幼い頃、祖母が繰り返し繰り返し、話してくれた昔話があります。
「ぐうたらべえちゃん」
これは祖母の創作話だったのか、それともこういう昔話が存在するのか・・・
いまだに謎です。
お話の内容は・・・
むかしむかしあるところに、「ぐうたらべえちゃん」という怠け者の若者がいた。
一人でくらしていたが、働くことはなく、来る日も来る日も一日中ぐうたら寝て過ごしていた。
村人たちはそんな「ぐうたらべえちゃん」を怠け者とバカにしていた。
ある日「ぐうたらべえちゃん」のところに、豆粒ほどの小さな者が、しばらく泊めてくれと尋ねてきた。
快く泊めると、あくる朝、その者はウリほどの大きさに・・・
その次の日は両手で抱えるほどの大きさに・・・
どんどん大きくなって、とうとう家いっぱいの大きさになってしまった。
自分の居場所がなくなった「ぐうたらべえちゃん」は仕方なく起きて、隣に新しい自分の家を建てた。
その家があまりにもりっぱだったので、村人たちは次々と家を建ててくれと頼むようになった。
こうして寝てばかりだった「ぐうたらべえちゃん」は、いつのまにか働き者の立派な若者になっていた。
日本昔話には「三年寝太郎」というお話があります。
寝てばかりの怠け者の若者が、ある日行動を起こし、日照り続きで水がなく苦しんでいた、村の窮地を救う。
寝てばかりの歳月は、実は能力を開花させるための思索の日々だった、というお話です。
「さなぎの時代」とは心理療法家の河合隼雄さんが使われた言葉です。
確か、そんなことが書かれていた本があったな・・・
本棚を探していたらありました。
「なるほどの対話」 河合隼雄さんと吉本ばななさんの対談集です。
吉本ばななさんも高校3年間寝てばかりだったと述懐されています。
先の「ぐうたらべえちゃん」も「三年寝太郎」もさなぎの時代がテーマのお話だと思います。
内に閉じこもる期間が、実はとても意味のある時間だった。
ただ寝てばかりで怠けているようにみえても、内面で大きな変化が起きていることがあります。
さなぎの中で蝶になって飛び立つ準備が進んでいるように。
人は大なり小なり、いろいろな形でさなぎの時代があるのではないかと思います。
周りの大人は、ほおっておいていいのか、手を出したほうがいいのか、でもどのように・・・
答えのない、とてもとても難しいことです。
ただ、すぐ結果を求めてさなぎの時代を邪魔することだけは避けたいものです。
蝶になりそびれた蝶は死んでしまうか、片翅で不自由に飛び続けることになりかねません。
最近、うちの娘もびっくりするほど寝てばかり。
もしかして「さなぎの時代」なのかも知れません。