黙って座ってじっと聞け

昨日 ユーチューブで少し古い番組を見つけて視ました。

素晴らしき地球の旅「黙って座ってじっと聞け」 

●細野晴臣とアメリカ先住民の音の旅(H8.12.15放送)

 

もう25年も前になりますが、カナダに旅行した時にアメリカ先住民の生活を伝える博物館に立ち寄りました。

バンフのラクストン博物館です。

そこで過ごしたのはほんの数十分だと思いますが、展示物やBGMをはじめ館内にただよう全体の空気に

DNAレベルで癒やされるような心地よい感覚を持ったのでした。

その経験がずっと心に残っていた私にとって、とても興味深い内容でした。

そして今こそ私たちがアメリカ先住民の生き方から学ぶことがたくさんあるように思いました。

 

番組の中で先住民居住区に住む太鼓づくり職人の男性が語ります。

「僕らの文化では、黙って聞くことが何より大切だと教えられる。でも子供の頃通ったアメリカの学校では、

それが消極的だと言われ、いつも成績が悪い。しかし黙って聞くことは僕らの文化では何より大切なんだ」

 

私も子供の頃、成績表にたびたび「消極的である、積極性が欲しい」と書かれました。

自分が話したり何かするよりも、どちらかというとみんなの話をニコニコと聞くタイプだったのだと思います。

 

戦後、アメリカの文化が日本の教育に及ぼした影響は大きかったのではないかと思われます。

そして今の学校教育でも、積極的であるということが高く評価されているように思います。

よく手をあげる、何かに立候補する、行事のリーダーになる、よく発言する。

親もついついわが子に積極的であれと期待をかけてしまっているかも知れません。

 

でも前には出ないけれど、じっと人の話を聞くことも同じように大切ではないかと思うのです。

黙ってじっと聞いている時、人は繊細に深く感じ取っているものです。

例えば自然の声を、相手が本当に伝えようとしていることを、その奥にある感情を、

周りのの空気の流れを、自分の内なる声を・・。

黙ってじっと聞いている時、感じ取る能力は磨かれています。

 

どちらがいい、どちらが悪いということではなく、それぞれ外界との関わり方が違うだけなのだと思います。

黙ってじっと聞いていることを消極的とかたづけないで、もっと認めたいものです。

一人一人違っていい。

 

誰もが生きる喜びを感じられるよう、また世界で起きてるさまざまな問題を時間をかけて解決していくヒントも

あるように思います。

 

「黙って座ってじっと聞け」

深い言葉だと思いませんか・・・

nat077

 

2015年2月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

「家の神」ザシキワラシ

朝から しとしとと雨模様。

家の中がシンと冷えてストーブの前から動けないでいると、おのずと家の内に注意が向きます。

時折、天井裏で「トン」と物音がしたり、「ミシッ」と木がきしむ音がしたりして、家も生きているようです。

そして空間への想像力も働き始めます。

 

岡山の旧い家で育った子供の頃、天井裏で物音がすると祖母などが「やぬしじゃ」と言っていたものでした。

「やぬし」というのは多分「家主」と書くと思われます。

旧い家には「やぬし」と呼ばれる大きな蛇が住み着いていて家の守り神だとされていました。

我が家だけの迷信ではなく、同郷の友人の家でもそのように言われていたとのことです。

 

民俗学の父、柳田国男の「遠野物語」では「家の神」として ザシキワラシ、オクナイサマ、オシラサマなどが

伝えられています。

なかでも私の好きなのは、なんといっても「ザシキワラシ」

「旧家にはザシキワラシと云う神の住みたまう家少なからず。此神は多くは十二三ばかりの童子なり」

「此神の宿りたまう家は富貴自在なりと云うことなり」(原文より)

ザシキワラシは家に繁栄をもたらす神様なのですね。

 

遠野物語の十八話は、ある旧家から童女が二人出ていくのを村人が目撃して間もなく、この家の主従20数人が

茸の毒にあたって一日のうちに死に絶える話です。

なぜ、このような悲劇が起きてしまったのでしょう・・・。

 

それにこたえるのが二十話です。

二十話はこの家に出た蛇を、下男たちが面白半分に殺してしまったという話です。

蛇は、神や先祖という考え方があったことを考えると、不吉な行為です。

 

村人が目撃したこの童女は別の家に入り、「その何某は今も立派に暮らせる豪農なり」とつづられています。

童女はザシキワラシだったのですね。

ザシキワラシが出て行った家は没落し、入った家は繁栄する。

 

また死に絶えた家にたった一人生き残った七歳の女の子がいます。

みんなが茸を食べた時、夢中で外で遊んでいたために昼飯を食べそこね、助かったのです。

 

