赤い花満開

アカバナアカバトキワマンサク満開です。

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昨春、植木市で買ってきて、我が家の庭に根を下ろしてもうすぐ1年。

春の姿を見るのは初めて。

鮮やかです。

 

植木屋さんの畑から、知らないところに連れてこられ、心細かったでしょうに・・・。

あ、それは人間の勝手な想いですね、きっと。

 

かの木はただ、たたずんでいるだけ。

自分の姿など気にも留めないで、朝の光を、春の風を、鳥の声を楽しんでいるだけ・・・。

 

でも私は嬉しいなあ。

母の命日

今日は母の命日です。

夕方、実家の父に電話したら、「お、そうだったか、仏壇を拝んで来るわ・・・」

すっかり忘れていたようです(^_^;)

 

とはいえ、父の夢には最近、たびたび母が現れるらしく、電話するたびにその夢の話をしてくれます。

30年前に亡くなった祖父母も一緒に登場することもあるとか・・。

みんな元気そうで若返ったような顔をしているそうです。

「今どこにいるんだ」と聞くと

言葉はなく、「あっち」というように裏山の方を指さすんだとか・・・。

 

父は、「夢に出てくれるだけでもありがたい。元気が出るわ」と言います。

私もまったく同感。

 

母が亡くなって4年たちますが、生前よりも、むしろ今の方がその存在を近く感じていて、毎日の中にいつも

寄り添ってくれているような感覚があります。

あら、これは母のメッセージかしら・・・と感じることもしばしば。

母の存在を感じることは、励みになったり、背中をおされたり、癒されたり。

父も兄も私も、それはもうどれだけ力づけられていることだろうと思います。

 

心理療法家の河合隼雄さんは、著書「しあわせ眼鏡」の中で、「人間が幸福である」と感じるための条件の一つとして

(自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じることができる。)

ことも重要ではないか、と述べられています。

 

自分を超える存在。

人それぞれ解釈があると思います。

例えば、宇宙、この世の森羅万象、神や仏などなど。

私はその中に「大切な故人」も含まれるのではないかと思っています。

故人につながり、支えられていると感じられることは幸せです。

 

そんなことを思いながら、先程兄にも電話をしてみました。

私:(しんみりと)「今日はお母さんの命日だね・・・」

兄:「えっ、そうだっけ・・・うっかりしとったなー、明日何か供えるわ、いちごがいいかなー」

 

うっかりとお供えを送り損ねた私も含め、なんていい加減な家族でしょう。

母の含み笑いが目に浮かびます。

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名古屋パワースポットめぐり

運動不足を嘆く家人に付き合い、ハイキングに出かけました。

名古屋のハイキングコース12話のなかから、「パワースポット巡りコース」

神社を中心に巡るコースです。

 

金神社・山田天満宮⇒ 晴明神社⇒ 上野天満宮⇒ 城山八幡宮⇒ 高牟神社⇒ 御器所八幡宮

一部地下鉄も使いながら、4~5時間は歩いたでしょうか・・・。

立ち寄った神社は6か所。

 

神社ごとに特有の「気」というようなものを感じます。

面白いもので山田天満宮と上野天満宮、城山八幡宮と御器所八幡宮など、お祭りしている神様が同じところは

似通った性質のものを感じ・・・。

 

神社のの清浄な空気の中にひたり、手を合わせるのはいいものです。

歩きすぎてその日は背中が痛くなりましたが、その後ふと気づきました。

あれ? なんか軽い・・・身体全体がスッキリしたような・・・。

 

そんな時、作家の五木寛之さんの対談の文を目にしました。

<ある企画でお寺の周辺で取材する機会が多いのですが、面白い現象が起こることに気がついた。

寺の境内のある場所に立つと、ものすごくメガネが曇るんですよ。内側から、わーっと何かが噴出してくるように。

最初はどうしてこういうことが起きるのかわからなかったが、ある時、ふと、これが土地の「気」というものでは

ないかと、閃いたのです。心身ともに活性化して、身体のあらゆるところから、毛穴という毛穴から、蒸気がどんどん

あふれ出ていく感じなんですよね。そして、自分自身がリラックスして元気になっていくような感覚を持つんです。

これもひとつの「気」なのでしょうか。>

(学研文庫 「気の発見」より 一部文を省略しています。)

 

この言葉を受けて、気功治療家の望月勇さんは、「そう思う、自分もよくそのようなことがある」とおっしゃています。

 

なるほど、パワースポットの恩恵ってこういうことなのね!

これからも時々「気」のチャージにでかけよう!!と思ったのは言うまでもありません。

 

神社でのもう一つの楽しみ、私のご朱印帳です。

 

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