今日もくねくね

週始めに行く仕事の場所は、ビルの高層階にあります。

いつもは、エレベーターに乗るのは自分一人か、多くて2~3人程度。

ところが先日は、人が溢れかえっていて、エレベーターもすし詰め状態。(新年度の研修会場にでもなっていたのでしょうか

 

満員のエレベーターの中で、肩にキュッと力が入って、身体が緊張していることに気づきました。

生物の本能としての自然な反応ですね。

人間も、自然界の中で危険を察知して、身を守るという能力がプログラムされているのだと思います。

何かあった時、とっさに反応できるよう、身体が準備を始めている状態です。

 

でもいつもいつもこの緊張状態にさらされるとしたら・・

例えば、満員の通勤列車、時間に追われる仕事、対人ストレス、SNS上のさまざまなこと。

ほおっておいても、緊張状態はどんどんやってきます。

この緊張状態を野放しにしていると、いつか心身の不調をまねいても不思議ではありません。

 

子供の頃のこと。

庭の隅で、時間を忘れてアリの巣をせっせと掘り、次々と巣穴からわき出るアリを飽きもせず眺めていた時間。

あれは楽しかったなあ。

何が?と言われても困るけれど・・・

私にとっては、緊張のかけらもない時間として思いだされるのです。

今もあんなふうな、なんの意味もないがとってもリラックスしている時間があるといいのですが、なかなかね。

 

さすがに今はアリの巣をせっせと掘ることはしていない(笑)

でもせめて緊張状態に気づいたら、身体の緊張を解いて、リラックスさせてあげたい。

 

「あれっ、力が入ってる」と気づいたときには、肩を本来の位置にすとんと下げて、身体の力を抜く。

(緊張している時は大体、肩がきゅっと上がっている)

気づいたら肩をすとん。気づいたらすとん。

外にいるときは人目を気にしてここまで。

 

が、家では肩すとんでは物足らず、本能のままに、身体をくねくね。

肩をくねくね、首をくねくね、手も足も胴もくねくね。

巳年の私は、ほぼヘビになって、くねくねほぐしているのです。

 

 娘が小学生の頃の作  何を思って描いたのか・・~>゜)~~~

 

 

ある日のギフト

忙しい一週間でした。

先週末、3日間実家に帰って、毎日施設の父のもとに通い、名古屋に帰るとすぐに公認心理士の現任者講習が4日間、朝から晩まで。

90分の講義を一日に5コマ、それが連続して4日間、感覚型アタマに思考のシャワーはこたえましたが、なんとか乗り切りました!

ふう・・

なんだかんだ言って、意外とやれるものです。

 

激務の毎日を送っている友人が、最近話してくれたこと・・

「自分がどんな状態であっても、忙しく時は過ぎていき、時にギフトが自分のもとに来てくれるのだと思うの」

ギフトって言葉、いいなあと思いました。

 

日々起こることって、「大変」と自分がジャッジすれば大変だけど、ジャッジしないでそのままどっぷりとつかると、すべては自分への「ギフト」なのかもってふと思いました。

そして「ギフト オブ ギフト」とでも呼びたくなること、時々起こりますね。

 

帰省中に施設の父を見舞った最後の日のこと。

その日は施設から直接名古屋に帰るので、施設最寄りのバス停で駅行きのバスを待っていました。

バス停には他に、金髪が目を引く年配の女性がお一人。

少し会話をかわすと、とてもナイーブな女性であることが感じ取れました。

そこに子ども会らしい団体さんがなだれ込んできて、女性はその勢いにはじき出されるようにその場を離れられました。

そして2~3分後に戻ってこられると、「私タクシーを呼んだから、よかったら一緒に乗りませんか」と声をかけてくださいました。

バスは年度末工事のせいでかなり遅れていたし、さっきの会話から行先も同じ笠岡駅のようだったので、喜んでご一緒させてもらうことに。

「じゃ、割り勘にしましょう。私も助かりますので」と申し上げると、

「いいの いいの、私タクシー券持ってるから、気にしないで」とおっしゃる。

すぐにタクシーが到着して、乗り込むと、女性は「笠岡駅経由で、福山までお願いします」と運転手さんに告げられました。

エッ、福山?? 慌てる私。

福山は笠岡とむしろ逆の方向で、笠岡駅を経由すると大回りになるのです。

とてもご迷惑をかけることになる・・せめて笠岡までの料金払わせてもらえないかな・・と心の中で思っていると、それを見透かしたように、「いいの、いいの。これがあるから」とタクシー券を早々と運転手さんに渡されました。

