生きているだけでいい

母の命日に、母の夢をみました。

夢から覚醒する間際、夢か現かでまどろんでいる中で、「生きているだけでいい」という言葉が下りてきました。

夢の内容は覚えていないのに、この言葉だけがしっかりと目覚め後も残っていました。

 

「生きているだけでいい」

母からのメッセージなのかなと思いつつ、その言葉が意味するところを、数日間考えるともなく考えていました。

 

そんな中、高齢の父の心配もあり、実家に帰ってきました。

最近とみに体も衰えてきて、孤独からの失敗も多い父です。

様子を目の前にすると、自分のものさしを振りかざしたくなります。

もっとこうであってほしい・・

 

「生きているだけでいい」

まだ未消化のこの言葉を、何度も思い返しました。

この言葉の本当の深さをいつの日か理解し、少しずつでも自分の中に根付かせたいと思います。

 

今回の帰省は、今後のことを話し合うのも目的でした。

実家に泊まった日の朝、やはり目覚める間際の時間、「一番大切なのは父の気持ち」という思いがふいに浮かびました。

(どうも私は夢や目覚める間際、意識のレベルが低い時に、どこからかメッセージを受け取る傾向があるようです)

 

そうだ、一番はやはり本人の気持ち。

父の気持ちよりも、子供にとっての安心を優先しそうになっていたことに気づかされました。

本人の気持ちを置き去りにしては、肝心の本人の力も出ないでしょう。

 

今回親子3人、それぞれの意見、気持ちを話せたことはよかったなと思っています。

まだ初めの一歩ですが・・・

 

3月ももう終わりですね・・・

 

 

2017年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

脳はパターン化する

3月も半ばなのに、寒い日が続いています。

とはいえ日差しはしっかり春なので、何を着ようかと迷うところ・・・

冬用のコートはもっさりして気分が乗りません。

先日、白いトレンチタイプのスプリングコートを買いました。

軽くて、春らしくて、花粉対策にもなるし、気持ちがアップします。

 

長年、スプリングコートが苦手で、着ることはありませんでした。

20代の頃、トレンチタイプのスプリングコートを買ったものの、うまく着こなせないまま、その年限りで箪笥の肥やしに。

それ以来、スプリングコート=「苦手、似合わない」と脳がパターン化して認識してしまったのですね。

でも本当は、たまたまその時チョイスを間違っただけで、スプリングコート全般が似合わないわけではなかったはず。

 

洋服のことだけでも、いろいろタブーを作っていました。

ロングカーディガンは似合わない、ガウチョパンツなど、身長150センチの私には無理無理・・。

でも本当は着てみたい・・

そう、着たいものを着よう、最近はそう思い始めたのです。

ためしてみると、ロングカーディガンも、ガウチョも案外いけるではないですか。(人の意見はこの際無視)

 

人の脳は赤ちゃんの時から、周りの出来事を「認知、選択し、まとめる」ということを繰り返しています。

すべてを記憶するのでなく、独自に選択してパターンを作り出し、そのパターンにあてはめて処理しようとします。

パターン化は、過去の経験を今に役立てる素晴らしいシステム。

美味しいものを手に入れる、危険を回避するなど、生き延びるのにも不可欠な能力。

 

でもそのパターン化の中には、こう着した窮屈なものもあるかもしれません。

パターンは、今の自分に役立つよう、常にバージョンアップしていく方がいい。

人の脳はクリエイティブで、常に新しいパターンを作り出そうとしているのですから。

 

抵抗しているのは、私自身なんですよね・・・