天気とともに

昨日から、2月とは思えない陽気。

寒波のあとのご褒美のような暖かい日となった。

それで今日はやっと、コリドラスの水槽の水替え作業ができた。

戸外で1時間以上かかるの水作業は、この時期辛い。

しもやけもひどくなる。

今日がチャンス!!と朝からとりかかり無事終了、ほっとした。

次回の水替えは3月の終わり頃だろうから、もう暖かくなっているはず。

 

家のことはだいたい天気をみながら動いている。

冬の剪定はぽかぽかと暖かい日、夏の草取りは曇り空の涼しい日に、といった具合に。

いつまでにやらねばということもそうないので、自分が納得していればそれでいい。

年末の大掃除もしかり。

昨年末はとても寒かったので、大掃除は家の中だけ、気が向いたところだけにした。

寒風吹きすさぶ中で外の窓ガラスふきなど、とてもじゃないけど私には勇気がでませぬ…

年明けてからでいいわ、と気長に構えていたら、1月にとても暖かい日があって、窓ガラスふきも負担なくやれた。

ありがたい。

 

庭の植物に学ぶことが多い。

暖かい日とも、寒い日とももうまく付き合っている。

1月の暖かい週、一気にスイセンが芽を出した。

続いてグラジオラス、ラッパズイセン、チューリップが思い思いのタイミングで芽を出す。

暖かい日にはグンと茎が伸びる。

寒波がくれば、足踏みをしている。

きっとその間にも力を蓄えているのだと思う。

外の環境に身をまかせ、寒暖どちらも味方につけ、やがて美しい花を咲かせる。

 

今日は水仙が咲き始めた。

 

キツネザルになった

2週間ほど前のこと、試供品の化粧水が合わなかったのか、肌がかぶれてしまった。

ある朝、鏡をみると、左右の目の間が少し赤くただれたようになっている。

その赤いただれは瞬く間に広がり、次の日には目じりを残して両方の目の周りにぐるりとマルが描かれていた。

 

これは何かに似ている。

タヌキか…いや違う。

パンダか…いやちょっと違う。

キツネザルか……ん、近いかも!!

しばらくキツネザルで過ごすのだなと思うと、ちょっと楽しくなっていた。

 

ところが意外と早く治った。

赤い兆候をみとめてから、元に戻るまで一週間とかからなかった。

2~3日かけて広がるだけ広がったあとは、すごい勢いで修復していった。

その刻々と変化するさまを、日々観察するのは面白い。

朝夕でも変化している。

アメリカの生化学者、シェーンハイマーの「生命は機械ではない 生命は流れだ」の言葉そのままに、自分という生命体も目に見えて流れている。

まさに福岡伸一さんの提唱する動的平衡、生命は「分解と合成」を絶え間なく行っていることを実感する。

 

試供品の化粧水はどこかのドラッグストアでもらったもの。

ちょうど泊りがけの帰省があり、携帯に便利なのでメーカーも見ずに使った。

ただパッケージに、「年齢を重ねた肌へ…」みたいなキャッチコピーが書かれていたのは覚えている。

この、しっとりこってり系の化粧水を使うには、私まだ若すぎたんじゃないですかねー (´▽`)

 

        エゴノキにミノムシ

 

巳年

年が明けました。

今年は巳年ですね!

ヘビ好きの私は、わけもなくめでたい気分です。

 

先日のNHK「ダーウィンがきた」は、番組初のヘビ特集だった。

なかでも、バリ島で密着取材をした世界最大の毒蛇、キングコブラのお母さんの生態に驚く。

キングコブラのお母さんは、巣を作って2~3か月もの間、産んだ卵を片時も離れず守った末、孵化直前にわが子の姿をみることなくその場を去っていく。

ゆうゆうと川を泳ぎ去っていくお母さんの姿は神々しかった。

 

キングコブラは同じ種であるヘビを主食としている。

もし、赤ちゃんヘビが孵化するまで一緒にいたら、本能に従ってわが子を食べてしまうかも知れない。

その前に去っていくのだという。

なんて切なくて、潔いのだろう。

自分の長い努力に何の見返りも求めない(かわいい姿をみることさえ)、そしてわが子たちへのへの信頼。

キングコブラに教えられる。

 

私にとってヘビは、子供のころから一番身近な生き物といってもいい。

古い実家には、家主(やぬし)と呼ばれる家の守り神のようなヘビが天井裏に住んでいた。

家の石垣には、脱皮したヘビの抜け殻が毎年ぶら下がる。(母は金運を願ってこれを財布に入れていた(゜o゜)

昨年も150センチほどの抜け殻がぶら下がっていたと聞いて、まだヘビが健在なことが嬉しかった。

時代も環境も変わっていくなかで、同じ場所で今も生き続けていることに力をもらう。

 

ある夏の日、ほんの小さなヘビが、焼け付く石垣を登っては途中で落ち、また登っていく姿を目にした。

生きるとはこういうことかと、強烈な日差しの中で思った。

 

ヘビは脱皮をくりかえすことから、「生命力」や「再生」の象徴とされている。

地べたを這いながらも、図太く生命を輝かせたいものです。

巳年にあやかって……

 

