曖昧なグラデーションの世界で

 最近、予測不可能なことが続いていました。

とはいっても、考えてみればごくごく当然と言うか、ちょっと先のことでさえ人は知るすべを持たない。

 

人も、周りの森羅万象も出来事も、すべての現象はつながって刻刻と変わっていっているのですよね。

点としてみれるものは何一つなくて、あいまいなグラデーションで成り立っていると思うのです。

そんな世界にいて、自分もあいまいな存在でありながら、点だけをとらえて自分の力でコントロールしようとか、今なんとかできるとか、人は錯覚しがちなのではないかと…

 

そんなことを改めて思いました。

 

140年前から今も建築が続く、スペインの世界遺産、サグラダファミリア。

建築家アントニオ・ガウディの意思を継ぎ、後世の人たちにより、2026年の完成とも伝えられています。

ガウディが遺した膨大な資料から、彼が伝えたかったメッセージ、サグラダファミリアに込めた想いを、現代の建築家が読み解こうとするNHKの番組をみました。

 

この世界は絶えず変化していて、すべての現象はとどまっていない。

自然に目をむけると、空の色一つをとっても、すべてグラデーションで成り立っている。

そんなグラデーションの世界に生きているのに、人間はそれにあらがうように、自分でコントロールできると錯覚し、無理な生き方をしているのではないか。

 

内容をうろ覚えでもあり、私の解釈がかなり入っていると思いますが、こんな感じではなかったかな。

ガウディのメッセージが心に沁みます。

 

曖昧さや不確かさを受け入れることって、時に難しい。

でもせめて、「今、答え合わせをしなくてもいいかな」と思うとちょっと穏やかな気持ちになるのです。

 

 市政資料館の桜が満開、思いがけず出会った景色

 

 

あとは儲けもの

春ですね。

昨日、身体の感覚が変わったなと思いました。

冬眠から覚めて、細胞がうごめきだした感じ。

 

そして掃除をしながら、ふと気づきました。

そういえば私、いつのまにか越えていたな・・

そう、ちょっとだけ気にしていた52歳という年齢を過ぎていました。

 

わ~い、何もなかった!

母や叔母、大叔母などの身内が、いづれも52歳あたりで、その後の人生を左右するような病気になったので、私もどこかで警戒していたんですね。

女性の厄年でも何でもないんだけど。

 

高校の時の古典の先生がおっしゃったことを、思い出しました。

「僕はちょっと前に大病をして、運よく生き長らえたので、あとの人生はもうけもの。こうしてみんなに話をするのも、遺言のような気持ちだよ」

なかなかいい境地だな~と、その当時思いました。

ちょうど今の私くらいの年の、何となく好ましく思える男の先生でした。確か「渋谷先生」

 

私は幸いなことに、今のところ大病もなく、どちらかというと平凡な人生。

でも日々起こることは予測不可能で、理想通りにはいかない。

心がざわめくこともある。

 

そんな時、古典の先生ではないけれど、「あとはもうけものの人生」とつぶやいてみる。

そうよ、いまさら守るものも、そうないぞ。

不思議にいろんなことのハードルが下がります。

 

 

 春の色ですね・・ 名古屋城近くで。

 

 

酒好きの遺伝子

子供の頃の憧れだったチョコレート、ロッテのラミーとバッカス。

昨日スーパーで目に留まり、いそいそとラミーをかごに入れました。

 

小銭を握りしめて、10円や20円の駄菓子を買っていた幼い頃、お店の高い棚に並ぶラミーとバッカスは魅惑のチョコレート。

初めて一人でバッカスを買った日。

とろりとした洋酒の豊潤な刺激に感激しながら、一度に一箱全部食べてしまい、鼻血を出してしまったものです。

 

子供のころから、お酒の香りのするものが大好き。

祖母が孫たちに、こっそりふるまってくれる、酒かすや、保命酒かす、自家製の梅酒やあんず酒のおいしかったこと。

 

5~6歳だった私が一人でお留守番をしていたある日、一つの計画を胸に、いつもは祖母だけが開ける戸棚を開けました。

そこには年代物の梅酒瓶がずらり。

その中のひと瓶を取り出し蓋を開けると、次に台所から割りばしを持ってきました。

そして割りばしの先を梅酒に浸しては、チュッと吸い、浸してはチュッと吸い・・

 

