メリー クリスマス!

☆☆メリー クリスマス!☆彡

年の瀬のあわただしい中、この年でクリスマスでもないだろうと思いつつも、毎年何かしらクリスマスの支度をしています。

 

「クリスマス」異国の響きを持つこの日は子供のころ、特別な日でした。

祖父と山で切ってきた木でツリーを飾り、いつもの食卓机にテーブル掛けがかけられ、シャンパン(といってもシャンメリー)とご馳走が並びました。

母の日記を読むと、「朝からクリスマスの買い物に出かける」などど記してあり、昭和40年代のクリスマスの華やぎが伝わってきます。

花嫁修業中だった叔母たちははりきってバタークリームのクリスマスケーキを作り、バタークリームでピンクのバラが作られるのは魔法のよう。

この日の夕食は若い叔母たちの担当で、チキンも白い紙飾りをまとっているし、ポテトサラダはお星さまの人参入り。

シャンパンの栓を抜く時のポーンという音、スリル。

私にとって、懐かしい大家族で過ごしたクリスマスです。

 

クリスマスプレゼントは毎年、本と銀色のブーツに入ったお菓子。

生き物の好きな兄には図鑑、私には童話。

 

そのプレゼントの本で、いまでも心に残っているお話は、アンデルセン童話の中の「マッチ売りの少女」

雪の降りしきる街で、一人の少女がマッチを売って歩くのですが、一つも売れないのです。

売って帰らなければ、お父さんに叱られるので、家へは帰れない。

凍えるようなあまりの寒さに、少女は暖を取るためにマッチをすって温まろうとします。

マッチの一瞬の炎をの中に、たくさんのろうそくの炎で飾られた、まばゆいクリスマスツリーが浮かびます。

思わず近寄ろうとすると、はかなく消えてしまう。

次のマッチをすると、クリスマスのごちそうが並ぶテーブルが・・・

手を伸ばそうとしたすると、はかなく消えてしまう。

次のマッチをすると、大好きだった亡くなったお婆さんが微笑んでいる。

お婆さん、ずっと一緒にいたい、お婆さん消えないで!

少女は残りのマッチをすべて擦り続けるのです。

最後のマッチの炎の中で、祖母は少女をやさしく抱き、天国へと登っていくのです。

翌朝街の人は、雪の上で微笑みながら亡くなっている少女をみつける・・というお話。

 

子供の頃のクリスマスを回想しているうちに、なぜかこのお話を思い出しました。

幼心にも、心の揺れるお話だったのですね。

 

長い人生の中、いろいろなクリスマスがあると思います。

クリスマスに気づきもしない時や、クリスマスの華やかさなんて他人事でしかないことも。

 

今思い出したことがあります。

20代の頃、家のことを背負って奮闘していたころのこと。

クリスマスイブの翌日に、友達の家の前でその子と話してました。

「そういえば、今年はクリスマスケーキ食べなかったなー」と私がぽつりといったのです。

すると友達は、「ちょっと待って」と言ったかと思うと、家に走って入り、戻ってきた彼女の手には「どん兵衛」の空容器に入っている一人分にカットされたクリスマスケーキ。

どん兵衛のカップとケーキのミスマッチの可笑しさと、彼女の優しさに泣きそうでしたね・・・( ;∀;)

 

○○ちゃん、覚えてる?

2017年12月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

夢との対話

印象的な夢をみました。

夢の中の私は高校生です

 

しばらく休んでいた高校に電車で行こうとしている(実際には自転車通学だった)

ところが、間違って反対のホームに降りてしまい、あわてて正しいホームに移動する。

そして電車に乗って最寄りの駅に着いたものの、降り損ないそうになる。

発車間際に慌てて降り、清算をするが、とても感じの悪い駅員さん。

駅から歩いて高校に向かうが、道がよくわからない。

とにかく北に向かって歩く。

途中小さい川があり、橋もないので仕方なく靴を濡らしながら、水の中を歩いて渡る。

川にはなぜか小さな女の子がいる。

ふと気づくと、高校の制服を着てくるのを忘れている。

高校に置いてあるのだろうか・・と思いながらそのまま進む。

そのうち道が二手に分かれており、右の道を進むと民家に迷い込むが、その門を出ると突然見覚えのある高校が現れる。

職員室に行くと、担任の先生が代わっていることを知らされる。

仲のいい友人が二人来て、「一学期の間ずっと来なかったね」と言われ、その言葉にびっくりする。

そんなに私、休んでいたんだ・・・

そして新しい担任と会い、挨拶をする。

 

