一歩踏み込んで、私という存在性全体の中で、今何が起きているんだろう・・と考えてみます。

 

足首の痛みという実際の現象。

そしてその背後に渦巻く、私を創りだしているエネルギーの状態。

見える部分と見えない部分。

見える部分の解決には、見えない部分へも意識を向けることが案外大切。

日常の出来事は、心の状態、エネルギーの在り様とパラレルに形をなしてるものだと思うのです。

 

足首という大地に立っている土台部分の症状。

さて何を伝えてくれているのでしょう。

興味を持って意識を向けていたいと思います。

 

001 夏の終わり・・・

 

 

 

2015年9月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

夢を記録してみると・・・

夢に興味を持っています。

これは印象的な夢を記録するため、枕元に置いている手帳。

夢日記

記録しなければ、すぐ忘れる夢ですが、書き留めていると不思議なことに気づきます。

現実に起こることを、前もって教えてくれているかのような夢のなんと多いことか。

 

また、私にとって夢は心の深層、無意識の状態を知る手がかりです。

夢の意味を自分で考えて納得したり、夢を見ることそのものが癒やしになっていることも

あるように思います。

 

私の母はよく自分のみた夢の話を持ち出して、子供に注意を促したり、夢と現実がシンクロする現象を

子供に語ったものでした。

「今日はこういう悪い夢をみたから気をつけてね」とか、

「あっ、今日みた夢とそっくりの事件が新聞に出ている、このことだったのね」とか。

そのせいか、夢は私にとって日常の一部、おろそかにできないものとなっていったのでしょうね。

 

20年も前のことですが、母と同じ夢をみたことがあります。

母が朝起きて報告した夢、「あなたがピアノのある丸い部屋に座ってニコニコと嬉しそうにしている夢をみた」

びっくりしました。

私もまた、自分がピアノのある丸い部屋にいる、なにかいい感じの夢をみたからです。

そして二人同時にみた夢の光景はすぐに現実のものとなりました。

その当時、雑貨を手作りしていた私は、自分の作品を置いてもらえる雰囲気の良いカフェを探していました。

夢をみた次の日、知人の紹介でたずねたあるカフェ。

そのカフェは海を見下ろす丘の上にあり、海側が曲線の作りになっている建物で、丸いといっていい部屋。

そしてその部屋にはピアノが置いてありました。

まさに母と私が夢でみた光景の中で、私はオーナーさんとお話をしたのです。

すぐに話はまとまり、作品はそのカフェで展示、販売してもらえることになったのです。

同時夢であり予知夢ともいえる夢でした。

 

夢の不思議現象はさておき、心理療法においてもフロイトの著書『夢判断』やユング派の「夢分析」など夢が

きわめて重要視されてきました。

夢は人の無意識の領域ですが、自らを助ける潜在能力の宝庫ではないかと思っています。

夢は大事!!

peo026

 

 

実家の本棚から

岡山の実家に帰省してきました。

かつての私の部屋は物置と化していますが、本棚には私の親しんだ本がそのまま埃をかぶっています。

 

久しぶりに読み返してみました。

吉本ばななさんの『キッチン』

キッチンDSC_0008

相性が良い本は、ひたひたと寄せる静かな波のように、いつのまにか心を潤してくれます。

そのリズム感、濃度などに自分の中のものが呼応するのでしょうか。

登場人物の言葉に、「そうそう、私の感じているのはこういうことなの」と嬉しくなったり、その表情や

しぐさの描写のリアルさに目の前にその人がいるかのような感覚を味わっていたり。

本に癒されることは多いですね・・・

 

先日、吉本ばななさんのインタビュー番組をみました。

そのなかで印象的だったのが、「物事の表面で起きていることではなく、その奥の深い流れの中で起きていることを

書きたい」とおっしゃっていたことです。

その人をその行為に至らしめた、心の奥の深い流れで起きていることは一体何なのか・・。

それは個人や家族、また今現在という限られた単位にとうてい収まらない、無限の時空へ広がるもの。

自分に無関係のことなど、何一つありません。

 

もう一つ、印象深いばななさんの言葉。

(本を書くとき)70%は生きている人のために書いている。後の30%は死んだ人へ向けて書いている。

とてもよくわかる気がします。

私自身の在り方と重なるのです。

 

お盆を迎えた実家の中庭。

ここ数年自生している白いユリが咲き始めていました。

モビラユリDSC_0007

 

お花のセラピー 小さなオアシス

連日の猛暑。

疲れもたまります。

そこで、自分のためにお花のセラピーしてみました。

002

思い立ったが吉日とばかりに、材料不足もなんのその、手もとにあった材料のみでトライ。

使えるグリーン系がなかったけれど、それはそれでいい。

自然の流れ、偶然の中にこそ大切なものがある・・・何かが現れる・・・。

普段から感じていることです。

 

この瞬間のインスピレーションのみを頼りに、作ったもの。

今までの作品にない不思議な空気感、閃き、異空間への扉、今の私にしっくりする作品です。

 

やっぱり無心に創る時間は楽しい!!。

心も体も軽くなりました。

 

玄関に飾ると、「砂の国の小さなオアシス」といった風情で、異彩を放っています。

自分の中から現れたものは、力を与えてくれます。

色彩アートセラピー体験

色彩アートセラピストの友人主催、色彩セラピーに参加しました。

一枚目の作品です。

004

今日のテーマは「気になる人との関係性、その根本にある深層心理とは?」  

下絵をみてすぐに相手のイメージが浮かんだので、あとは心の赴くままに・・・。

 この世にいない、しかも会ったこともない子ですが、頼もしく愛すべきキャラです。

こうしてみると、なんだか星の王子さまみたい。 

 

