生き物がかり

1か月ほど前、最後の一匹だったアカヒレがとうとう死んでしまいました。

アカヒレの寿命が2~3年といわれるなか、何と10年の長寿。

10年前、10匹で飼い始め、5~6年で5~6匹になり、2年くらい前に2匹になり、この1年は一匹になっていました。

庭のスイートピーの花の下に埋めて弔いました。

主を失った水槽は、1か月そのままにし、家族にもアカヒレが死んだことを、たまたま言わないで過ぎていた。

(というか、いつ気づくんだろうと意地悪な気持ちもちょっぴり芽生え……)

 

先日やっと水槽を丸ごと洗い、庭に干していたら、やっと気づいた夫、「アカヒレ死んだん?」だって。

ほーら、関心がないんだなー、毎日水槽のそばを通っているのに、まるで見ていない。

生き物との相性はこの違いだなと、思ったものです。

何か生き物を飼っていると、日に何度も様子を見ずにはいられない私。

いつのまにか、我が家の「生き物がかり」となった。

生き物の「採集がかり」は娘、子供の頃は、いろいろ採ってきたものです。

成虫だけでなく、カマキリの卵、アゲハの幼虫、ヤゴ、クワガタの幼虫、アマガエル、トカゲなども。

最初こそ、みんないそいそと昆虫ゼリーを買ってきたり、ヤゴのために冷凍赤虫を買ってきたりするのですが、そうやってみんなで準備した飼育ハウスも、いつのまにか「ただ置いとくハウス」になる。

 

気がつけば、私一人が黙々と世話をしている。

クワガタの飼育水槽に霧吹きをしたり、ヤゴにアカムシを与えたり、蝶の幼虫に新しい葉っぱを与えたり。

素人の世話ながら、ヤゴはトンボになり、アゲハの幼虫は見事なアゲハとなり、すべて外の世界に還っていきました。

いろいろ生き物を飼ってきて思うのは、生き物というのは、正しい飼育法だけでは上手くいかなんじゃないかということ。

興味を持って見続ける、心を寄せ続けることがとても大事なんじゃないか……と思うのです。

そして世話をしているこちらが優位なんじゃなくて、きっと小さな命から何かをもらっているのは私の方なんでしょうね。

 

    イトトンボが2匹 色違いで…

 

    大津 竹林院の邸宅からお庭を眺める

 

 

さなげやまに登る

久しぶりに山に登りました。

豊田市と瀬戸市にまたがる標高629m、猿投山(さなげやま)

その日は朝から雨、今日は山登り無理かな…と思いつつ向かう道中に雨は上がり、運良く駐車場の最後の1台分に車も停めれた。

これは登るしかない!!

ただ、半ばあきらめていたので、中途半端ないでたち。

登山靴は念のため車に積んできたものの、靴下は普段用、ジーンズにショルダーバッグの斜めがけというお散歩スタイル。

5年ぶりくらいに履く登山靴は、短い靴下のためか、向こう脛にあたって痛い、途中で我慢できなくなった時のためにスニーカーも持って登ることにした。

ところが小さいショルダーバックには入るはずもなく、予備の袋として使えそうなのは、バッグの底から出てきた名古屋市指定のごみ袋。

この際、恰好など言っておれない、迷わずゴミ袋にスニーカーと上着を入れて持つと、まるで山のゴミを回収して歩くいい人みたいな見かけになった。

ゴミ袋片手にザクザク登る。

普段動いていないので身体が重い。

1時間ほど登ってやっとペースがつかめてきました。

 途中の展望台からの眺め

 

 カナヘビものびのび…

清涼な風が渡っていきます。

密ではないので、他の登山者もマスクフリー。

それぞれのペースで、初夏の山を楽しんでいらっしゃいました。

 

ヒイヒイいっている我らの傍らを、「こんにちは~」とスタスタ、風のように追い越していく若者がいた。

日焼けした顔にかかる長髪を無造作に束ね、なんと足元はわらじ。

その彼に再び会ったのは、こちらがやっと東の宮という神社に着いたとき。

とっくに登頂を終え、下る途中だったようですが、今度はなんと裸足になっていました。

満面の笑みで、神社の階段を下りて来られる姿は、山の神ではないかと思ってしまうほど。

「いい笑顔だったねー、仙人みたい…」と連れの家族。

あんな佇まいでいられたらなあ……

 

それから30分、俗世まみれの我らも、足の不調を訴えつつ、ウグイスやホトトギスの鳴き声を大げさに愛でつつ、無事山頂にたどり着いたのでした。

山頂で食べたミカンと、ぱりんこはおいしかった。

 

霊山といわれる猿投山、パワーをいただけたかな。

こういうことが頭をよぎるあたり、やはり俗世まみれですな……

 

 カエル岩 目と口が描いてあった(;一_一)