ご好意を受けようと決めました。

笠岡駅につくと「気を付けてね」と何事でもないように声をかけてくださり、私は福山に向かうタクシーを見送ったのでした。

列車に乗って一息つくと、幸せな気持ちに包まれて泣けてきましたね。

ご好意のおかげで、楽に早く帰ることができてとても助かったし、何よりこころが温まった。

 

それにしても見ず知らずのあの女性はどなただったのでしょう。

笠岡駅行きのバスを待っていたはずなのに、結局福山までタクシーで行かれたのはなぜ??

不思議なことだらけ。

福山の亡くなった叔母のことがふと頭をよぎりました。

もしかして叔母が仮の姿でねぎらってくれたのかもしれないなあ。

 

「ギフト オブ ギフト」の出来事でした。

 

 

曖昧なグラデーションの世界で

 最近、予測不可能なことが続いていました。

とはいっても、考えてみればごくごく当然と言うか、ちょっと先のことでさえ人は知るすべを持たない。

 

人も、周りの森羅万象も出来事も、すべての現象はつながって刻刻と変わっていっているのですよね。

点としてみれるものは何一つなくて、あいまいなグラデーションで成り立っていると思うのです。

そんな世界にいて、自分もあいまいな存在でありながら、点だけをとらえて自分の力でコントロールしようとか、今なんとかできるとか、人は錯覚しがちなのではないかと…

 

そんなことを改めて思いました。

 

140年前から今も建築が続く、スペインの世界遺産、サグラダファミリア。

建築家アントニオ・ガウディの意思を継ぎ、後世の人たちにより、2026年の完成とも伝えられています。

ガウディが遺した膨大な資料から、彼が伝えたかったメッセージ、サグラダファミリアに込めた想いを、現代の建築家が読み解こうとするNHKの番組をみました。

 

この世界は絶えず変化していて、すべての現象はとどまっていない。

自然に目をむけると、空の色一つをとっても、すべてグラデーションで成り立っている。

そんなグラデーションの世界に生きているのに、人間はそれにあらがうように、自分でコントロールできると錯覚し、無理な生き方をしているのではないか。

 

内容をうろ覚えでもあり、私の解釈がかなり入っていると思いますが、こんな感じではなかったかな。

ガウディのメッセージが心に沁みます。

 

曖昧さや不確かさを受け入れることって、時に難しい。

でもせめて、「今、答え合わせをしなくてもいいかな」と思うとちょっと穏やかな気持ちになるのです。

 

 市政資料館の桜が満開、思いがけず出会った景色

 

 

あとは儲けもの

春ですね。

昨日、身体の感覚が変わったなと思いました。

冬眠から覚めて、細胞がうごめきだした感じ。

 

そして掃除をしながら、ふと気づきました。

そういえば私、いつのまにか越えていたな・・

そう、ちょっとだけ気にしていた52歳という年齢を過ぎていました。

 

わ~い、何もなかった!

