先の心配

多くの人が「先の心配」をします。

私も例外ではありません(笑)

 

カウンセリングでもしばしば、「先の心配」がテーマの一つに出てきます。

きっとこうなるに違いないとか、ネガティブな可能性を一つ一つイメージして、まだ起こってもいないことで悩む。

子供の将来、親のこと、仕事のこと、家族関係のこと、体調のことなどなど。

こう挙げると、私自身も何一つとして無関係なものはなく、暗澹たる思いになりそう。

 

先の心配に巻き込まれそうになった時、私のちょっとした対処法。

「明日の私に任せよう」と自分に声をかけます。

 

あらゆる出来事は、個人の中で完結することは一つとしてない。

人も森羅万象の中にあって、自分も周りの人も、社会も、自然現象も、常に刻々と動いている。

そんな動的世界の中で、「明日の私」を「今日の私」が心配をしてもね。

 

明日は、明日の私に任せよう!

先は先、どーんと委ねていいかなと思います。

ネガティブな未来ばかりをイメージして、本当にその現実を引き寄せることのないようにしたいものです。

 

過去でも未来でもなく「今」

思考にとらわれず、「今」の体験にすっぽりと身を委ねる、そんなスタンスでいると不思議と現実がうまく流れていくような気がします。

心配してたことが、偶然の成り行きでうまくいったなんてこと、結構ありませんか?

 

この世は捨てたものではないです(*´ω`)

 

 ゴミ用ネットでバッタがぴょんぴょん

 

 

気になったらやってみる

残念 残念 あー残念・・・

何が残念かというと、コンサート後の握手会に参加をあきらめたこと。

くすん・・( ;∀;)

 

昨夜、「東儀秀樹×古澤巌×cobaコンサートツアー2019」に行ったのです。

そして終了後、握手会の長い列に並んでいたのですが、前の方の様子はわからず、順番がくるのにものすごく時間かかるかも・・と一瞬の迷いで列を離れ、帰ってしまったのでした。

ところが列を離れた瞬間から、後ろ髪引かれる思いに。

帰り道ひたすら、「あーやっぱり握手したかった、そばでオーラを感じてみたかった」と悔やんでしまったのです。

 

「残念、残念」と一人つぶやいているうちに気づきました。

残念は「念」が「残る」と書きます。

やはり心に「念」を残すべきではないですね。

気になることははとりあえず体験してみなければ。

「気になること」=「自分のエネルギーになること」なのかも知れません。

それをやらないなんて、勿体ない。

 

帰りが少しくらい遅くなったっていいではないですか。

気になることをあきらめてはいけませんね、ほんとに。

 

さてコンサートはすごくよかったです。

(撮影OKのタイムがありました)

 

東儀さんはロックをやっても、美しくやんごとなき雰囲気を醸し出しておられてうっとりしましたし、古澤さんとcobaさんのセッションは、「風神雷神図」から飛び出したようなエネルギーの炸裂でした。

またソロでは一瞬にして、「なに、これは?」という独特の世界にいざなわれました。

それぞれの世界をもっと深く感じてみたい、とても気になっているので、またチャンスを見つけます!

 

 

 大きな大きなショートケーキ 試験の合格祝いに娘からのプレゼント

 

 

 

 

 

人と植物

庭に咲いていたバラ。

この残暑の中で花びらは反り返り、葉は虫食いだらけ。

けれど、この野性味あふれる強さに魅かれます。

 

買ってきたお花は、室内でも暑さにやられてすぐにダメになってしまいますが、炎天下にさらされて咲いたお花はさすがに強い。

切り花にして数日を経てなお、凛としたパワーを放っています。

 

ふとした瞬間に、視線を感じて目をやると、このバラがじっとこちらを見ている。

そんなとき、バラと私の間に、何かしら言葉のない交流が生まれているような気がするのです。

「星の王子さま」に出てくる王子さまとバラのように、普通に会話できたら楽しいだろうけれど、それはそれで気が抜けないかも。

やっぱりこれくらいの距離感がいいかな(笑)

 