ここで目が覚めました。

面白い夢をみたなと思いました。

 

高校に行こうとしている私に、次々と障害が現れます。

ホームを間違える、降り損ないそうになる、駅員は感じが悪い、道がわからない、橋のない川、制服を着ていない、道が二手に分かれる、民家に迷い込むなどなど。

 

納得する夢です。

今思い返しても楽しくない高校生活でした。

希望して入った高校でしたが、入学後すぐにここは合わないと感じ、気持ちの上でなじめないまま3年間を過ごしました。

表面的にはよそ行き顔で笑い、休むこともなく、友人もいて勉強もちゃんとしたのですが、心はいつも憂鬱でした。

思春期特有のコンプレックスもありました。

 

抑えていた感情は、夢の中に現れたりするものです。

卒業後30年以上たってもまだ鮮明な夢となって現れる。

何食わぬ顔で過ごしていても、心は訴えていたのですね。

高校、嫌だ、嫌だ、行きたくないよ・・辛いよ・・

 

夢の中、川を渡るときに女の子がいます。

これはつらい経験を見守るもう一人の私かも知れません。

また感じの悪い駅員さんは、私の暗い感情の象徴でしょうか。

この夢、最後に突然高校を見つけ、新しい担任に挨拶をするところで終わります。

新しいことが始まるのを予感、いい兆しを感じます。

今の私にも力を与えてくれるよう。

 

夢は、無意識や意識との境界あたりにあって、一部の感情を引き受けてくれたり、何か示唆してくれたり、これから起こることを予知したり、人に備わっている叡智。

その効用は計り知れないと思っています。

混沌とした人の無意識の領域から、力がわき出る源泉とも思えます。

何年も夢日記をつけていますが、後になってハッとする予知夢もいっぱい。

面白くてやめられません。

 


さて今夜はどんな夢を・・・

 

 

 

 

 

2017年12月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

最近「水」に・・・

「水」に悩まされています。

夏ごろから、水にまつわるトラブル続き。

 

お風呂の水が茶色に濁る。

次に水道の漏水が発覚。

これはなかなか漏水箇所がわからず、水道局の方、業者さん、5回ほどの調査を重ね、やっと特定できたという大変さ。

庭のコンクリートや化粧材をはぎ取っての工事となったため、その後の修復工事もあり、思わぬ時間と出費です。

この間雨が多かったので、晴れ間をみて日程を合わせるのもなかなか大変でした。

やはり水に影響を受けています。

 

そうこうしているうちに今度は台所のシンク下の排水パイプが外れ、そこらが水浸しになるというトラブル。

これはメーカーさんが無料でパイプ交換してくださって助かりましたが。

作業員さん曰く「こういうケースは初めてですねー」

 

まだあるんです。

しばらく前から、屋根のトイの数か所から水があふれる事態に。

2回の台風の暴風で、固定が緩んだのでしょうね。

雨の度に家の周り数か所でジャージャーと雨水が地面にたたきつけられる音がしてます。

素人修理を試みましたが、難しくて断念。

プロの力を借りるしかなさそうです。早くなんとかしないといけません。

 

先日はスタンドで買った、紙パックコーヒーをひっくり返してしまうという粗相、そのしばらく後にお湯のみのお茶もひっくり返し・・・

やっぱり水かい・・( ;∀;)・・・(自分の不注意は棚に上げ)

 

そんな話、友人たちの集まりでしていたら、スピリチュアル系の一人の方が、

「水は感情だよ、水のトラブルは内面の今の課題を表しているとも言うよ」

ふ~ん、そうなのか・・・

その視点も持たなくては、と素直に思った次第です。

 

さて悪いことばかりでない、先日は水に癒されました。

友人と京都に日帰り旅。

たまたま「京都水族館」の前を通りかかり、まったく予定になかったのに「入ってみようか・・」と即断。

平日の夕方だったので館内はガラガラ。

ぼけーっと大水槽を眺め、ペンギンと話し(た気になり)、アザラシのシャープな泳ぎに見惚れ、チンアナゴと一緒にゆらゆら揺れたのでした。

  

 

   旅のメイン 「桂離宮」

 

 

 

 

2017年11月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

気がつけば5年に

自宅にカウンセリングルームを作って、この秋で5年を迎えました。

この家に引っ越して5年半です。

思えばいくつもの偶然が重なって(ほんとに・・・)この家に出会い、自分のルームを持つことになりました。

 