母や叔母、大叔母などの身内が、いづれも52歳あたりで、その後の人生を左右するような病気になったので、私もどこかで警戒していたんですね。

女性の厄年でも何でもないんだけど。

 

高校の時の古典の先生がおっしゃったことを、思い出しました。

「僕はちょっと前に大病をして、運よく生き長らえたので、あとの人生はもうけもの。こうしてみんなに話をするのも、遺言のような気持ちだよ」

なかなかいい境地だな~と、その当時思いました。

ちょうど今の私くらいの年の、何となく好ましく思える男の先生でした。確か「渋谷先生」

 

私は幸いなことに、今のところ大病もなく、どちらかというと平凡な人生。

でも日々起こることは予測不可能で、理想通りにはいかない。

心がざわめくこともある。

 

そんな時、古典の先生ではないけれど、「あとはもうけものの人生」とつぶやいてみる。

そうよ、いまさら守るものも、そうないぞ。

不思議にいろんなことのハードルが下がります。

 

 

 春の色ですね・・ 名古屋城近くで。

 

 

酒好きの遺伝子

子供の頃の憧れだったチョコレート、ロッテのラミーとバッカス。

昨日スーパーで目に留まり、いそいそとラミーをかごに入れました。

 

小銭を握りしめて、10円や20円の駄菓子を買っていた幼い頃、お店の高い棚に並ぶラミーとバッカスは魅惑のチョコレート。

初めて一人でバッカスを買った日。

とろりとした洋酒の豊潤な刺激に感激しながら、一度に一箱全部食べてしまい、鼻血を出してしまったものです。

 

子供のころから、お酒の香りのするものが大好き。

祖母が孫たちに、こっそりふるまってくれる、酒かすや、保命酒かす、自家製の梅酒やあんず酒のおいしかったこと。

 

5~6歳だった私が一人でお留守番をしていたある日、一つの計画を胸に、いつもは祖母だけが開ける戸棚を開けました。

そこには年代物の梅酒瓶がずらり。

その中のひと瓶を取り出し蓋を開けると、次に台所から割りばしを持ってきました。

そして割りばしの先を梅酒に浸しては、チュッと吸い、浸してはチュッと吸い・・

 

もちろん大人たちが帰ってくるまでには、梅酒は元の戸棚におさめましたし、何事もなかったことになるはずでした。

が、外から帰った母と祖母は、とろんとした真っ赤な顔の私を発見。

「大変!熱がある。」母は一瞬そう思ったそうです。

でもすぐに私の留守中の秘密は、ばれることとなり・・

祖母はピンときたのです。

叱られませんでしたね。

 

思えば、大正生まれの祖母も、酒好きの体質だったのでしょうね。

その時代の女性ですから、男のようにお酒を飲むことはなかったけれど、梅酒や酒かす、地元の保命酒というリキュールを好んで口にしていました。

 

その保命酒を造る、福山市鞆の浦(ポニョの舞台となったところ)の蔵元さんが出しているみりんが、先日田舎から送られてきました。

その豊潤な味わい深い風味といったら・・・

料理に使うのはもったいないくらいです。

つい、ついでに一口きゅっと口に含んでしまう私。

祖母の孫ですね・・・

 

状況に身を委ね・・

美容室の帰りに、本屋さんに寄って雑誌を買いました。

私の好きなヤマザキマリさんのインタビュー記事に目が留まりました。

 

「昔から、自分の意思で住む場所を決めたことは一度もなくて、周りの状況にそうさせられるんですよ。・・(中略)・・目標を定めて行動するとか、なぜここにいるのかも考えたことないですね。状況に身を委ねて、目の前のことを全身全霊でやっているだけで」  (ku:nel 3月号より抜粋)

 

う~ん、共感します・・・

20代の頃観た映画のヒロインが、「運命は自分で作るのよ」とすっくと立ちあがるシーンを見て、かっこいいな~と感嘆しましたが、私はそれとは逆の、状況に身を委ねる人生を歩いてきたようです

目の前に流れ着いた船には乗ってみようか・・くらいの感覚。

 

最初の就職は、自分の得意分野とは程遠かったが、たまたまタイミングよく拾ってくれた会社に入った。

名古屋に来たのも、家族の転勤についてきただけで、自分の意思とは関係なかった。

今の仕事をはじめたのは、自分の意思はもちろんあるけれど、いくつもの力が働いて半分は導かれたという感覚が強い。

それでも振り返ってみて、どの経験もよかったなあと思えます。

 

