今日3月22日は母の命日。
今年は7回忌にあたるため、先週実家で簡単な法要を行いました。
前日から兄と二人で大掃除、祭壇をしつらえたり、お花を飾ったり、父の身支度を整えたり。
当日は家族でお経をあげました。
リハーサルもせずにいきなり始めたので、脱線ばかり。
たちまち笑いの神様が下りてきて、まじめにやろうとするほど笑いが止まらない、ついには遺影の母と目が合ってまた笑えてくるという不謹慎この上ない状態となってしまいました(汗)
そしてお墓参りも終え、みんなでお料理をかこみました。
兄は自慢のほら貝を吹き、主人も負けじと篠笛を吹き、父はお料理を全部食べることができました。
家族だけのささやかなものでしたが、あたたかな法要が行えて、ほっとしています。
母も喜んでくれたことでしょう。
母が亡くなってもう6年が経ちました。
その時、印象に残っている出来事があります。
母を火葬で送り出すとき、重い扉が閉まるその瞬間、啓示のように私の中に降りてきたメッセージがありました。
「この世を十分楽しみなさい」
旅立つ母が遺してくれた渾身のメッセージ。
そうだ、人生は楽しむものなんだ。
行きたいところに行き、好きなことをし、食べたいものを食べ、人生は自分が楽しんでいいんだ。
それまでの私と母の関係は?・・というと、依存関係を否定できません。
私が20代の初めごろに、心のバランスをくずした母は、娘への依存がだんだん強くなり、私はそれに完璧にこたえようとしていたのです。
それは私が結婚して実家を遠く離れてからも続き、毎日のように電話をかけてきました。
私の心には自分のこと以上に、いつも母がどっかりと住んでいて、気持ちの上ではいつのまにか母優先、実家優先になってしまっていたのです。
そんな母だったのに、最期にまったく逆のメッセージを送ってくるとは。
先日、星野道夫さんの「旅をする木」というエッセイを読んでいたら、私の体験に通じる体験が書かれていました。
親友が山で遭難して亡くなった後、その死から、ひたすら確かな結論を捜していた、ある時ふっとその答えがみつかった。
それは「好きなことをやっていこう」という強い思いだった。
親友の死はめぐりめぐって、今生きているという実感を僕に与えてくれた。
かけがえのないものの死は、多くの場合、残されたものに あるパワーを与えてゆく。
母が旅立つときの体験からも、本当にそう感じます。
「残されたものに あるパワーをあたえてゆく」
素直にそのパワーを受け取りたい。
7回忌を迎えて、あらためて噛みしめています。