ゲシュタルトの祈り

心理学の本を読み返していて、懐かしい文に再会しました。

 

「ゲシュタルトの祈り」

私は私のために生き、

あなたはあなたのために生きている。

私がこの世にあるのは、

あなたの期待に応えるためではない。

あなたがこの世にあるのも、

私の期待に応えるためではない。

あなたはあなた、私は私。

たまたま心が通じ合えば、それはすばらしい。

通じ合わなければ、それはそれでしかたない。

(引用文献 世界の心理学50の名著 T・バトラー=ボードン著)

 

初めて目にしたとき、なんてシンプルに人の自律性を語っているのだろうと思いました。

新鮮で、勇気をもらえます。

親子、夫婦、先生と生徒、友達、同僚、

誰かの期待に過剰適応したり、誰かをを操縦しようとしたりする必要はどこにもないはず。

 

ゲシュタルト療法の創始者、フリッツ・パールズは「義務感で行動するのではなく、

感じるままに行動することの大切さ」を説いています。

 

ゲシュタルトの特徴を一言でいうならば、「考えるのでなく、感じる」ということにつきると思います。

「今ここ」で感じていることに気づき、そこからこれまでの抑圧や、否認してきたことを手放し、

自由な生き方を取り戻していく。

 

カウンセリングの現場でもクライエントさんが自分の気持ちに素直にふれ、感じながら話をされるようになると、

受け止めきれない苦しい現実から、自分で立ち上がっていく姿勢へと変化していかれます。

カウンセラーはクライエントさんの力を信じ、ゆだね、共に感じながら、ただその場にいることしかできません。

でもそれが実はとても意味のあること。

人が大きく変わろうとするときに、その重さを受け止めながら、相応の場を設けるとでもいうのでしょうか。

とても大きなカウンセラーの仕事ではないかと思っています。

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好きな童話「セロ弾きのゴーシュ」

朝早く、スズメのにぎやかなさえずりで起こされました。

ここ最近、我が家の屋根の樋がスズメたちのお気に入りの場所になっているようです。

こちらは毎朝早くから起こされ寝不足気味です。

「朝だけは少し静かにしていただけません?」ベランダで洗濯物を干しながら、スズメに語りかけてみましたが、

チラッとこちらを気にしただけで知らん顔。

そりゃ気持ちよく歌いたいよね・・

 

スズメと云えば日本人にとって最も身近な鳥、軒下のスズメなど原風景ともいえるありふれた光景です。

スズメのさえずりで目が覚めるなんて素敵なことなのかな・・

 

宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」は好きな童話です。

町はずれのこわれた水車小屋にたった一人で住む孤独なゴーシュと、周辺に住む動物たちの関係、

「この世界に共にいる感じ」がとても好きです。

オーケストラの落ちこぼれゴーシュが、毎晩訪問してくる、個性的な動物たちの風変わりな注文に

怒りながら苦しみながら応えているうち、本番で見事な演奏をやってのけるのです。

そして実は動物たちも、ゴーシュの普段の孤独な練習の音色に癒され、病気まで治っていた。

 

ゴーシュと動物たちはお互いその個性を遠慮なくぶつけ合います。

人と動物の垣根もなければ、上下もない。

 

人と動物の関係って本来こういうものなんだろうなあ・・・

動物から、自然から、もっと声を聴き、感じ、学ばなければ・・・

人はもっと自由でいられるはず。

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幼虫から蛹へ

モスラ~や モスラ~ ♪♪

朝から 古い映画の挿入歌が頭のなかで流れています。

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シマトネリコの葉っぱの陰で 蛹になろうとしている蛾の(多分・・)幼虫。

身体を固定する糸を張って、最早うんともすんとも動きません。

 

おとといは、塀を力強く這いまわっていました。

その姿は、すでに刷毛のような触角を伸ばし、毛羽立った身体は成虫になった蛾の雄姿を彷彿とさせ、

子供としばし見入ったことです。

そして昨日、シマトネリコの木に移って這っているのをみかけました。

 

今朝、シマトネリコの葉っぱの下でご覧の姿に。

「ここがいい!!」

本能の赴くまま、蛹になるためのしばしの安住の場所をここにしたのですね。

 

「こんな人目に付く無防備な場所に・・ もっと雨風が防げるいいとこなかったの?」

人間の勝手な老婆心をよそに、彼は確信を持ってそこにいます。

すべてが自分に由っている。本当に自由な生の営み。

気ままなものです。

 

彼の変化を毎日目にする楽しみができました。

小さな庭に今日、この瞬間にドラマがあります。

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