母の命日

今日は母の命日です。

夕方、実家の父に電話したら、「お、そうだったか、仏壇を拝んで来るわ・・・」

すっかり忘れていたようです(^_^;)

 

とはいえ、父の夢には最近、たびたび母が現れるらしく、電話するたびにその夢の話をしてくれます。

30年前に亡くなった祖父母も一緒に登場することもあるとか・・。

みんな元気そうで若返ったような顔をしているそうです。

「今どこにいるんだ」と聞くと

言葉はなく、「あっち」というように裏山の方を指さすんだとか・・・。

 

父は、「夢に出てくれるだけでもありがたい。元気が出るわ」と言います。

私もまったく同感。

 

母が亡くなって4年たちますが、生前よりも、むしろ今の方がその存在を近く感じていて、毎日の中にいつも

寄り添ってくれているような感覚があります。

あら、これは母のメッセージかしら・・・と感じることもしばしば。

母の存在を感じることは、励みになったり、背中をおされたり、癒されたり。

父も兄も私も、それはもうどれだけ力づけられていることだろうと思います。

 

心理療法家の河合隼雄さんは、著書「しあわせ眼鏡」の中で、「人間が幸福である」と感じるための条件の一つとして

(自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じることができる。)

ことも重要ではないか、と述べられています。

 

自分を超える存在。

人それぞれ解釈があると思います。

例えば、宇宙、この世の森羅万象、神や仏などなど。

私はその中に「大切な故人」も含まれるのではないかと思っています。

故人につながり、支えられていると感じられることは幸せです。

 

そんなことを思いながら、先程兄にも電話をしてみました。

私:(しんみりと)「今日はお母さんの命日だね・・・」

兄:「えっ、そうだっけ・・・うっかりしとったなー、明日何か供えるわ、いちごがいいかなー」

 

うっかりとお供えを送り損ねた私も含め、なんていい加減な家族でしょう。

母の含み笑いが目に浮かびます。

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