ゆとりを持って

もうそろそろ、走るおばさんをやめたい…と切に思います。

 

時間にぎりぎりの行動ゆえ、駅まで異様な速足となり、点滅の青信号を走り抜け、駅の階段を駆け上がる羽目になります。

毎回ではない、でも5回に一度はこうなってしまう。

スタートがこうだと、その日一日なんとなく落ち着かない感が、自分の中で漂ってしまうこともあります。

折角の一日がもったいないです。

 

なぜ、こんなぎりぎりの行動になってしまうのか…

私の場合、着ていく洋服に迷うことが、しばしば原因です。

その日の気分で、この服とこの服にしよう、と着てみる。

そして鏡を見ると、ちょっと気分と違う、スカーフがうまく結べない、上着とのバランスが悪かった、などの想いが湧いてくる。

「ま、いいや。今日はこの服」で済ませられるといいですが、私の場合、ここから戦いが始まるのです。

別のスカートにはき替えてみる、いや、これも変、パンツにしてみる、あーバランスが悪い、いっそのこと上を変えてみよう、あーこれでは首元が寒い、合う巻物はどれだー、終わりのないゲームが始まってしまうのです。

やれやれ、やっと決まった!と思って上着を羽織る。

がーん、上着とのバランスがとっても悪いよう( ;∀;)、どうすりゃいいの私…(泣)

 

ちなみにこれらの作業は一階と二階を駆け足で往復しながらというハードワーク。

二階にクローゼットと箪笥があり、全身が映る鏡は一階にしかないという構造上のロスゆえ。

こんなことしてるから、ぎりぎりになるのです。

 

いつも何やっているんだろうな~と自分で思います。

前の日に翌日の服を準備しておくという方がいますが、あれがどうもできないのですよね。

明日の気分はわからない、明日の天気はわからない、明日のことは何もわからない。

 

けれど、そろそろ走るおばさんは卒業したい。

新年は、ゆとりを持ってもう少し落ち着いた大人になりたい。

年の瀬のささやかな抱負です。

 

メリークリスマス★ 素敵な一日を(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

手を動かす

自分の手で何かを作ることが好きです。

この秋は、コーディロイのブラウスを2着作りました。

 

 

こんな簡単なブラウスとはいえ、自分の手で物を作り上げることには喜びがあります。

 

芸術家のクマさん(篠原勝之さん)のお母さんは、クマさんが上京する際に、

「寂しくなったら手作業をしなさい。動かしていると寂しくなくなるから」とおっしゃったそう。

以前伯母も似たようなことを話してくれました。

辛いとき、後から振り返ると、ひたすら縫物をして過ごしていた、それで乗り切ることができたのよって。

 

寂しい、辛いに限らず、なんとなく心がすっきりしないとか、なんか冴えない時ってありますよね。

私は手を動かすことが、とても自分を整えてくれるような気がします。

 

なぜなのでしょう。

 

私なりの考えなのですが、理由の一つに「気」が関わっているのではないか。

手のひらは体の中でも一番「気」が出ている場所と聞いたことがあります。

「気」=「生命エネルギー」と言い換えてもいいのかも知れません。

手を使うことによって、気(エネルギー)が活性化され、整えられたり、元気が出たりするのでは……

この仮説どうでしょうかね。

気功師さんとか専門家に会ったら、ぜひ聞いてみたいと思います!

 

ものを創る過程は、とても奥深いものだと感じます。

一つ一つの作業は、やがて全体へとつながり、その一連のプロセスにすうっと一筋の線が通っているようだと、「いいものができた」と思える。

その基本になっているのは、「手を動かす」こと。

 

どんな単純な手作業もバカにしてはいけない。

どんなこともこの世の真理に通じていると、最近思うのです。

 

さて、そろそろ夕食の準備に取り掛からなければ…

今から台所でせっせと手を動かしまするヽ(^o^)丿