生物の進化でみると、植物も動物も40億年前は共通祖先だったといいます。

生命の誕生は、まず細菌などの原核生物が現れ、そこから分かれて、核をもつ真核生物が現れたということです。

私たち人間も、動物も植物もすべて真核生物に分類されるというわけですね。

 

人が花に魅かれたり、癒されたりするのは、このような原初的なつながりがあるからなのではないか。

大きくとらえると、「植物と人って親戚みたいなもんかな・・」と大雑把な私は思います。

 

とてもつらい時、お花に助けられたと話してくれた人がいました。

その方は、生きていることがとてもしんどかったある時期、仕事帰りに毎日、一輪のバラを買ったのだそうです。

そしてそのバラをただじーっと眺めながら、時間を過ごした。

その時はそうすることしか思いつかなかったのだとか。

 

私は動物にも植物にも普通に声を掛けます。

剪定ををするとき、また枯れたお花を切るとき、「こめんね、今までありがとね」みたいな言葉を自然とつぶやいている。

 

人と植物ってもっと仲良くできるのではないかな・・・

山の怪

子供のころから不思議な話に魅かれます。

手元にある「山怪」シリーズ。

副題に「山人が語る不思議な話」とあります。

マタギなど山の仕事を生業としている人や、山里に住む人たちの実体験を丁寧に取材し、不思議な話を集めたものです。

 

文庫本が出たので、お盆に実家に持ち帰って読もうと思っていたのですが、実家の離れで深夜一人読むのはやはり怖い(旧い実家もまたいろいろと不思議なことがある家)

名古屋に帰ってから一気に読み終えました。

 

それにしても山という場所は無限につかみどころがない。

説明のつかない、いろんなことが起こるところですね。

収録されている話は、多岐に及びます。

山で不思議なものを見る、声が聞こえる、何かにいざなわれてとんでもないところに行ってしまう、死者と会う、狐、狸、ヘビにまつわるもの、狐火、人魂、などなど。

 

「狐に化かされる」とは昔からよく言われますが、犯人が狐かどうかは別にして、時になんらかの不思議な出来事が起こるのは事実なのでしょう。

人は、説明のつかないことを体験したり、見聞きしたときに、不安になる。

そんな時に「狐の仕業」という、一同共通の物語として、心に納得させてきたのかもしれませんね。

 

子供の頃、山里にある母の実家に行くと、狐火を見た話など普通にされていました。

夜道を歩いていると向こうの山すそに、青白い火がゆっくりと移動している。

「あれは狐火だね」という風に。

また、父方の祖父は、「夜の山道で美しい女性に化けた狐にあやうく騙されそうになった」と話してくれたことがあります(こちらは幾分脚色されていた印象がありますが・・笑)

 

さて、本の話の中には、私自身がまさに体験したこと、また家族や知人の体験とあまりに重なるものがあり、驚きました。

このような体験は「山」に限らず、もっと広範にあることなのかも。

神聖でスピリチュアルな場所である「山」で、とりわけ不思議なことに遭遇しやすいのかも知れません。

 

私は霊感が強い方でもないし、いわゆる見える体質でもないのですが、それでも今までの人生の中で不思議なことがいくつもあります。

この世は、目に見えない世界も確かに存在していて、私たちが見ているものはその中の一部に過ぎないのかもしれない・・

 

「不思議な体験」を怖い話として終わらせたくないです。

このような実話や体験に、人間への、また個人へのメッセージがあるように思えます。

人も自然の中の一存在であることを思うとき、目に見えない世界からも、生き方のヒントやパワーを受け取れるのではないかと思えるのです。

 

ところで、私や家族が体験した不思議なこと、思いつくままに数えてみたら、すぐに20以上になりました。

忘れないよう、いつか書き留めておこうと思います。

 

きっと皆様の中にも、不思議な体験をされた方、いらっしゃるのでは?

 

夏のチャレンジ

先日、公認心理師の試験を受け、とりあえず試験勉強から解放されました!

