グリーフ(Grief:悲嘆)

昨日、グリーフとそのケアについての研修に参加し、龍谷大学短期大学部 黒川雅代子先生のお話を聞く機会に

恵まれました。

 

一般にはまだまだ「グリーフ」という言葉の意味するところや、そのケアについて浸透していないように

感じますが、誰もがさけて通れない身近な問題です。

悲嘆(グリーフ)・・・喪失に対するさまざまな身体的・心理的・行動的な症状を含んだ感情的な反応。

大切な人との死別はもちろん、離婚、失恋、失業、大切な物や財産を失くすことなども含まれます。

 

カウンセリングに関わらせていただいて感じるのは、一見別の悩みを抱えているクライエントさんが、

その背後に未完了のグリーフを抱えているケースもとても多いということです。

お話をじっくり聞いているうちに、行きあたることが多々あります。

大切な家族を失った悲しみが癒えていなかったり、その死に関して心の奥底で自分を責め続けていたり。

 

どんな苦しい喪失体験であっても、悲しみなどさまざまな感情に向き合い、適切なケアがなされると、

やがて故人との永続的で新たなつながりを見出し、より力強く人生を歩めるものだと思います。

 

大切な人を失くして悲しみの中にいる人が身近にいる場合、私たちに何ができるのでしょう。

どう接していいのかわからず避けたりして、孤立することのないよう気を付けなければなりません。

 

安易な言葉がけで元気づけようとして、かえって傷つけることもよくあることです。

その時、ほんとうにその方に響く言葉をかけるのは至難の業といってもいいかもしれません。

グリーフとはきわめて個人的な体験で、その内容も回復の仕方も回復に要する時間も千差万別だからです。

 

「あなたのことを気にかけているよ」というメッセージを伝え続けること、

今のありのままの状態を尊重すること、そんな態度が支えになるのではないかと思います。

そして、その方が話されるのであれば、少しでもわかろうとしながら、ただただ聴く。

こちらが何かアドバイスをしよう、励まそうということでなく、その方自身の力を信じるのです。

 

黒川先生のお話で印象的だったこと。

「私も初めの頃は、重いお話を聞くことを負担に感じることも多かったのですが、そのお話の多くが

”故人への愛”を語っていることに気づいてから、気持ちが変わってきました」

 

さて私事ですが、先日実家の父に電話した時のことです。

父がお酒の酔いも手伝ったのか、3年前に亡くなった母への想いを素直に口にしたのです。

「この年になるとお母さんがいないのが寂しくてたまらん。お母さんはほんとうに

いいお母さんじゃったということだ・・・。」

 

相性のいい夫婦とはお世辞にも言えなかったけれど・・。

お母さん、ちゃんと聞いてくれてたかな。

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二つの日帰り旅

先週から、二つの日帰り旅をしてきました。

一つは東京の友人と伊勢神宮へ、もう一つは岡山の友人二人と京都へ・・。

 

またいつか・・ではなく、思い立ったらすぐ約束しておくものですね。

それぞれ忙しかったり事情はあっても、それに向けて予定を繰り合わせ、「この日は会う」と決める。

すると、それはそれは楽しい時間が待っています。

人生の思い出ノートにまた一つ、愛しいページが加えられたよう・・・。

 

伊勢神宮はおととしの遷宮後、初めてのお参り。

驚くほど美味しい鯛茶漬けを頂き、五十鈴川のほとりで瞑想、身体が軽くなったのを実感しました。

やはり日本随一のパワースポットです。

伊勢神宮    五十鈴川

 

そしておとといの京都。

岡山の友人と久しぶりの再会。

たちまち学生時代から変わらないムードに・・・。

見かけはそう変わらないものの(?)アラフィフの私たち、話題は自然と健康のことにも。

最近とうとう老眼が・・・とか、胃腸の調子がねえ・・・とか、

とりわけ、足腰に自信がなくなって・・・などと語り合っていた私たちの目の前に「足腰神社」

の看板を掲げた神社が現れたではありませんか。

導かれるようにお参りしました。

 

それにしてもたくさん歩いたなあ。

相国寺、京都御所から二条城あたりまで・・・。

日ごろ運動不足という友人は、万歩計の機能のついた携帯を見ては感動していました。

相国寺2        相国寺3     

同志社2

 

ほどよい疲労感につつまれ、「来年また京都で」と日程まで決めてお開きとなりました。

そう、『思い立ったらすぐ約束』です。

 

カウンセリングと心理療法

先日のこと、”カウンセリングと心理療法はどう違うのですか?”という質問を受けました。

明確な基準のない世界なので、セラピストによって答えはさまざまなのではないかと思います。

よい機会なので、私の中での考えを記してみます。

 

大きくみると心理療法の中にカウンセリングが含まれている。

順番でいうとカウンセリングの延長線上に心理療法がある。

カウンセリングが言語表現を通して、起きていることを整理、理解し、気づきや解決法を見出していくのに対して、

心理療法は、本人も意識できていない心の深み、「無意識」にまでアプローチしていきます。

カウンセリングが知的理解による解決法だとすると、心理療法は感情、感覚を積極的に取り上げ、

体感を伴った決心を促したり、癒やしに導く手法といえるかもしれません。

 

カウンセリングで、答えを導き出したはずなのに、なぜかまだ気持ちがすっきりしない、

現実にはうまくいかないということがあります。

頭でわかっちゃいるけどやめられない、過去のことなのに何度も甦る嫌な出来事、

もう会えないとわかっている人にもう一度気持ちを伝えたい、こんな時は心理療法の出番です。

 

心理療法には、ゲシュタルト療法、再決断療法、神経言語プログラミング、プロセス指向心理学、

フォーカシングなどいろいろな手法がありますが、どの手法も目指すところは同様ではないかと

思います。

クライエントさんの個性やストーリー性を踏まえたうえで、セラピストの指向、力量などが関わってきます。

私の場合は「○○療法でやります」というのではなく、その場に応じた折衷的なもので良いのかなと思っています。

 

ではカウンセリングのどの段階で心理療法を使っていくか・・・。

カウンセリングで解消すべき過去のトラウマ的出来事が見つかったとします。

「さあ、では次回のカウンセリングでこの出来事について心理療法を行いましょう」というのも一つのやり方。

 

もう一つは、カウセリングの自然な流れの中で、いつのまにか心理療法がなされているケース。

例えば、カウンセリングで故人の思い出を語っているうち、伝えきれていなかった想いが湧き上がり、

いつのまにか故人が目の前にいるかのように感謝の言葉、謝りたかったことなど、ほとばしるように表現

される時、それはすでに創造的な心理療法の世界。

クライエントさんの底力に目をみはる瞬間です。

セラピストはいかにどっしりとその場に立ち会えるか、存在性が問われる瞬間です。

 

人は自分で癒えていく力、未来を切り開いていく力をちゃんと持っている。

その思いは深まるばかりです。

sas089