人をざっくりと二つのタイプに分けて、「人生は自分の力で切り拓くのだ」というタイプと、「人生何とかなっていくわ」というタイプがあるとしたら、間違いなく私は後者。

希望とはちょっと違うけれど、これもありかな、今回はこういうことかあ~と結構あっさり受けいれてしまうんですね。

 

そもそもこの世は、いいか悪いか、黒か白か、はっきり分けられることで成り立ってはいないし、人の心にしても、こんな気持ちもあるし、一方でこんな気持ちもある。

曖昧で成り立っているように思うのです。

 

娘は今、受験の真っ最中で、どこを受けるのか、どの方法でうけるのか、あれこれ出願手続きやらをしています。

自分の希望を第一に考えながらも、サイコロを転がしているような感覚です。

 

サイコロのどの目が出るか、私は興味を持って見守っていきましょう。

そして目がでたら、その目に委ねて。

どの目も、いい悪いと判断できないところが人生の面白いところ・・・

 

今日のおやつ♡岡山の大手饅頭と自家製リンゴの赤ワイン煮♡

 

 

 

 

 

父と叔父のこと

暮れからお正月にかけて実家に帰省しました。

滞在中は時間の許す限り、介護施設の父を見舞いました。

 

施設に入って4か月、新たなコミュニティの中においていただき、それが父の日常になりつつあるようです。

ひと時代前の長男としてとてもわがままに育ったワンマンな父ですが、それでも今、施設で温かく受け入れられている様子をみると、勝手ながらよかったなと思います。

 

中でも、私がとてもありがたく感じているエピソード。

施設の同部屋に、5年前亡くなった父の弟によく似た方がいらっしゃるのです。

 

2か月前、私が初めて施設を訪れ、食堂での昼食の時間に同席させてもらっている時でした。

父が「○○がいる」と言ったかと思うと、車いすで近くを通ったある入所者さんに手をあげて挨拶したのです。

○○というのは、5年前に亡くなった父の弟の名前、私にとっては叔父です。

う~ん、確かに生前の叔父の雰囲気がある・・

 

認知症が進んでいる父は、弟が亡くなったこともわかっていないようで、本当にその方を弟と思っているようです。

「○○が毎日おるんじゃ」

そりゃそうだわ、入所者さんだから毎日いらっしゃいます。

可笑しさと同時に、神様はなんて粋な計らいをしてくださっているのだろうと思いました。

職員さんによれば、父はその方を見かけるたび「○○がいる」と反応しているとのこと。

 

今回私が行った時も、父は変わらずその方を弟の○○として見ていました。

ありがたいことに、その方はちっとも嫌がらず、間違われていることをむしろ楽しんでいるご様子。

「わしは誰に似とるんだったけ?」と私と兄に聞きに来られたので、父の弟のことをお話しすると、それを嬉々として職員さんに報告に行かれるのです。

そして何かと父のことを気にして、「今日はきれいに食べれたな・・」とか声をかけてもくださる。

 

実は、父と生前の叔父は、兄弟の中でも犬猿の仲(実際に戌年と申年だった)

それなのに、今の認知の進んだ父からは」「弟が好き」という気持ちが伝わってきます。

現実のあれこれの中でぶつかることの多い兄弟でしたが、それがなくなった今、本当はとても深いつながりを持った弟だったのだなと思います。

 

先日友人に、叔父に似た入所者さんのエピソードを話したら、

「その方って叔父様そのものじゃないかな~、叔父様は今、お兄さんから慕われて、同じ時を天国で喜びながら過ごされている、そんな風に感じるよ」と言われたのです。

 

亡くなった叔父がとても力になってくれている、というのは今までも感じていました。

昨年あたりから、叔父との縁を感じる出来事が時々ありましたし・・

 

でもそれだけでなく、「叔父も父とのかかわりを喜びながら過ごしている」という見方はとても嬉しいものでした。

叔父の想いを感じ、温かで心強いものに満たされるよう。

 

今見える現実だけでなく、時空を超えた壮大なものにつながっているのですね。

私たちはきっと・・・