本の紹介「思い出のマーニー」

イギリスの児童文学

思い出のマーニー[新訳]  ジョーン・G・ロビンソン著

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初めて読みましたが、思った以上によかったです。

 

心を閉ざし、周囲になじめない少女「アンナ」

心の問題があると医者に判断され、転地療養のため海辺の田舎町で過ごすことになります。

アンナはその町の入り江にある、湿地屋敷になぜか心を惹かれます。

そしてそのお屋敷に住む不思議な少女「マーニー」と出会い、ひと夏の交流がはじまる・・・

 

不思議な少女「マーニー」はいったい何者・・? 幻想・・? 現実・・?

意味深なヒントもちりばめられているようでもあり・・とても引きつけられます。

どちらにしろ、マーニーに出会ったアンナの心の奥深いところで変化が始まり、アンナはたくましく再生していくのです。

自分を見捨て死んでしまった、と思っていた家族が、大きな存在感で現れている物語。

 

時空を超えた家族のつながりがロマンティックです。

死者となった家族の愛に導かれ、閉ざされた心が開かれ始める・・。

同時に、現実世界の温かい人たち愛に支えられ、元気になっていくアンナがとてもいきいきと描かれています。

 

背景もいいですね。

海、入り江、小舟、嵐、風車小屋。

無意識を象徴するようなこれらのものが、幻想性を高め、アンナの深い体験を暗示しています。

 

児童文学とはいえ、この年で読んだからこその、味わいや発見が多くありました。

またいつか、読み返したい本です。

2016年9月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

さなぎの時代

幼い頃、祖母が繰り返し繰り返し、話してくれた昔話があります。

「ぐうたらべえちゃん」

これは祖母の創作話だったのか、それともこういう昔話が存在するのか・・・

いまだに謎です。

 

お話の内容は・・・

むかしむかしあるところに、「ぐうたらべえちゃん」という怠け者の若者がいた。

一人でくらしていたが、働くことはなく、来る日も来る日も一日中ぐうたら寝て過ごしていた。

村人たちはそんな「ぐうたらべえちゃん」を怠け者とバカにしていた。

ある日「ぐうたらべえちゃん」のところに、豆粒ほどの小さな者が、しばらく泊めてくれと尋ねてきた。

快く泊めると、あくる朝、その者はウリほどの大きさに・・・

その次の日は両手で抱えるほどの大きさに・・・

どんどん大きくなって、とうとう家いっぱいの大きさになってしまった。

自分の居場所がなくなった「ぐうたらべえちゃん」は仕方なく起きて、隣に新しい自分の家を建てた。

その家があまりにもりっぱだったので、村人たちは次々と家を建ててくれと頼むようになった。

こうして寝てばかりだった「ぐうたらべえちゃん」は、いつのまにか働き者の立派な若者になっていた。

 

日本昔話には「三年寝太郎」というお話があります。

寝てばかりの怠け者の若者が、ある日行動を起こし、日照り続きで水がなく苦しんでいた、村の窮地を救う。

寝てばかりの歳月は、実は能力を開花させるための思索の日々だった、というお話です。

 

「さなぎの時代」とは心理療法家の河合隼雄さんが使われた言葉です。

確か、そんなことが書かれていた本があったな・・・

本棚を探していたらありました。

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「なるほどの対話」 河合隼雄さんと吉本ばななさんの対談集です。

吉本ばななさんも高校3年間寝てばかりだったと述懐されています。

 

先の「ぐうたらべえちゃん」も「三年寝太郎」もさなぎの時代がテーマのお話だと思います。

内に閉じこもる期間が、実はとても意味のある時間だった。

 

ただ寝てばかりで怠けているようにみえても、内面で大きな変化が起きていることがあります。

さなぎの中で蝶になって飛び立つ準備が進んでいるように。

 

人は大なり小なり、いろいろな形でさなぎの時代があるのではないかと思います。

周りの大人は、ほおっておいていいのか、手を出したほうがいいのか、でもどのように・・・

答えのない、とてもとても難しいことです。

ただ、すぐ結果を求めてさなぎの時代を邪魔することだけは避けたいものです。

蝶になりそびれた蝶は死んでしまうか、片翅で不自由に飛び続けることになりかねません。

 

最近、うちの娘もびっくりするほど寝てばかり。

もしかして「さなぎの時代」なのかも知れません。

 

2016年9月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

茂平のイチジク

イチジクが届きました。

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実家の畑でとれたものです。

実家のある「茂平」という小さな集落は、昔からイチジクの栽培がさかんでした。

雨が少なく温暖でそれはそれは美味しいイチジクがとれます。

今は高齢化で生産者の方も減っているようですが、それでも帰省してイチジク畑が広がる景色を目にすると、「あ

あ、茂平に帰ったな」と思います。

 

子供の頃、イチジクの季節になると、祖父母や母は、朝暗いうちから収穫、出荷作業に追われていました。

一つずつ丁寧に手で収穫、とってもとってもきりがない、朝収穫しても、夕方にはまた次々と熟れているのです。

肩にかけたカゴが次第に重みできりきりと食い込む、汗だくになりながら、畑を飛び回り、木に登り・・・

 

作業小屋に帰ると、休む間もなく、出荷作業が待っています。

私などは、たまに手伝ってもすぐ根を上げ、猫の手にもならなっかたように思います。

それは二か月近く続く重労働でした。

 

出荷の合間には、親戚の方、知り合いの方、多くの人が入れ替わり立ち代わり、イチジク狩りに来られました。

村の農業組合は出荷する生産者で溢れ、わが田舎が一番活気づく季節だったなと、懐かしく思い出します。

 

子供の頃は、そんなに好きでもなかったイチジクですが、故郷を離れた今、食べるイチジクは格別です。

まさに、慣れ親しんだ「茂平」の味

故郷の人々が忙しくリヤカーで出荷する姿、活気あふれる組合の様子、子供の頃の懐かしい情景が蘇ってきます

 

届いた日は偶然、亡くなった母の誕生日でした。

「暑いけど、ま、これでも食べて元気出して!!」

母の想いものせて届いたのかな・・・

 

2016年9月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room