恐山のちょっと不思議な記憶

朝日新聞掲載の「みちものがたり」で青森県の恐山の記事を目にしました。

そうそう、こんなところだった。

30年前、東北一人旅の途中、ふと思い立って訪れたときの遠い記憶が呼び起こされました。

 

恐山・・

死者が集まるおどろおどろしい場所、異形のものがうごめく異界・・

そんなイメージを当時持っていたと思うので、怖いもの見たさで行ってみたくなったのでしょうね。

それと辺境好きが重なって。

 

何かにいざなわれて行った感じもします。

というのは、ちょっと不思議な体験があったのです。

そう、あった(会った)のですよ。

 

恐山へは、下北半島の付け根、野辺地駅からJR大湊線で1時間、下北駅からバスに乗り換えてさらに小1時間です。

大湊線の電車でのこと、私の座った向かいの席にお婆さんの二人連れが座っていらっしゃいました。

ふと目を上げると、真向いのお婆さんが、亡くなった祖母にとても似ている。

「おばあちゃんだ~」

気になってついついお顔を見るばかりしていたんだと思います。

お婆さんもお連れとのおしゃべりの合間に、時々私をみてにっこり。

いい席に座ったなと、なんとなく嬉しい気分で、今度はバスに乗り換えました。

 

恐山行きのバスを待っていると、50歳位(といっても年齢不詳な)のおじさんが同じバスを待っていらっしゃいました。

見知らぬ人にもどんどん話しかける行動的な方でしたが、なぜか私の事が気になったらしく、何かと世話を焼くのです。

お昼は食べたか?困ったことはないか?・・みたいな調子で。

そして駅のキオスクに走っていったかと思うと、恐山に関する本を2冊買ってきて、一冊を私にくださいました。

その方のお顔が、亡くなった祖父にそっくり。

そっくりは言い過ぎですが、十分に祖父の面影がありました。

「今度はおじいちゃんだ!」

さすがに不思議な感じがしました。

 

人々は死者に会いに恐山に行く、というけれど、そんなつもりはなかった私にもひょっとして・・

たまたまとか偶然、で済ませられるほどのことですが、はるばる一人旅の身にとって温かいものに包まれるような出来事でした。

 

悔やまれるのは、祖父似のおじさんに頂いた本をその日の宿に置いてきてしまったこと。

パラパラっとめくり、あ~難しそう・・と思った私は、誰かが読んでくれることを期待して、宿の本棚にそっと忍ばせたのでした。

今思うと、せっかく頂いた本なのに、何てことしたんだろうと思います。

読みたかったし、持っておきたかった。

 

最期を平穏に

先週末の新聞に、「平穏死」という見慣れない言葉が出ていて、その記事を興味深く読みました。

老人ホームの常勤医の方によるエッセイでしたが、私の父も介護施設でお世話になっているので、身近な問題です。

最近ちょうど私が感じていたことと重なって、共感するものがありました。

(本文より)

『人生の最終章で、医療は不要になるときが来る、人は苦しまずに穏やかになくなっていくようにできている。この「平穏死」こそ、老衰で迎える最後の姿なのではないでしょうか』 

老人ホームの常勤医として、多くの終末期の患者さんやそのご家族と接してこられた経験からの言葉に説得力があります。

 

花が枯れていくように、人も本来、だんだん食べられなくなり動けなくなり、最期を迎えるのは自然な姿かと思います。

その過程にあらがうように、一日に必要とされているカロリーを必死に摂取させ、悪いところがみつかれば、負担の大きい検査、手術などの先進医療を受けさせるのが本当に良いのか。

先のある人への医療とは別の、もっと自然な優しいケアがあるはず。

 

父は今、すっかり食欲がなくなり、身体を動かす気力も萎えてきています。

それを見ていると、かくいう私も、何とか食べさせて元気になってもらいたい、もう一度自力で歩いてほしい、こちら側の思いがでてきます。

リハビリに行っても、気力がなくて、やろうとしない父に「もう一回だけやってみようか」と何とかやらせようとします。

ご飯をあまり食べようとしないので、「もう一口、もう一口」と無理に食べさせたり、ペースト状の食事が口に合わないのではと、せめてご飯だけでもお粥にしてもらえないかと職員さんにお願いしてみたり。

 

何とか食べさせよう、何とかリハビリを頑張らせよう、こちらの思いと要求は父にとってとても負担になったようです。

時折いらだちを見せるようになりました。

 

もしかして無理を押し付けているのかもしれないな・・ふと思いました。

 

からだの自然な流れを感じ取り、受け入れていくことも、ある時期からは大切なのではないか、今はそう思っています。

 

  庭のバラをつみました。秋咲に備えて一度剪定。