やった~ (/・ω・)/

 

いつもは寝付きのいい私ですが、受験日前夜は緊張したのかほとんど眠れませんでした。

夜中に何度も水を飲みに起きたり、トイレに行ったり・・・

明け方になってやっと1~2時間眠って朝を迎えました。意外と繊細なのです(*´ω`)

寝不足の影響はあったと思いますが、それでもまずまず元気に試験を受けれたので良しとしましょう。

 

一緒に受験した友人の言葉、「できは散々だったけど、気持ちは爽やかというか、清々しいので挑戦してよかったな~」

 

ほんとにそう。私もチャレンジしてよかった。

合否結果はもちろん気になるところですが、今回の勉強で、今まで難し気に感じていた様々な分野への扉が、自分の中で開かれつつあること、それは大きなことです。

法律、行政の仕組み、犯罪、医療、福祉、教育・・

心の専門家だから、心だけを見ていけばいいということではなくて、その背景に社会の仕組み、時流といったものが、大きくかかわっている。

すべてのことはつながっているのです。

これを機に、自分の引き出しをより増やせるよう、努めたいと思います。

 

さてさて・・

受験優先で、いろんなことを先延ばしにしていたので、ぼちぼち始動します。

まずは気になっていた映画「天気の子」をみにいきました。(とてもよかった、個人的には「君の名は」より好き)

帰りに眺めの良いレストランで、ワインと美味しいお料理。

ああ、嬉しい。

 

それではみなさま、いいお盆休みを・・・

 

 庭のポーチュラカ

 

 

 

古代人の大航海

自分の祖先はどこからきたんだろう、いつしか興味を持つようになりました。

700万年前にアフリカで始まった人類は、約6万年前にアフリカを飛び出して世界各地に散らばったとのこと。

グレートジャーニーですね。

 

日本人の祖先は3つのルートに分かれて、日本にたどり着いたとされています。

シベリアからの「北方ルート」、朝鮮半島から対馬への「南方ルート」、インドネシアから沖縄への「海洋ルート」

私の祖先はどこから・・・?

 

昨日、NHKクローズアップ現代「3万年前の大航海、日本人のルーツに迫る」をみました。

なぜ、古代人は大海原を超え、日本列島に到達できたのか、この謎に挑む人類学者や考古学者たちが、、実際に古代の技術や道具で製作した船で、台湾から与那国島を目指す実験に挑むというものでした。

 

小さな丸太の船に、漕ぎ手が5人、地図もコンパスも使わず、太陽や星の位置、潮の流れや雲、自然の中の情報だけを頼りに古代人になりきっての航海。

実際の条件に大きく左右される、過酷な航海。

ずいぶん予定の時間をオーバーし、それでも見事、与那国島上陸に成功したのです。

 

すごい。人の力ってすごい。

 

例えば、心身の限界にさらされた時に、内から出てくる感性。

一人が海に飛び込んでゲラゲラ笑いだす。他の仲間もそれに続き、みんなでゲラゲラ。

頭でなんとかしよう、だけではうまくいかない時に、ふいに出てくるものがある。

 

最後、体力の限界の中で一同爆睡、流れに身を預けた結果、黒潮に運ばれ、たどり着くという、なんともおとぎ話のようなフィニッシュ。

人っていったい何なんだろう。

ある瞬間に人に与えられる、自然からのとてつもない何かとか、大きなものとのつながり。

サムシンググレートとでも呼べばいいのでしょうか。

3万年前の古代人も、今回のメンバーもきっと、何か同じような感覚を味わったのでは? と思います。

 

子供の時、海岸沿いの岩場をどんどん歩いて見知らぬ場所に行くことが好きでした。

知らないところに行ってみたい。

明日はもっと先まで行ってみよう。

人は見知らぬ場所にあこがれるものかもしれません。

でもそれだけで、命を懸けた航海をするとは思えない。

 

女性の漕ぎ手の言葉が印象的でした。

「海を渡って思ったこと、夢ばかりではなく、何か今のところを出たい、出なきゃいけないというマイナス面があったのだと思う。変化の先に光を見出したかったのではないか。」

 

グレートジャーニーとは、はじき出された人たちの再生の物語かもしれません。

そしてそれを助ける、何か大きな力が現れたように思えるのです。

 

一杯のコーヒー

毎日のように自分で豆をひき、コーヒーを飲みます。

 

