能を観に

名古屋能楽堂に、能を観に行ってきました。

演目は「杜若」と「藤戸」

間に狂言の「杭か人か」

 

「杜若」で、異世界に連れていかれました。

もちろん面をつけた人間が舞っているわけですが、とてつもない何かが宿っている感じ。

圧倒的な存在感、場の空気感。

その何者かと客席にいる自分との、魂の交流。

理由もなく、涙がとめどなく流れていました。

 

「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

ここにどのような神様がいらっしゃるのかは存じ上げないがが、身に染みるようなありがたさがこみあげてきて、思わず涙がこぼれてしまった。

西行が伊勢神宮で詠んだとされる歌

まさにこの歌の境地です。

 

能とは、心霊と出会い、対話し、亡者を供養するためのものだそうです。

おそらく能楽師は、頭で考えながら舞うのでなく、徹底的に型を身体にたたきこみ、その空っぽの入れ物となった身体に、心霊を迎え入れるのではないかと思います。

舞いの所作、衣装、笛や鼓の音、リズム、舞台、あらゆるものが霊を迎え入れ、供養するための要素なのでしょう。

その場に身を置くと、だんだんと意識のレベルが下がっていくのを感じます。

これは本当に神事だなと感じました。

私も少し、浄化されましたかね・・・

 

昔から、能装束や能面に何故か惹かれていました。

やっぱり能はいいなあ。

 

 

 

 

 

庭木の手入れ

名古屋は雨模様。

庭の草木が喜んでいます。

 

さて、生活感あふれるこのノート。

子供の学習帳の再利用、「庭木の手入れ」の文字もたどたどしく・・・

我が家の庭の樹木別に、季節ごとの手入れをまとめています。

 

引っ越し前からある樫やナンテンに加え、自分たちで植えたトネリコ、オリーブ、バラ、ドウダンツツジ、ソテツ、トキワマンサクなどなど。

計画性なくその時にたまたま目についたものを、テキトーに足していったので、まるでごった煮のような庭です。

植えてから、”こんなに大きくなる木なんだ~”とかいろんなことがわかってきて、テキトーさを反省しました。

数年後の姿とか、季節ごとの姿とかを見越して植えるべきだった・・・

 

でも縁あってうちの庭にきて、根付いてくれた木たち。

それなりのまとまりのある庭に、との思いで、季節ごとに自分で剪定してみます。

それがなんとも楽しいのです!

ひたすらにチョッキンチョッキン。

 

昔、実家がお世話になっていた庭師さんの言葉を思い出しました。

「わしはこの仕事が好きでなあ、寝ても覚めても仕事がしとうてたまらん。休みの日がなければと思う・・」

軽快なはさみの音を響かせながら、にこにことおっしゃったものでした。

 

そんなことを思いだしながら、チョッキンチョッキン。

心がすうっと解放されていくような時間です。

 

アジサイが雨でイキイキ