叔母のびわ

岡山の叔母が庭でとれたビワを送ってくれました。

懐かしい“茂木”ビワ

葉っぱ付きで野趣あふれるビワをかかえると、子供の頃にタイムスリップするよう。

幼い頃、縁側に腰かけて、かご一杯のビワを夢中で食べたものです。

 

昔、実家では海を見下ろす山の斜面でたくさんのビワをつくり、出荷していました。

”茂木”と”田中”という2品種を作っていましたが、茂木は私のとりわけ好きな品種。

 

叔母に早速お礼の電話をし、互いにビワにまつわる思い出を語り合ったのでした。

幼い叔母は、学校から帰ると妹と走って畑に行ったこと、ビワ畑からの眺めがどんなに素晴らしかったか、海の向こうの島から聞こえるレジャーボート客のへのアナウンス・・

年は違っても、私も同じ家に生まれ、心の景色を共有している。

 

おととしだったか、名古屋に住むいとこ(叔母の娘)の、引っ越しの荷造りを手伝いに行った時のこと。

岡山から駆けつけた叔母は、おやつに庭でとれたビワを持参していました。

さあ、荷造り作業に取り掛かろうとしたとき、やにわに叔母が、ビワの皮を次々とむぎだしたのです。

そして「ハイ、食べなさい○○ちゃん、次、○○ちゃん」

いとこと私に交互にビワをむいでくれる。

食べたら次のビワがひょいと目の前にくる。パクっと食べると次のビワがひょい。

口を開けて餌を待つ鳥のヒナか、わんこそばかという状態。

そろそろ70歳になろうかと言う叔母が、40代の娘と50代の姪のためにせっせとビワの皮をむく・・

もし他人が見れば、そうとう不思議な光景だったでしょうね ( ゚Д゚)( ゚Д゚)

 

子や孫の多い叔母が、私の家まで気にかけて、庭のたった一本の木からとれるビワを送ってくれる。

ありがたいことです。

 

そして叔母が今年最後に収穫したビワは、亡くなった叔母の妹のもとにいったそうです。

叔母はその日偶然の出来事が重なって、たまたま近くの和食屋さんを訪れると、そこで数年ぶりに姪(亡くなった妹の娘)にばったり会ったそう。

二人は偶然の出会いに驚き喜び、叔母は帰りにビワをとりに寄るよう姪をを誘ったそうです。

そして「これはお母さんに供えてね」とビワを託すことができた。

 

「私にもビワにをちょうだい、と妹が言ってきたんだと思う」と叔母。

こうして叔母のビワは、縁のある人たちに、今年も届いたようです。

 

ゆるさ加減

神島(こうのしま:岡山県笠岡市)の入り江の風景です。

 

父が入所している介護施設のテラスでひとり、コンビニパンと缶コーヒーでランチ。

海からのやさしい風に吹かれながら、磯のかおりも心地いい。

フェリーや漁船が白波をたてて行きかう様子は見ていて飽きません。

海のそばにいると安らぎます。

 

神島は子供のころ、キラキラ光る海の向こうにかすんで見える、いつも眺めていた島。

いいところに生まれたな~と今更ながらに思います。

風光明媚で、穏やかな瀬戸内の風土。

海の幸に恵まれ、ビワやイチジク、モモ、ミカン、ブドウなど果物がそれはそれは美味しい。

この地に居をかまえたわが祖先、なかなかのセンスです。

 

実家の父に顔をみせるという理由のもと、時々故郷に帰りますが、本当は自分のために帰っているのかもしれません。

生まれたときから自分を育んでくれた風土に、2~3日でも身をおくと、充電される実感があります。

 

人ものんびりしたものです。

バスに乗れば、初老の運転手さんが

「あれっ、さっきのバス停で誰か降りるんだったん? 向こうの車に気を取られて停まるの忘れとったわ・・」

高校生の女の子:「私でーす、降りたかったでーす」

運転手さん:「あ~お姉さんだったん? ごめんなあ、もう一回くるっと周って止まるからな」

女の子:「ありがとございまーす」

そのやり取りを数人の乗客が、にこにこと顔を見合わせながら楽しんでいる。

 

タクシーに乗って行先(実家)を告げると、運転手さん

「○○さんを知っとる?近所じゃないの?あそこの長男さんは今、○○の仕事をしとるんで。横浜にいる娘さんは、○○病院にお父さんが入院しとってな、時々帰られるよ。この前も僕が乗せたわ」

プライバシーも何もあったものじゃありません。

きっと私のことも、そのうち(名古屋から時々父の見舞いに帰る娘さん)として車中で語られることでしょう。

 

地域全体ににながれている、そんなゆるさ加減。

個人的にはほっとする面もあるのです。