コーヒーほど世界中で愛されている飲み物はないかもしれませんね。

 

20年以上前に写真展で出会い、とても心に残っている写真があります。

写真:長倉洋海 写真集 「サルバドル」より

題名: 町の食堂で、一杯のコーヒーを大切に飲む老農夫1984.12

説明には「ラ・パルマの町の小さな食堂で撮影。老人はソンブレロ(帽子)と節くれだった手から農民に見えた。買い物に町に来たのだろう。コーヒー一杯で遠慮したのかイスにも座らず、味わうようにゆっくり飲む姿が印象的だった」とあります。

 

久しぶりに、手元にある写真集を広げると、やはり心が動きます。

老人の奥ゆかしいたたずまい。

日ごろの労働を物語る節くれだった手で、大切にコーヒーを持ち、一人でゆっくりと味わっている。

一杯のコーヒーとこの刹那が、この老人にとってどれほど貴重なものなのでしょう。

人間への愛おしさが溢れていて、撮影者の温かいまなざしがあります。

 

この写真に出会った当時の私は、周りのみんなが飲むからくらいの理由で、習慣的にコーヒーを飲んでいたので、一杯のコーヒーをこんなにも大事に飲んでいる人がいるのだ、とハッとする経験でした。

 

今も、毎日コーヒーを入れていると、日によっては粗雑に入れるときもあり、全部飲まずに残すこともあり・・

 

この写真をみると、一杯の飲物が人にとってどういうものであるか、改めて考えるのです。

 

叔母のびわ

岡山の叔母が庭でとれたビワを送ってくれました。

懐かしい“茂木”ビワ

葉っぱ付きで野趣あふれるビワをかかえると、子供の頃にタイムスリップするよう。

幼い頃、縁側に腰かけて、かご一杯のビワを夢中で食べたものです。

 

昔、実家では海を見下ろす山の斜面でたくさんのビワをつくり、出荷していました。

”茂木”と”田中”という2品種を作っていましたが、茂木は私のとりわけ好きな品種。

 

叔母に早速お礼の電話をし、互いにビワにまつわる思い出を語り合ったのでした。

幼い叔母は、学校から帰ると妹と走って畑に行ったこと、ビワ畑からの眺めがどんなに素晴らしかったか、海の向こうの島から聞こえるレジャーボート客のへのアナウンス・・

年は違っても、私も同じ家に生まれ、心の景色を共有している。

 

おととしだったか、名古屋に住むいとこ(叔母の娘)の、引っ越しの荷造りを手伝いに行った時のこと。

岡山から駆けつけた叔母は、おやつに庭でとれたビワを持参していました。

さあ、荷造り作業に取り掛かろうとしたとき、やにわに叔母が、ビワの皮を次々とむぎだしたのです。

そして「ハイ、食べなさい○○ちゃん、次、○○ちゃん」

いとこと私に交互にビワをむいでくれる。

食べたら次のビワがひょいと目の前にくる。パクっと食べると次のビワがひょい。

口を開けて餌を待つ鳥のヒナか、わんこそばかという状態。

そろそろ70歳になろうかと言う叔母が、40代の娘と50代の姪のためにせっせとビワの皮をむく・・

もし他人が見れば、そうとう不思議な光景だったでしょうね ( ゚Д゚)( ゚Д゚)

 

子や孫の多い叔母が、私の家まで気にかけて、庭のたった一本の木からとれるビワを送ってくれる。

ありがたいことです。

 

そして叔母が今年最後に収穫したビワは、亡くなった叔母の妹のもとにいったそうです。

叔母はその日偶然の出来事が重なって、たまたま近くの和食屋さんを訪れると、そこで数年ぶりに姪(亡くなった妹の娘)にばったり会ったそう。

二人は偶然の出会いに驚き喜び、叔母は帰りにビワをとりに寄るよう姪をを誘ったそうです。

そして「これはお母さんに供えてね」とビワを託すことができた。

 

「私にもビワにをちょうだい、と妹が言ってきたんだと思う」と叔母。

こうして叔母のビワは、縁のある人たちに、今年も届いたようです。

 