最初この家を見たとき、私はいまひとつピンとこなかったのですが、家族は場所が良いと、かなり気に入っている様子。

そのうち私も「ま、リフォームするならここも良いか‥」と言う気になり、1週間ほどで家族の意見がまとまり、決めました。

売却物件として公開直前にたまたま、我が家が情報を得ることができたのですが、不動産屋さんはうちが迷っている間、一般公開を待ってくれました。

 

前オーナーさんからは、「建て替えしないで、ぜひこのまま生かして住んでほしい」と言われました。

こだわって建てられた思い入れのある家だったようです。

30年以上前の施工時の写真、設計図やリフォーム記録、なんと家の風水図まで渡してくださいました。

風水図には驚きましたね~。

オーナーのお母様がとてもそういうことにこだわられる方だったようです。

 

これはなかなかいい家かも・・・

この家への愛着もだんだんとわいてきたのでした。

 

リフォームは一度ご縁のあった、設計士さんにお願いすることに。(この方には、何かピンとくるものを感じ、数年間名刺を大事に持っていた)

一回目の打ち合わせの時、「まずはどんな家にリフォームしたいか、どんどん希望を言ってみて」と言われたので

「カウンセリングルーム、作れませんかね」と軽い気持ちで言ってみました。

「ではこの一角を使ったらどうですか?今ある窓を利用して二重窓にできる、玄関からすぐ行ける」と設計士さん。

その瞬間、カウンセリングルームありきのプランとなったのです。

ありがたいことに家族も普通に受け入れてくれ・・(後で友人たちに理解ある家族だね~と言われました)

 

後に思い出した、数年前の夢があります。

 

夢の中で私は、海辺の砂浜にオレンジ色の屋根に白い壁のスペイン風の家を見つけます。

中から出てきたのは、変わったいでたちをした個性的な女の人。

印象的な夢だったので、ノートに書き残していました。

その夢でみたスペイン風の家が、まさにこの家のイメージだったのです。

「変わったいでたちをした女の人」は心理の世界に身をおく私の姿を現しているのか、それともこの家に宿る魂を表しているのか・・・

心理の世界は非日常、現実の常識の外のことをも取り扱う何でもありの世界ですから、「変わったいでたち」に通じるものがあります。

この家に出会うこと、ここでカウンセリングをする私を、夢は何年も前に暗示していたのでしょうか。

その後もこの家や土地に関して、夢をいくつもみています。

 

自宅の一角でカウンセリングをすることに、迷うことも多々ありましたが、今では「ここでこそできることがある」と考えています。

この家の「場の力」を信頼しているのです。

 


ドウダンツツジとエゴノキ

秋の装いに・・・

2017年11月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

岡本太郎さんのこと

岡本太郎さんの本が目に留まりました。

「孤独がきみを強くする」

 

既に亡くなられていますが、こうして作品や著書にふれると、つながることができます。

その言葉は、今読んでもこの瞬間に輝いていて、私の中にぐんぐん入ってきます。

私の魂は純粋であるか・・・

問いかけずにはいられません。

本物とはこういうことなんだ!と悟ります。

 

これほどまでに純粋な人はそういない。

真っ向からそのままの自分を世間にさらけ出し、挑み続けたその生涯。

作品だけでなく、生き方そのものが強烈なメッセージでした。

 

私が20代の頃だったか、よくTVにも出ていらっしゃいました。

今でも印象に残っている場面があります。

その当時子役で人気者だった、間下このみちゃんとの対談。

相手が子供であることなどお構いなしに、目をひんむいて芸術について語る姿は、とても魅力的でした。

このみちゃんは、いつもの子役としてのこなれた表情ではなく、驚愕のあまり言葉も出てこないといった面食らった顔。

子役としての役割など吹っ飛んでいたけれど、でも二人の間には人間同士の確かなものが流れていました。

相手が子供だからと一切妥協することなく、そのまま自分を押し出している姿が、本物の空間を創っていました。

 

また別の対談番組で、子供の頃、学校を何度も変わった話をされていました(徹子の部屋だったか・・・??)