「7歳までの子供は神のうち」ということわざがあるようですが、ザシキワラシといい、生き残った女の子の

話といい、子供への畏敬や大切に守られるべき神のようなものというメッセージを感じます。

幼い子が発しているピュアなエネルギー、引き寄せられるような不思議なオーラ、現実社会にいる神様なのかも

しれませんね。

steve011私たち大人はきっと恩恵を受けているはず。

 

うちには幼い子はいませんが、電車などで幼いお子さんの近くに座ったりすると、「ラッキー!」と心で

つぶやいてます。

 

 

 

 

2015年2月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

棒を振る人生

私の気になる指揮者、佐渡裕さんの著書を見つけました。

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「棒を振る人生」 PHP新書

 

子供の頃、指揮者という職業を不思議に思ったものでした。

楽器で音を鳴らすわけでもない、適当に棒を振り回すだけなら私にもできそう・・・

 

大人になってコンサートにも時折足を運ぶようになり、その曲のことはよくわからないけれども、圧倒的に

迫ってくる世界に包まれて心が震える、涙がさらさらと流れる、そんな経験をするようになりました。

そんな音楽を引っ張る指揮者というものは、どうもただならぬことをしているらしい・・・。

一体指揮者って・・???

 

そんな疑問を持っていた私にとって、 なるほど!そうだったのか・・と興味深く読める本です。

指揮者がどのようにオーケストラの団員と関係をつくっていくか・・・。

自分の求める音をどうやって団員に伝え、欲しい音を引き出すかなど・・・。

 

そしてこの本には、「人間」佐渡裕さんの魅力がつまっています。

特に、小学校の時に友人を亡くしたエピソード、それに関連してヨーロッパでの演奏会の直前にみた夢の話、

その演奏会での特別な体験。

ベルリンフィルを指揮したときの未体験ゾーンに入った感覚、最高の音を求めて楽団員、聴衆が一つになる瞬間、

そんな空間に聴衆の一人として私もいつか身をおいてみたいものです。

 

また世界的な指揮者である佐渡さんが、自分の歩みを「一人で屋台を引っ張るようにして今日まで

歩いてきた」と表現されているところにも、人が生きていく本質をみるようで励まされます。

 

「棒を振る人生」という本の題名もいいですね。

どんな人生も、自分でロマンや物語を見つけることができるのではないでしょうか。

「土を耕す人生」 「メスを持つ人生」 「絵筆を握る人生」 「荷物を届ける人生」

「教壇に立つ人生」 「洋服を創る人生」 「魚を追う人生」 「家族に美味しい料理を届ける人生」

私の人生は・・?

きっと「人のお話を聴く人生」となるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年2月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

ファミリーヒストリー

私の好きなTV番組の一つに、NHKの「ファミリーヒストリー」があります。

毎回、お一人の著名な方の家族の歴史を紐解く番組です。

 

何代も前にさかのぼる入念な調査で、その時代背景と共に、その方の先祖がたどってきた歴史を、事実そのものの

ストーリーにして、ご本人に視聴してもらうというものです。

ほとんどの方は、「自分のルーツについてほとんど知らない」、「なので、楽しみです」とか

「どんなことがでてくるのか怖いです」とか最初におっしゃっています。

自分のルーツについて知る機会を、ほとんどの方はあまり持っていないようです。

 

そしてストーリーを見終わった後・・・。

例外なく深い感動に包まれておられるのです。

癒やしのベールに包まれているようにもみえます。

そしてこれからの自分を支えるような尊い力が、その方の中に湧き上がっているように感じられます。

画面を通してみているこちらにも、じんわりと温かいものが伝わってきます。

 

私も、自分の先祖が辿ってきた歴史にいつの頃からか、興味を覚えるようになりました。

子供の頃、大家族の中で育ったので(なんと私が生まれた時は13人家族) 主に祖母から、昔の家族の話を

聞く機会が時々ありました。

それらの断片的な自分の先祖にまつわるエピソードを子供ながらに興味を持って聞き、自分の引き出しの中に

一つ一つしまってきたように思います。

古い家だったので蔵の中で一人遊んでいる時に、わずか二十歳で亡くなった祖父の妹の書道の練習を

何枚も見つけて、その誠実な筆跡に見とれたこともあります。

話に聞いていたその人とつながり、身近に感じた一瞬でした。

そして年齢を重ねるごとに、自分のルーツや先祖のことを知りたいという気持ちは大きくなったように

思います。

 

それは何故か・・。

やはり自分が立っている土壌を知り、信頼することが、これからの自分に力を与えてくれるということを、

自分の核が知っている、そして求めているからだと思います。

 

アメリカの家族療法家、モニカ・マクゴールドリックさんがおっしゃった言葉です。

 

『 自分が何者か、過去がどんな意味を持つのか考えることは、困難を和らげる。過去の人々との

繋がりや喪失、愛を学んだ記憶。それらは神聖で、その後の人生をも支え続けてくれる 』

 

nat017

 

 

 

2015年2月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room