泥棒をみて縄を

ご近所の小学生の兄弟、朝から大きなビニールプールで喚声、水しぶきをあげています。

この世にこれ以上の楽しいことはない、というくらいのはしゃぎよう。

いいなあ、私もはるか昔に覚えがある。

きっと夏休みの宿題も済ませ、残りわずかな時間をおう歌してるのでしょうね。

 

ところで、うちの娘は宿題をためる常習犯でした。

8月31日と言えば、娘が一年の内で一番机に向かった日です。

おおむね手間のかかる宿題はすべて残っている。

「あっ、まだ習字を書いてなかった」

そして硯や墨汁を机に広げてから、のたまうのです。

「あっ、半紙が無かった」

そして31日の夜、閉店間際のお店に半紙を買いに走る……

そんなことばかりしてましたね。

 

宿題は深夜になっても終わる兆しなく、無情にも9/1がやってくる。

ただ、小学校では「二日間に分けて夏休みの宿題を出す」というありがたいシステムだったのです。

そのおかげでなんとかなっていた記憶があります。(いや、何とかなっていなかったのかもしれない、自信なし)

 

娘のそんな様子を目にするたび、「泥棒をみて縄をなう」とはこのことだ、と思ったものです。

あれは中学校の時だったか、高校の時だったか、登校前に、慌てた様子で探し物をしている。

聞けば、「テスト範囲を書いた紙がない…」だそうな。

テスト当日の話ですよ。

登校前に何かをさがしまわるのは、ほぼ毎日の光景で珍しくもなかったが、おぬしテスト勉強というものもしていなかったのか……(;一_一)

 

中3の時の国語の授業では、好きなことわざとその理由を、クラスのみんなの前でスピーチするというのがありました。

発表前夜になって、すっかり忘れていたその課題を思い出した娘、急には好きなことわざを思いつかない。

「ま、明日は明日の風が吹く、なんとかなるよ」と、うかつにも声をかけた。

娘はちゃっかり「明日は明日の風が吹く」のことわざについてスピーチしたという。

「何も準備できてなかったけど、こうして今スピーチしてるじゃないですか、なんとかなるもんです」みたいなことをその場で思いつくまましゃべったら、幸か不幸かそれが大受けしたらしい。

 

こうして「泥棒を見て縄をなう」傾向はいまだ続いているもよう。

大学のネット提出の課題は、だいたい締め切り時間の数十秒前、たまに半日も前に出そうものなら得意になっている。

対面授業での発表の資料は、当日の朝に間に合わず、開始ぎりぎりまで大学の構内でパワーポイント作成などしているらしい。

 

私は、まあまあ計画的にやるほうなので、娘には随分やヤキモキさせられてきました。

「もう少し余裕をもってやろうよ」と事あるごとに言ってきましたが、変わりませんでした。

ここまできたら、もう好きなようにやっておくれと思ってます。

この呑気さもまた、彼女の強さではないかと。

 

人に何かを求めるとき、自分の不安からきていることが多いのですよね。

 

    5月に挿し木にしたバラ、ぐんぐん伸びている

川の匂い

2年ぶりに母方の先祖のお墓に参ってきました。

広島県の山あいの村、山野町というところです。

実家の兄と急に思い立って出かけました。

 

山の斜面の集合墓地からは、村全体をほぼ見渡すことができます。

子供の頃、毎年夏休みに避暑に訪れていた懐かしい風景。

夏休みに滞在中は、いとこたちと毎日のように泳ぎ、魚とりをしたものです。

村の中央を小田川という一級河川が流れ、三角屋根の保育園や、プール付きの小学校、川沿いにいくつかの商店も並んでいて、郵便局や美容室まである。

田舎ではありましたが、子供の目にはちょっとした文化も感じるところでした。

なにしろ、自分の家は瀬戸内海の小さな入り江の何もない村で、唯一のよろず屋には漫画本すら売っていなかった…

それでも父方は海、母方は川、それぞれの自然と文化を享受することができた子供時代は、今思うとなかなかに贅沢ですね。

 

お墓参りの後、かつて泳いで遊んだ川に行ってみました。

道路から川を見下ろした瞬間、ふわっと川の匂いが立ち上ってきました。

「あー、山野の川の匂いじゃ」と兄

「うーん、山野の川の匂い……」私も思わず口に出る。

川の匂いに誘われ、二人とも一瞬、数十年前の子供時代にタイムスリップしたのでした。

 

川から歩いて1分、かつて毎年夏に滞在した母の実家のそばまで行ってみました。

懐かしい母屋、今では人手に渡り、他人の家となっています。

20数年前、祖母と伯父が相次いで亡くなり、身内に住む者もなくて手放したのですね。

子供の頃滞在した離れと、隣にあった蔵はなくなって更地になっていました。

家の周りを囲っていた土塀も、残骸といった趣で少し残っているのみ。

年月の経過を思うと同時に、古い母屋を大事に保存して住んでくださっていること、ありがたく思いました。

 

母は生まれ育ったこの土地を愛してやまず、特別な思いを持ち続けていました。

五感に刻まれた大切な記憶なのだと思います。

 

五感と言えば魚類は嗅覚が発達しているそうです。

海を回遊したサケが、生まれた川に帰ってくるのは、川の匂いをかぎ分けているからだとか。

水中のアミノ酸組成を嗅ぎ分け、その匂いの違いを道しるべとして、正確に生まれた川に戻ってくるのだそうです。

すごいですね。

 

私と兄が思わず「山野の川の匂い…」とつぶやいたとき、種を超えて魚になっていたのかも知れません。