先生が純粋でないとすぐに見抜いてしまい、そうするともう人として尊敬することができなかったと。

太郎さんらしいエピソードです。

(子供は大人をよくみています、私も子供の頃いろいろと感じるところがありました)

 

車で田舎に帰省する際のちょっとした楽しみ。

高速道で大阪の万博公園あたりを通過する時、「太陽の塔」に出会うことができます。

「あっ、太陽の塔!」

みつけると毎回叫んでいます。

単純に嬉しくなるのです。

宇宙に向かって、みんなの心を解き放ってくれるような、あの姿。

岡本太郎さんそのものです。

 

 

2017年10月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

もういかなきゃなんない

ぼくもういかなきゃなんない

すぐいかなきゃなんない

どこへいくのかわからないけど

さくらなみきのしたをとおって

おおどおりをしんごうでわたって

いつもながめてるやまをめじるしに

ひとりでいかなきゃなんない

どうしてなのかしらないけど

・・・・(続く)

 

谷川俊太郎さんの「さようなら」という詩の前半です。

心をぎゅっとつかまれます。

 

「さくらなみきのしたをとおって おおどおりをしんごうでわたって いつもながめてるやまをめじるしに」

私は毎日のように、私の住む町にある、この詩の情景とぴったりの道を通ります。

この何気ない日常から、たった一人で、「いかなきゃなんない」日があるのです。

どこへいくのかわからないけど・・

どうしてなのかしらないけど・・・

 

わかっているのは、それが自分の歩いていく道だということだけなのですね。

 

詩をたどるとき、私は「ぼく」になっている

詩の「ぼく」を見ている私もいる

身近なひとが「ぼく」になっていることもある

心のいろんな扉をノックする詩です。

 

詩の最後のところ

だからとおくにいてもさびしくないよ

ぼくもういかなきゃなんない

ここもとても好き。

切ないけれどとても好き。

 

秋の日、たまには詩集をひらいてみようかな・・・

 

 

2017年10月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

父との電話で

ちょくちょく実家の父に電話をします。

去年までは畑仕事に精を出し、自分の食事も不自由なく作っていた父でしたが、今年になってがくんと体力も落ち、認知症の症状も出ています。

人と話す機会も減ったようです。

そんな中、父の一日がちょっとでも豊かになるといいなと思って、電話をします。

 

昨日は、亡くなった祖母(父の母)の実家のことを話題にしてみました。

私も4歳くらいの時、一度祖母に連れられて訪問したことがあるのですが、ジクソーパズルのごく一部のピースをかろうじて持っている程度の記憶です。

 

私:「おばあちゃんと汽車で行ったことがあるよ。近所で馬をみたような・・・」

父:「あーそうそう。隣の家に馬がおっての、子供の頃はあの馬が怖かったわ」

私:「え~、やっぱり馬がいたんだ。他に覚えてるのは、離れに通されてお人形で遊んでもらったこと」

父:「あ~、離れはこういう風な間取りでな、わしらが子供の時はあの離れの2階に泊まっとったわ」

私:「家の裏に山があったね」

父:「そうそう、正戸山を背にした東向きの家じゃった。家の前は段々に畑があったわ」

私:「そういえば、おばあちゃんが正戸山ってよく言ってた」

 

こんな風に会話は続き、父の話は祖母の兄弟や従弟にのことにも及んでいくのです

今まで知りえなかった、一族のエピソードも聞けたりして、私にとっても興味しんしん。

思いがけず引き出しの奥から出てきた、古びた小箱を一緒に探検する気分です。

 

正戸山を兄弟たちと駆け降りる少女の祖母が目に浮かぶよう。

父と私は、懐かしい人たちの存在感にすっぽりと包まれます。

今も幾重にもつながる縁を感じ、じんわりと心が温かくなりました。

 

父の電話の声はいつもより、ずっと元気でした。

 

箱庭は語る

カウンセリングオフィス+αさんの3周年祭 箱庭療法体験会に参加させていただきました。

お二人のセラピストに見守っていただきながら、自由に作品を創ります。

 

まず、手作りの箱に自分で好きなだけの砂を入れます。

砂遊びの感覚で、砂の感触を感じながら、模様をつくったり、山にしてみたり。

次はアイテムを置いていきます

たくさん並んだアイテムの中から、気になった物を持ってきて、置きたいと思ったところに置きます。

うーん、ここじゃない、やっぱりこっちかな・・

 

角笛、木像、万華鏡のようにきらきら光るプレート、エキゾチックなお面、恐竜、動物、蛇、魚、鳥

仕上げにに花びらや鳥の羽をひらひらと天から降らせました。

 

できました!