もちろん大人たちが帰ってくるまでには、梅酒は元の戸棚におさめましたし、何事もなかったことになるはずでした。

が、外から帰った母と祖母は、とろんとした真っ赤な顔の私を発見。

「大変!熱がある。」母は一瞬そう思ったそうです。

でもすぐに私の留守中の秘密は、ばれることとなり・・

祖母はピンときたのです。

叱られませんでしたね。

 

思えば、大正生まれの祖母も、酒好きの体質だったのでしょうね。

その時代の女性ですから、男のようにお酒を飲むことはなかったけれど、梅酒や酒かす、地元の保命酒というリキュールを好んで口にしていました。

 

その保命酒を造る、福山市鞆の浦(ポニョの舞台となったところ)の蔵元さんが出しているみりんが、先日田舎から送られてきました。

その豊潤な味わい深い風味といったら・・・

料理に使うのはもったいないくらいです。

つい、ついでに一口きゅっと口に含んでしまう私。

祖母の孫ですね・・・

 

状況に身を委ね・・

美容室の帰りに、本屋さんに寄って雑誌を買いました。

私の好きなヤマザキマリさんのインタビュー記事に目が留まりました。

 

「昔から、自分の意思で住む場所を決めたことは一度もなくて、周りの状況にそうさせられるんですよ。・・(中略)・・目標を定めて行動するとか、なぜここにいるのかも考えたことないですね。状況に身を委ねて、目の前のことを全身全霊でやっているだけで」  (ku:nel 3月号より抜粋)

 

う~ん、共感します・・・

20代の頃観た映画のヒロインが、「運命は自分で作るのよ」とすっくと立ちあがるシーンを見て、かっこいいな~と感嘆しましたが、私はそれとは逆の、状況に身を委ねる人生を歩いてきたようです

目の前に流れ着いた船には乗ってみようか・・くらいの感覚。

 

最初の就職は、自分の得意分野とは程遠かったが、たまたまタイミングよく拾ってくれた会社に入った。

名古屋に来たのも、家族の転勤についてきただけで、自分の意思とは関係なかった。

今の仕事をはじめたのは、自分の意思はもちろんあるけれど、いくつもの力が働いて半分は導かれたという感覚が強い。

それでも振り返ってみて、どの経験もよかったなあと思えます。

 

人をざっくりと二つのタイプに分けて、「人生は自分の力で切り拓くのだ」というタイプと、「人生何とかなっていくわ」というタイプがあるとしたら、間違いなく私は後者。

希望とはちょっと違うけれど、これもありかな、今回はこういうことかあ~と結構あっさり受けいれてしまうんですね。

 

そもそもこの世は、いいか悪いか、黒か白か、はっきり分けられることで成り立ってはいないし、人の心にしても、こんな気持ちもあるし、一方でこんな気持ちもある。

曖昧で成り立っているように思うのです。

 

娘は今、受験の真っ最中で、どこを受けるのか、どの方法でうけるのか、あれこれ出願手続きやらをしています。

自分の希望を第一に考えながらも、サイコロを転がしているような感覚です。

 

サイコロのどの目が出るか、私は興味を持って見守っていきましょう。

そして目がでたら、その目に委ねて。

どの目も、いい悪いと判断できないところが人生の面白いところ・・・

 

今日のおやつ♡岡山の大手饅頭と自家製リンゴの赤ワイン煮♡

 

 

 

 

 

父と叔父のこと

暮れからお正月にかけて実家に帰省しました。

滞在中は時間の許す限り、介護施設の父を見舞いました。

 

施設に入って4か月、新たなコミュニティの中においていただき、それが父の日常になりつつあるようです。

ひと時代前の長男としてとてもわがままに育ったワンマンな父ですが、それでも今、施設で温かく受け入れられている様子をみると、勝手ながらよかったなと思います。

 

中でも、私がとてもありがたく感じているエピソード。

施設の同部屋に、5年前亡くなった父の弟によく似た方がいらっしゃるのです。

 

2か月前、私が初めて施設を訪れ、食堂での昼食の時間に同席させてもらっている時でした。

父が「○○がいる」と言ったかと思うと、車いすで近くを通ったある入所者さんに手をあげて挨拶したのです。

○○というのは、5年前に亡くなった父の弟の名前、私にとっては叔父です。

う~ん、確かに生前の叔父の雰囲気がある・・

 

