古代人の大航海

自分の祖先はどこからきたんだろう、いつしか興味を持つようになりました。

700万年前にアフリカで始まった人類は、約6万年前にアフリカを飛び出して世界各地に散らばったとのこと。

グレートジャーニーですね。

 

日本人の祖先は3つのルートに分かれて、日本にたどり着いたとされています。

シベリアからの「北方ルート」、朝鮮半島から対馬への「南方ルート」、インドネシアから沖縄への「海洋ルート」

私の祖先はどこから・・・?

 

昨日、NHKクローズアップ現代「3万年前の大航海、日本人のルーツに迫る」をみました。

なぜ、古代人は大海原を超え、日本列島に到達できたのか、この謎に挑む人類学者や考古学者たちが、、実際に古代の技術や道具で製作した船で、台湾から与那国島を目指す実験に挑むというものでした。

 

小さな丸太の船に、漕ぎ手が5人、地図もコンパスも使わず、太陽や星の位置、潮の流れや雲、自然の中の情報だけを頼りに古代人になりきっての航海。

実際の条件に大きく左右される、過酷な航海。

ずいぶん予定の時間をオーバーし、それでも見事、与那国島上陸に成功したのです。

 

すごい。人の力ってすごい。

 

例えば、心身の限界にさらされた時に、内から出てくる感性。

一人が海に飛び込んでゲラゲラ笑いだす。他の仲間もそれに続き、みんなでゲラゲラ。

頭でなんとかしよう、だけではうまくいかない時に、ふいに出てくるものがある。

 

最後、体力の限界の中で一同爆睡、流れに身を預けた結果、黒潮に運ばれ、たどり着くという、なんともおとぎ話のようなフィニッシュ。

人っていったい何なんだろう。

ある瞬間に人に与えられる、自然からのとてつもない何かとか、大きなものとのつながり。

サムシンググレートとでも呼べばいいのでしょうか。

3万年前の古代人も、今回のメンバーもきっと、何か同じような感覚を味わったのでは? と思います。

 

子供の時、海岸沿いの岩場をどんどん歩いて見知らぬ場所に行くことが好きでした。

知らないところに行ってみたい。

明日はもっと先まで行ってみよう。

人は見知らぬ場所にあこがれるものかもしれません。

でもそれだけで、命を懸けた航海をするとは思えない。

 

女性の漕ぎ手の言葉が印象的でした。

「海を渡って思ったこと、夢ばかりではなく、何か今のところを出たい、出なきゃいけないというマイナス面があったのだと思う。変化の先に光を見出したかったのではないか。」

 

グレートジャーニーとは、はじき出された人たちの再生の物語かもしれません。

そしてそれを助ける、何か大きな力が現れたように思えるのです。

 

一杯のコーヒー

毎日のように自分で豆をひき、コーヒーを飲みます。

 

コーヒーほど世界中で愛されている飲み物はないかもしれませんね。

 

20年以上前に写真展で出会い、とても心に残っている写真があります。

写真:長倉洋海 写真集 「サルバドル」より

題名: 町の食堂で、一杯のコーヒーを大切に飲む老農夫1984.12

説明には「ラ・パルマの町の小さな食堂で撮影。老人はソンブレロ(帽子)と節くれだった手から農民に見えた。買い物に町に来たのだろう。コーヒー一杯で遠慮したのかイスにも座らず、味わうようにゆっくり飲む姿が印象的だった」とあります。

 

久しぶりに、手元にある写真集を広げると、やはり心が動きます。

老人の奥ゆかしいたたずまい。

日ごろの労働を物語る節くれだった手で、大切にコーヒーを持ち、一人でゆっくりと味わっている。

一杯のコーヒーとこの刹那が、この老人にとってどれほど貴重なものなのでしょう。

人間への愛おしさが溢れていて、撮影者の温かいまなざしがあります。

 

この写真に出会った当時の私は、周りのみんなが飲むからくらいの理由で、習慣的にコーヒーを飲んでいたので、一杯のコーヒーをこんなにも大事に飲んでいる人がいるのだ、とハッとする経験でした。

 

今も、毎日コーヒーを入れていると、日によっては粗雑に入れるときもあり、全部飲まずに残すこともあり・・

 

この写真をみると、一杯の飲物が人にとってどういうものであるか、改めて考えるのです。