 

セラピストのお二人と作品をみていきます。

テーマも意図ももたず、その瞬間の感性の積み重ねでできた作品です。

ただ、途中からネイティブアメリカンのような、大地に根差した世界観を感じていました。

大地と太陽、生物、植物、あらゆるものが時空を超え、分けられることなく、つながって生きている。

そんな宇宙観が反映された作品なのかな~というところに落ち着き、体験終了。

 

が、一夜明けて、はたと気づいたのです。

ここに表れているのは「鎮魂」ではないか。

砂を盛って、その上に象徴的なものを置く。

半分砂に潜っているものもある。

動物たちはそれぞれの場所で、安らかにたたずんでいる。

天からは、花びらや鳥の羽がふわりふわりと、優しく砂の上に舞い落ちる。

プロセスの一つ一つが、大地や幾多のの魂を弔う作業のようにも思えます。

 

深層が現れた・・・

そう感じました。

 

ふふふ、今頃気づいたの?

正面に座ると、じっとこちらを見つめている懐かしい顔。

赤いダルマに母の面影が・・

昨日は亡くなった母の誕生日でもありました。

 

ガジュマルの木

玄関に小さなグリーンが欲しいと思って、お店でみていたらガジュマルが目にとまりました。

買い求めて3週間ほどでしょうか。

家を空けたりして、ちょっと油断していたら、ハダニが湧いてしまいました。

 

つやつやと魅力的だった葉が、カサカサと生気なくまだらになっている。

アレっと思って触ると、ぱらぱらと半分くらいの葉を落としてしまいました。

よく見ると小さな虫がたくさん這いまわっていて、蜘蛛の巣のようなものも絡みついていました。

 

全体を水で洗い流して、日光にあててハダニを駆除、残った葉を一枚一枚丁寧に拭いて一件落着。

生命力旺盛な木なので、復活してくれると思います。

 

ガジュマル。

南国の太陽の下、ぎらぎらと葉は輝き、思いのまま気根を垂れさがらせ、独自の姿に成っていく、照葉樹の魅力いっぱいの木です。

 

沖縄では「キジムナー」という子供の姿の精霊が、ガジュマルの古木に宿ると言われています。

そういえば以前、こんな夢をみました。

夢の中で、伯母が言うのです。

「最近ね、木の葉っぱの陰から、こっちを見ている子供の顔がいくつもみえるの」

これってキジムナーだったのかもしれませんね。

 

ガジュマルは健康の木、多幸の木、神聖な木などともいわれているようです。

ファンタジックで夢のある木。

 

うちのガジュマルはこれからどんな姿になっていくのか・・・

我が家に流れる「気」を、その成長する姿でみせてくれるでしょうか。

キジムナーも宿るといいな。

とても楽しみです!

 

庭にお客様

お昼に帰宅して門扉を開けると・・・

ひょこひょこと歩いているものが・・・

キジバトの雛です!

 

ひと月前くらいでしょうか。

樫の木にキジバトが巣をつくっている様子だったのですが、庭の水やりをしていた家族が、ある時うっかりして勢いよく放水。

バタバタバタと、あわてて親バトが逃げてしまいました。

巣に卵があったのではないか・・・気になっていました。

キジバトは警戒心が強く、簡単に卵や巣をあきらめてしまうからです。

 

 

よかった~

ちゃんと産まれて巣立ったのです。

それにしてもなんてかわいい。

そっとしておかねばと思う一方、ついつい庭に様子を見に行きました。

ひょこひょこ歩いているかと思えば、日陰をみつけて休んでいたり。

 

夕方には姿が見えなくなっていました。

ちゃんと飛び立ってくれたことを祈ります。

 

鳩にまつわる思い出。

子供の時、伝書バトが家に迷い込んできたことがありました。

ケガをしているようです。

多分飛んでいるときに、鷲か鷹かに攻撃されたのでしょう。

家の軒先の梁をしばらくの宿と定めたようで、傷が癒えるまで、2~3週間滞在しました。

最初ベトベトだった糞が、だんだん健康なものとなり、元気になっていくのがわかりました。

そしてある日、元気に大空へ飛び立っていきました。

任務の再開ですね。

 

傷を負っても、ちゃんと自分で養生し、再生するたくましさ。

子供心にも、鳩に備わった叡智に感心しました。

 

住宅地の中にある我が家にも、山鳩、カミキリ、テントウムシ、蝉、トカゲ、日々たくさんのお客様。

どんな場所でも、目をひらけばセンス・オブ・ワンダーです。