従姉の散歩

先日の夜、久しぶりの従姉に電話したら、「今からお散歩、ちょうど外に出たとこよ」とのこと。

道路わきを歩いているのか、バックで車の騒音が響いていました。

 

従姉が口にした「散歩」という言葉が、懐かしくちょっと嬉しくなりました。

そう、この従姉との思い出は、私にとって「散歩」とセット。

 

子供の頃の夏、母方の従姉妹たちは、都会を離れ、広島の山間部で一人暮らす祖母の家に避暑に集まるのが恒例でした。

(私の場合は海の田舎から山の田舎への移動でしたが)

そんな夏の昼下がり、「散歩行かへん?」とよく誘ってくれたのはこの従姉です。

他のいとこもいる中、自分がこの年長の従姉に誘ってもらえることが、誇らしく少し大人になったような気持ちだったことを覚えています。

たわいのない話をしながら、山道を歩き、川のほとりを歩き、風が運んでくる牛舎の匂いを嗅ぎながら神社で一休み、そんな時間でした。

 

姉妹のいない私にとって、年上の彼女からこぼれるあれこれは、あこがれ。

都会生活の香り、垢ぬけた持ち物、洋服。

読書の楽しみを広げてくれたのもこの従姉。

小学生の時紹介してくれた本、「歌うこうもり傘「」はとびっきり面白かった。

高校の頃だったか、自分がちょうど読み終えた文庫本をひょいとくれたこともありました。

石川辰三の「青春の蹉跌」

遠藤周作の「彼の生き方」もいつか薦めてくれた本、そのエンディングの感動は、今でも心に残っています。

 

お互いに社会人になり、いつしか疎遠になっていたけれど、またあの頃のように、散歩しながら話したいなあ。

 

まずは私も近所を歩いてみよう。

そうだ、娘も誘って…

「ねえねえ、お散歩行かない?」

「行かない」

即答でしたね、あはは…

では一人でお散歩、行ってきまーす!

 

 今年もにょっきり姿を現したナルコユリ

 

 今は公園も閑散としていた

 

 

 

思いもよらない

思いもよらないことが起って、思いもよらない影響を受けている。

日に日にその深刻さは増している。

今、多くの人がが共通して感じていることではないでしょうか。

 

新型コロナによる影響、誰一人として、蚊帳の外の人はいない。

私も仕事のこと、家族のこと、多くの影響を受けています。

仕事関係の会議などは延期やメール形式に変更、この春から大学生の娘は、対面授業の延期と寮の閉鎖により10日で家にとんぼ返り。

主人の母は1週間前外科手術を受けましたが、面会禁止で見舞うことはできず、同様に介護施設にいる実家の父にも会うことがかないません。

 

みんながそれぞれの事情を抱えて生活している。

先月あたりから何となく人々が焦っている感じや、寛容性がなくなっている傾向を感じます。

買い物に出れば、店員さんやお客さんのとげとげした物言い、せかすような態度にたびたび出合う。

一人一人の中に、不安や心配、焦り、無力感、様々なことが起きているのだと思います。

想いを馳せるくらいのことしかできない。

 

そんな中でも、ほっとするような笑顔の方、寛容さ、優しさを感じさせる方も多くいらっしゃる。

 

さてマスク不足、深刻です。

友人の「マスクがなくなった」とのつぶやきをきっかけに、マスク作ってみました。

少しずつでも作って、使ってくださる方にプレゼントしたいと思います。

材料を買いに走った手芸店にも、いつもと違う光景が…

店内はマスク材料を求める人であふれ、生地のカットコーナーは行列、ゴムを求める人の行列も店の外まで続いている。

店員さんがひっきりなしに「間をあけて並んでください」と声をかけ、「白のダブルガーゼ完売しました」の店内放送。

いつもは行列を見ただけであきらめる私ですが、今回は並びました。

リスキーな集団を作っている一人であることを、自覚しながら…

 

こんな人間界の右往左往とはうらはらに、外ではいつものように鳥がさえずり、サクラは咲いて散ってゆく。

どこまでも広がる青空をみあげ、新芽の香りを嗅ぎながら、思わず深呼吸しました。

自分のリズムは、変わらずここにある。