ゆるさ加減

神島(こうのしま:岡山県笠岡市)の入り江の風景です。

 

父が入所している介護施設のテラスでひとり、コンビニパンと缶コーヒーでランチ。

海からのやさしい風に吹かれながら、磯のかおりも心地いい。

フェリーや漁船が白波をたてて行きかう様子は見ていて飽きません。

海のそばにいると安らぎます。

 

神島は子供のころ、キラキラ光る海の向こうにかすんで見える、いつも眺めていた島。

いいところに生まれたな~と今更ながらに思います。

風光明媚で、穏やかな瀬戸内の風土。

海の幸に恵まれ、ビワやイチジク、モモ、ミカン、ブドウなど果物がそれはそれは美味しい。

この地に居をかまえたわが祖先、なかなかのセンスです。

 

実家の父に顔をみせるという理由のもと、時々故郷に帰りますが、本当は自分のために帰っているのかもしれません。

生まれたときから自分を育んでくれた風土に、2~3日でも身をおくと、充電される実感があります。

 

人ものんびりしたものです。

バスに乗れば、初老の運転手さんが

「あれっ、さっきのバス停で誰か降りるんだったん? 向こうの車に気を取られて停まるの忘れとったわ・・」

高校生の女の子:「私でーす、降りたかったでーす」

運転手さん:「あ~お姉さんだったん? ごめんなあ、もう一回くるっと周って止まるからな」

女の子:「ありがとございまーす」

そのやり取りを数人の乗客が、にこにこと顔を見合わせながら楽しんでいる。

 

タクシーに乗って行先(実家)を告げると、運転手さん

「○○さんを知っとる?近所じゃないの?あそこの長男さんは今、○○の仕事をしとるんで。横浜にいる娘さんは、○○病院にお父さんが入院しとってな、時々帰られるよ。この前も僕が乗せたわ」

プライバシーも何もあったものじゃありません。

きっと私のことも、そのうち(名古屋から時々父の見舞いに帰る娘さん)として車中で語られることでしょう。

 

地域全体ににながれている、そんなゆるさ加減。

個人的にはほっとする面もあるのです。

 

生地を買いに

二階のカフェカーテンが古くなり、気になっていたので、新しく手作りしました。

自分で作ると、やはり愛着があります。

大塚屋さんという、それはそれは大きな手芸屋さんに生地を買いにいきました。

 

名古屋に引っ越して、初めて大塚屋さんに行った時は感激したものです。

木綿や麻、キャラクターもの、カーテンとインテリア生地、洋服地、舞台衣装用の生地、舶来生地、あらゆる生地や材料が5階分の広ーいフロアーに、所せましと溢れている。

その品ぞろえの多さと内容の充実ぶり!

田舎の小さな生地屋さんしか知らなかったた私にとって、驚愕でした。

縫物が好きで、生地を見て歩くのが大好きな私にとって、テンション上がる場所。

 

朝から張り切って生地を買いに出かけました。

生地選びにはすごく時間がかかる方です(稀にパッとお気に入りに出会えた時は幸せ)

「今日こそはさっと決めよう!」いつも思っているのですが、結局2時間近くお店に滞在するパターンが多い。

 

今回もレース地を2mほど買うのに、迷いに迷い・・

部屋との調和、好み、生地の素材、風合い、機能性、値段(特価品だとかえって心配になる)など、こだわりが多すぎるのです。

見本布を広げたりすかしたり、最終的に3つくらいに絞り、そこでまた迷いに迷う。

煮詰まってくると、他の関係ないコーナーをお散歩して、目をリセットしてまた戻ってくる。

そんなことをしているので、すぐ1~2時間たってしまうのです。

お店の人も、あきれているかも・・・(どうか広い心で見守ってくださいまし(._.))

 

やっと決めたときにはへとへと、ぼおっと生地をオーダーし、ぼおっとお金を払い、ぼおっと帰って来るのです。

それでも生地選びはやっぱり楽しい!

 

自分にとってのパワースポットは本屋さん、と話してくれた人がいましたが、私にとって生地屋さんはパワースポットの一つかもしれません。

 

 夏空になってきました