認知症が進んでいる父は、弟が亡くなったこともわかっていないようで、本当にその方を弟と思っているようです。

「○○が毎日おるんじゃ」

そりゃそうだわ、入所者さんだから毎日いらっしゃいます。

可笑しさと同時に、神様はなんて粋な計らいをしてくださっているのだろうと思いました。

職員さんによれば、父はその方を見かけるたび「○○がいる」と反応しているとのこと。

 

今回私が行った時も、父は変わらずその方を弟の○○として見ていました。

ありがたいことに、その方はちっとも嫌がらず、間違われていることをむしろ楽しんでいるご様子。

「わしは誰に似とるんだったけ?」と私と兄に聞きに来られたので、父の弟のことをお話しすると、それを嬉々として職員さんに報告に行かれるのです。

そして何かと父のことを気にして、「今日はきれいに食べれたな・・」とか声をかけてもくださる。

 

実は、父と生前の叔父は、兄弟の中でも犬猿の仲(実際に戌年と申年だった)

それなのに、今の認知の進んだ父からは」「弟が好き」という気持ちが伝わってきます。

現実のあれこれの中でぶつかることの多い兄弟でしたが、それがなくなった今、本当はとても深いつながりを持った弟だったのだなと思います。

 

先日友人に、叔父に似た入所者さんのエピソードを話したら、

「その方って叔父様そのものじゃないかな~、叔父様は今、お兄さんから慕われて、同じ時を天国で喜びながら過ごされている、そんな風に感じるよ」と言われたのです。

 

亡くなった叔父がとても力になってくれている、というのは今までも感じていました。

昨年あたりから、叔父との縁を感じる出来事が時々ありましたし・・

 

でもそれだけでなく、「叔父も父とのかかわりを喜びながら過ごしている」という見方はとても嬉しいものでした。

叔父の想いを感じ、温かで心強いものに満たされるよう。

 

今見える現実だけでなく、時空を超えた壮大なものにつながっているのですね。

私たちはきっと・・・

 

 

 

ジェノグラムの体験

先日「死別を体験した家族を支える」というテーマの、福祉関係職員さん向けの研修に参加しました。

その中の演習で、ジェノグラムが取り上げられました。

 ※写真のジェノグラムは架空の家族です

 

ジェノグラムとは簡単に言えば家系図ですが、個々の年齢、病気や生死、家族の関係性や過去の出来事など様々な情報を書き込みます。

私も、家族療法を学んでいた8年前に、初めて自分のジェノグラムを描いたのですが、この体験はとても貴重なものでした。

 

5世代にわたるジェノグラムに、知りうる限りの情報を書き込み、ほぼ完成。

最後に、わずかに躊躇しつつも、生まれる前に亡くなった私の兄弟の存在を図で書き込みました。

 

その瞬間、思いがけない感覚に全身が包まれたのです。

彼が(もしくは彼女が)私の味方であり、今もそばにいるという確信。そして安心感。

予期しないスピリチュアルな感覚でした。

生まれてくることのできなかった兄弟のことは、それまでどこかで私の心に影を落としていたのだと思います。

亡くなって尚、今もそばにいてくれる、しかも味方なんだ。

そう実感できたことは、その後の私に大きな力を与えてくれています。

 

人を支えるのは、今生きている人ばかりではない。

カウンセラーとして関わらせて頂く多くのケースからも、強くそう感じます。

お話を聴く中で、クライエントさんが亡くなった人から、愛を与えられ続けていると実感する瞬間があります。

過去の大切な人のことを語る、その存在やつながりを感じる、それらのことがなぜか、今を生きる人の大きな力になっていくのです。

不思議ですね。

 

ジェノグラムは、歴史的な視点を持って、関係性を分かりやすく図示できるため、家族の全体像を把握できます。

それにより「その家族特有の在り方を理解しながら解決の姿を探ることができる」と家族療法では主に理解されています。

でもそれだけではない。

 

ジェノグラムから、じわっと立ち上がってくるものがある。

まるで、閉ざされていたものがとけて、ふいに意思を持って現れてくるような、何かしらの現象が起る可能性。

そんな面も、私はジェノグラムに感じているのです。

 

名古屋駅 ツインタワー下

 

 

 

 

食卓の光景

昨日はカウンセリングの研究会でした。

事例検討をしているとき、家族の「食卓の光景」の話になりました。

 

居合わせたカウンセラー、幼い頃の食卓の思い出はさまざまです。

ある方は「そもそもみんなで食べてなかった、私はいつも個食だった」

またある方は「食事中いつも私だけ親に怒られて、勝手口から外によく引きずりだされた」

みなさん、なかなかのつわものです。

 