二枚目の作品です。

003

この猫は私。

なかなか強そう。

そして自由です。

額の傷は勲章のようなもの。海千山千の人生を歩いているということか・・・。

 

心が解き放たれる時間。

とても楽しかったです。

 

絵本の紹介 「まぬけのイワン」

002

ぶん  マクシム・ゴーリキー

え   ズデネック・ミレル

やく  きむら ゆうこ 

 

文もさることながら、挿絵がいい。

いきいきとと輝いていて物語の世界に誘ってくれます。

草花、ネコ、クマ、木、芋虫、かたつむり、ひとつひとつがなんとも愛らしくて、色彩がきれい。

こんな絵を部屋に飾りたい・・、こんなプリントの洋服を着てみたい!!

 

さてお話はというと・・。

イワンという間抜けな若者がだれも思いつかないような、ばかばかしいことばかり引き起こします。

けれど本人はいたって真面目、誠実でいつも真剣。

なんの偏見も価値観も持たずに生きているので、人々が恐れるクマともたちまち親しくなるのです。

最初、人間とみて警戒したクマでしたが、イワンのいいことも悪いこともそのまんまの態度にすっかり

心を許すのです。

本当に純粋なものには、みんな心を開くのですね・・。

そして手助けしたくなるようです。

 

クマのおとうさんとイワンの会話はなかなか哲学的。

作者の想いがにじみ出ています。

 

最後のページ、ゆうかんなおんどり「オドロカン」が、クマの前にたちはだかって叫ぶエンディング、

なんともまぬけです。

「コケコッコー、コケコッコー!おまえをかわに、なげこむコッコー!!」

私、こんなおんどりの「オドロカン」になっていなければいいのですが・・・

 

時々ひろげたくなる絵本です。

 

2015年7月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

生き物に感じる神秘

008

植木鉢の木に守られて、羽を休めている脱皮したばかりの蝉。

まだうまく飛ぶことができないようです。

 

台風11号の影響の風雨にさらされ、塀から転がり落ちたところをを助けました。

外から帰った娘が見つけて手をさしのべたところ、一瞬飛んで娘のスニーカーにつかまり、ひょこひょこと

足をよじ登ってきました。

台風が通り過ぎるまで安全な場所へと考え、植木鉢の木に留まらせ、植木鉢ごと軒下に避難させました。

しばらくここで休んでね・・・

想いが通じたのか、素直にじっとしている姿がかわいい。

 

羽がしっかりして台風も過ぎれば元気に飛び立っていくことでしょう。

 

生き物は時にとても不思議な存在と感じることがあります。

多分その原点になっているのは、私が5歳頃の体験です。

親戚の私のいとこが水の事故で亡くなるという悲しい出来事がありました。

生意気で面白い、まだ4歳の男の子でした。

 

亡くなった翌朝のことです。

実家のお花を活けている水を張った花器に、大きなトノサマガエルがデンと鎮座していたのです。

大きな目をクリクリとさせながら・・。

どこから入ったのか、戸締りはしていただろうと思うのですが。

 

私たち家族はみんな床の間の花器の前に集まり、そのトノサマガエルと対面しました。

亡くなったあの子がお別れにきたとみんな思ったのです。

祖母も叔母も母も私も、亡くなったあの子だと確信を持って、しばらくカエルの前でじっとしていました。

 

死者の魂は時に生き物の姿となって、私たちのそばに来てくれるのではないか・・。

私は時々、蝶や鳥やカエルの姿にアレッと思うことがあります。

もしかして○○?

そんな生き物とのちょっとしたファンタジックなふれあいは、私にとっては大事なことなのです。

 

死者が生き物の姿となって生者とふれあう・・。夢物語なのか、真実なのか。

そのうち私自身が確かめることになるでしょうね。

ちょっと楽しみ!!

003

心が喜ぶお買いもの

昨日は雨の七夕となりましたね。

歌にあるように「おーほしさまー きーらきらー★」ではなかったけれど、子供の頃、一心に

短冊に願い事を書いたことを思い出しました。

小さな私が見上げる大きな笹は、色とりどりの飾りをまとってキラキラと輝いていたなあ。

 

さて夏のセールのシーズンですね。

先日デパートに出かけ、偶然見つけたスカーフを一枚買いました。

生き物や植物をモチーフにした幾何学模様が、なんとも心にしっくりしたのです。

まさに「心が喜ぶお買いもの」

いそいそと買い求め、嬉しさに包まれて家路につきました。

 

買い物には「心が喜ぶ買いもの」と「知的に選ぶ買いもの」があるのではと思っています。

パッと見た時に無条件に惹かれた、それを見ているだけでも嬉しくなる、使うと気持ちがアップする・・。

それはきっと意識の深層が求めている「心が喜ぶお買いもの」

 

それに対して、「知的に選ぶお買いもの」はこんなふう。

例えば洋服なら、この品質でこの値段はいいかも・・、手持ちの服といろいろ組み合わせがききそう・・・、

この色は私に似合うはず・・、学校行事にもこれならいけるかしら・・など生活目線で合理性重視で選びます。

 

「心が喜ぶお買いもの」は予定外の買い物だったり、ちょっと予算オーバーだったりすることも多いです。

でもねえ~、やっぱり人生に喜びをもたらすのはこっちなんですよね。

気持ちもアップするではないですか・・。

人生の折り返しを過ぎようとする今、「心が喜ぶお買いもの」に惹かれる私がいます。

misc059