ゴッホに会いにいく

豊田市美術館で開催中の「デトロイト美術館展」に行ってきました。

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ゴッホが好きです。

絵が語るゴッホ自身に惹かれます。

 

きっと幼い子供のように純粋で、不器用で、悲しくて、誇らしげで、優しくて、自分を伝えるすべを知らなくて・・。

作品の中に宿る魂とでもいうようなものがあるなら、ゴッホの絵は100年以上経た今なお、強烈なエネルギーとなって

語りかけてくるような気がします。

まるで心臓をわしづかみにされたように、こちらの内面に問いかけてくるのです。

 

ゴッホの絵を前にして、なぜか理由のよくわからない涙がとめどなくあふれたことがあります。

数年前開催された、名古屋市立美術館「ゴッホ展」で、最後のほうに展示されていた作品。

今、その時の作品リストを取り出してみたところ、「草むらの中の幹」という作品のようです。

手前の幹の向こうに広がる草むら、何を思いゴッホはその何気ない風景の中にいたのでしょう。

 

その絵を描いてしばらく後に、自ら人生のの幕を下ろすのですが、この絵から伝わってくる、ゴッホの心の境地を

想い胸を打たれます。

壮絶な人生と伝えられるゴッホですが、おそらく最後はすべてを受け入れ、穏やかな喜びの中に人生を終えたのでは

ないかと私には思えるのです。

 

物と別れる

昨日はゴミを出す日だったので、押し入れの肥やしになっていたものを出しました。

かつて子供が喜んで使っていた手作りのレッスンバッグ、上履き入れなど、不要になっても思い入れがあって

捨てられないものがたまっていました。

 

手放してもいいな、という時期がきたのだと思います。

ありがとうと心の中でつぶやきながら、そっとゴミ袋に。

 

人と物も縁があって出会ったはず。

物と出会い、いつもそばにある親密な関係が続き、やがて役目を終えて距離がうまれる。

 

この宇宙の万物は、刻々と変化していっているのだから、人と物との関係も当然変わってくる。

お気に入りだったものも、いつか離れていくものです。

時期がきたら、あれこれ思わないで手放せばいい。

 

物にもエネルギーが宿っているような気がします。

今必要なものは、物といえど元気に見えるし、役目を終えたものはひっそりと、ただ、ものとしてある。

 

子供のころ、祖母や母は、長年つかったものなど処分するときに、「粗末にならないように」という言葉で、

処分するときにも物への敬意をもっていたように思います。

だだの「もの」というのでなく、縁とか、今まで役立ってくれた感謝のようなものがあったのでしょうね。

 

お別れの時がきたなと感じたら、感謝して手放してもいいのかな・・・。

 

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庭の枝垂れエゴノキ。

今年は葉っぱも元気いっぱい!!

 

 

本の紹介「うつくしい人」

ゴールデンウイークは遠出しなかったけれど、この本の中で、私も瀬戸の離島へフワッと旅してきたかな・・

「うつくしい人」  西加奈子著

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一見、都会でうつくしく生きている「百合」。

でも実は自信がなく、心の中に得体のしれない何かを抱えている。

人がどう自分を見ているか気になり、絶えずびくびくしている。

 

逃れるようにやってきた瀬戸の島のホテルでの数日間の滞在。

そこで出会った、これまた何かを抱えた二人の人物との交流。

3人の相互作用によって、三者三様に、それぞれの中で何かがほどけていく感じがとてもよく描かれています。

 

そうなのです。

こういうことって小説の中のことだけではなく、現実でもままあるなと思います。

偶然の出会いから思わぬ展開が生まれること・・。

神様は人と人のの出会いにおいて、粋なキャスティングをするものだなと思います。

 

物語の背景もとてもいい。

瀬戸の穏やかな美しい海、忘れ去られたようなホテルの図書室。

ある日パズルのピースがすべて揃うように、動き出す。

今までさわらなかったところに自ら向き合うチャンスが生まれる。

 

物語の終わり、百合がずっと避けていた、問題を持つ姉との関係に変化の兆しを予感させます。

 

人生はある日、いい風が吹くように、潮が満ちるように動き出すことがある。

この世のシナリオを信頼してドーンとゆだねてみたいものです。

 

2016年5月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room