私も幼い頃の食卓の場面は強く印象に残っています。

一言でいうと、ご飯の時の父が怖い。

父がお酒を飲みながら、他の家族をけなし、攻撃することがしばしば。

そのターゲットは、ある時は祖母、ある時は兄、あるときは母、結婚前の叔母たち、時には父親である祖父さえも。

そのしつこい攻撃により、食卓の雰囲気はたちまち最悪なものとなったものです。

父に歯向かう者はなく、ひたすら嵐の通り過ぎるのを待つパターンでした。

 

食卓の光景は、その家族の特徴を象徴するような場面となっていることがあります。

現に私の家族の場合、食卓以外の場面でも、同じ構図で動いていました。

家族の中の力関係は、特に父の圧力が強かった。

みんなそれに反発するのでなく、避けて通ろうとしていたように思います。

家族の大切な行事でも、父の不在はかえって幸い、面倒な鬼のいぬ間にやってしまおうといった雰囲気がありました。

 

私もそうであったように「家族が集まり食事をする」という本来楽しいはずの場面が、ネガティブな思い出になっていることは少なくありません。

特に、耐えるしかすべを知らなかった子供にとっては。

実際には辛い食卓よりも、楽しい食卓の方が、その数倍あったのかもしれないのに。

後に、カウンセラーになるための教育分析(カウンセラー自身が自己を統合するためにカウンセリングを受けること)の初回で、幼い頃の食卓のことを早々に語ることになります。

兄が理不尽に怒られている横で、一緒に泣いたこと、涙でしょっぱいご飯の味、それが自分にとってどんな体験だったか。

 

「過去の事」と片づけずに、体験を語ること、心の力を回復するうえで、とても大切ではないかと思います。

人の心はたくましいものです。

 

さて、みなさんの幼い頃の食卓の光景は、どんなものだったのでしょう・・。

 

ちなみに父は、今ではすっかり穏やかな人となりました。

庭のエゴノキにモズの早贄を見つけました。

トカゲよ、写真に撮ってごめん。

 

早贄→鳥のモズ類が捕えた獲物を樹木のとがった枝など鋭利な物に突き刺しておく習性

 

 

京都の一日

晩秋の一日を京都で遊んできました。

 

アラフィフ女子3人、行き当たりばったりの一日。

京都駅のバスターミナルで、「うーん、どこ行くう~?」と悩む無計画ぶりです。

 

「じゃ、まずは金閣寺でも・・」と、一人がなんとなく発案。

「そだね、そだね」

「じゃ、つぎは金閣寺に近い、龍安寺の石庭だー」

「うん、うん、それがいい!」

 

3分後には金閣寺方面行のバスに乗っていました。

金閣寺の不動堂には、家内安全だの交通安全だの、学業成就だのと記された願掛けのろうそくをおいてあり、一本50円で求め、火を灯してお供えすることができます。

友人二人は迷わず「ストレス封じ」と黒々と書かれたろうそくを選び、私は一番オールマイティっぽい「心願成就」を選んで、手を合わせたのでした。

 

金閣寺から、きぬかけの路をのんびり歩き、龍安寺へ。

石庭を眺めて、しばし心の静かさを感じるひと時・・

 

お昼は龍安寺境内にある西源院で「湯豆腐付き精進料理」を頂きました。

お堀のあるお庭を眺めながらのお食事に期待が高まります。

そして運ばれてきた温かい湯豆腐!今日のような冷える日にありがたや~

ところが、この湯豆腐がどんどん冷めていく・・・

炭で温める鉢の上に鍋をセットされたにもかかわらず、なぜか火をつけてもらえない。

開け放ったお座敷には容赦なく寒風が吹きこみ、湯豆腐はどんどん冷めていく、外気にさらされた身体もどんどん冷えていく。

互いに励まし、手をこすり合わせながらのランチタイムとなったのでした。

ま、お寺ですからね、お食事も「修行」だったのかもしれませんね。

 

さてさて、次はどこにしましょう。

とりあえず京都駅方面行のバスに乗り、良さそうなところがあれば途中下車しようということに。

四条河原町で下車しました。

バスに乗り換えて祇園あたりに行こうかとも思ったのですが、ちょっとゆっくりコーヒーもいいね、となりました。

高島屋に入って、各階をめぐって良さそうなカフェ探し。

これがなかなか見つからず、高島屋の中をカフェ難民になって20~30分うろうろ。

こんなたわいのないこともなぜか楽しい!!

6店目くらいにやっといい感じのお店を見つけることができました。

暮れ行く外の景色を眺め、語りながら、ゆっくりコーヒーを飲む幸せなひと時。

 

京都駅に戻った時にはすっかり日が落ちていました。

 

満月の下に幻想的な雲、月に帰っていく「かぐや姫」が乗っているかのようです。

夜8時過ぎ、私たちも新幹線に乗り、それぞれの家に帰っていったのでした。

 

 

 

 

映画を二本

映画を二本、映画館をはしごしてみてきました。

「日日是好日」と「ハナレイベイ」

 

「日日・・」は友人に薦められました。

「絶対あなたに合っている、理屈じゃなく感じる映画だから」と。

なるほど・・みているこちらも場面を体感する仕掛けもありました。

 

一人のの女性が大学時代に茶道に出会い、日常のあれこれと合わせて、人生を深めていく日々が描かれています。

思考を離れ、今この時をただ感じていること、この瞬間に自分のすべてでコミットしていることの大切さを語りかけてくる作品でした。

なのに鑑賞中、つい思考につかまって肝心なセリフを聞き逃した私、頭が別のところに瞬間移動してしまったのですね。

まだまだです。

 

 

「ハナレイベイ」は、映画化されたと知って、とてもみたかった映画。

原作は村上春樹さんの「東京奇譚集」という短篇集の中の一つで、サーファーの息子がハワイでサメに襲われ亡くなる、その母が息子の死に向き合っていく姿を描いた小説。

その短編集の中でも、特に印象に残っていたものでした。

 

原作は、感情の描写がほとんどなく、行動、出来事がたんたんと描写されていく中で、読み手の感性にゆだねられている結果、深く味わえる小説ではないかと思います。

映画は人が演じる分、原作の乾いた感じよりも、少々ウエットな感がありました。

主演の吉田羊さんをはじめ、キャスティングが良く、映画は映画で楽しめました。

 

 

映画は一人で行くのが好きです。

自分のペースでみれる。

 

あまりピンと来ない映画だったな~・・ってこともありますが、それはそれで。

いつもいつも感動やら、自分に役立ったとか求めると、ちょっと不自由ですよね。

「今日はこれをみた」だけでいい。

でも話題が出たときに、「私もみたー」と言えるのはいいかな。

 

 

 

今までとちょっと違うこと

「今までとちょっと違うこと」がマイブームです。

ささやかなレベルですが。

 

例えば先日のこと、久しぶりに洋服を買いに街に出かけました。

いつもなら、車で某デパートのSサイズ売り場に直行するのですが、「今日は違うエリアに行ってみよう」と電車に乗って名古屋駅界隈に足を延ばしました。

いつもはヒールの靴ですが、いっぱい歩くのを覚悟してペタンコ靴にパンツの軽装。

疲れ知らずでいくらでもサクサク歩けるので、気分も軽いです。

 

最初に立ち寄ったデパートでは思いがけず「Sサイズの祭典」というのををやっていて、60のブランドでSサイズの洋服が店頭に出ていたのでした(しかも初日という幸運)

こんなにたくさんのブランドでSサイズが作られていたなんて・・・

いつもサイズ探しにに苦労する私、嬉しい発見でした。

初めてのお店、若く可愛い店員さん、ジャストサイズの買い物、なんだか嬉しい。

 

気分もあがり、足も痛くないぞ、まだまだ歩ける。

昨年オープンのまだ行けてなかった商業施設を見て回り、新しいカフェで大きな大きなチーズケーキを食べ(大きすぎて私の胃にはおさまりきらなかった・・)本屋さんで面白そうな本を買い、満足して帰途についたのでした。

 

「今までとちょっと違うこと」いろいろやってみてます。

今まで読んだことのない作家さんたちの本を買ってみる。

初めて御園座に行って、歌舞伎を見た。

行ったことのないお店で買い物をしてみる・・などなど・・

今度は映画館も新しいところに行ってみようかな。

 

習慣化された自分の世界がちょっと広がり、ワクワク感や、新しい発見がある。

フレッシュなエネルギーが入ってくるような気がしてます。

 

 

ワッ!! シーサー ビックリ

ショウリョウバッタ ひと休み