朝のぐずぐず

今年も残すところ2日ほどですね。

年末ですることは多いのに、今朝もゆっくりと起きた。

今年の春ごろから、帰宅が遅い家族に生活を合わせた結果、私まですっかり夜型の生活になってしまった。

その分ゆっくり朝寝すればいいのだが、悲しいかな早く目が覚めてしまう(年のせいなのか、習慣がぬけないのか…)

かといって目覚めてすぐ起きるわけでなく、布団の中でぐずぐずしている。

ぐずぐずしながら頭に湧いてくるよしなしごとを、うつらうつらと味わったり考えたりしている。

 

明け方にみた夢を反芻してみたり、前日おぼえた違和感をふりかえってみたり。

今日はこれとこれをしようと、一日の心づもりをしたり。

決めかねて逡巡していることが頭に浮かんだりもする。

そうしているうちに何となく気持ちが着地し、「さ、起きよっと!」となる。

ものすごくゆるいシンキングタイムか……

 

気づかされることも多い。

前日の行動をふりかえり、しなくていい我慢をしてしまったなとか。

ささいなことに優柔不断になっていたなとか(それも悪くないけれど)

今の自分を助けてくれるキーワードが降りてくることもある。

ちなみに今日は「潔く」だった。

 

ファミリーライフサイクル(家族の発達段階)からみても、個人的には変化のある年であった。

それでも、それなりに時間をかけ、心も体も再調整しながら順応していくものだなあと実感している。

そして新しいものも芽生えている。

朝のぐずぐずタイムは、心の調整と成長に一役かっているのかもしれない。

そんなことを想う年の瀬……

 

今年一年、ありがとうございました。

皆さま、良い年をお迎えください。

 

光と影と

街でイルミネーションやクリスマスツリーを見かけるようになった。

デパートの華やかなツリー、小さなカフェの植え込みにも控えめな青い光の点滅…

しんと冷える夜、帰りを急ぐ足も思わずとまる。

 

先月旅立たれた谷川俊太郎さんの詩集を開いていたら、「大きなクリスマスツリーが立った」という詩が目にとまった(以下 谷川俊太郎詩集 「これが私のやさしさです」より引用)

 

 大きなクリスマスツリーが立った

キラキラ光っていて

この世じゃないみたいにきれいだけど

これも人間がつくったものだよ 

(中略)

キラキラ光っているものは

どうしてもどこかに影をつくる

陰しか見えない人だっているんだよ

陰の方がいいとすねている人だっているんだ 

そんな人にかぎってほんとうは

もっともっとキラキラと明るいものに

それが何かはよく分からないくせに

もう泣きたくなるほどこがれているのさ

(詩はこのように終わる)

 

どんなことにも、どんなものにも、光があれば影もあるものだと思う。

人はキラキラした世界を見ているとき、同時にその裏にある影を感じている。

光だけ見ようとする、反対に陰しか見ようとしない、どちらも窮屈ではないだろうか。

せっかく光も影もあるこの世界に生きているのだから、どちらとも大らかにつながっていたい。

光は影があってこそキラキラ輝く。

陰は光があってこそ、漆黒の深みが魅力となる。

 

街にイルミネーションが輝くこの時期、光と影を感じやすいような気がしている。

 

再びかぎ針編みを

かぎ針編みのざぶとんを編んでいる。

かぎ針編みの初挑戦は、小学校の時に編んだマフラー。

オレンジ色の毛糸を買ってもらい、母の手ほどきで編み始めた。

最初は編み目もそろわず、編んではほどき、編んではほどきのくり返し……

それでもだんだん上手になり、なんとか首に巻いて登校できるレベルのマフラーが出来上がった。

自分で作ったものを身に着けて出かけるという最初の体験だったかもしれない。

中学生になると、家庭科の冬休みの宿題にあみぐるみの猫を3匹作ったなあ(途中で飽きて仕上げは母にまかせたが…)

その後は棒針編みのセーターなどはりきって編んでみたが、それもすぐに熱が冷めたので、編み物は自信がないまま今にいたっている。

 

今年なぜか、何十年かぶりに編み物ががしたくなった。

ちょうど愛用のオフィスチェアに、温かい敷物が欲しいと思っていたことも背中を押した。

そうだ、チェア用の座布団を編もう!

座布団ならやっぱり昔なつかしいかぎ針編みがいい!

小学生の頃、級友たちの椅子には、色とりどりのお母さん手作りのかぎ針編みの座布団が敷かれていた。

私の椅子にも、朱色とクリーム色2色で編まれたモチーフの座布団。

 

早速、手芸店で「かぎ針編みの毎日ざぶとん」という本と毛糸を4玉買ってくる。

本にはいくらでも素敵な作品があふれているが、私の手に負えそうなものは残念ながらそう多くない。

しばらく悩んで、一重仕立ての花モチーフの座布団を編むことにした。

長年のブランクがあるので、巻末の網み目記号とその編み方を見ながらしばらく練習してから本番に取りかかる。

そして今日もぼちぼちと編み進めている。

気の早いことに未完成のまま、すでに使っている。

編んでは敷き、また少し編んでは敷き… 完成品に座る日も近い。

それにしてもなんでこの色合わせにしたんだろう(._.)

(他のものとの調和は…などと考えすぎてしまって、わけがわかんなくなってしまった)

 

無心にかぎ針を動かす時間はなかなかいい。

編み目を数えながらなので、TVを見ながらというわけにもいかず、音楽を聴く。

昭和のポップスがとてもピッタリする(ユーミンとか大瀧詠一とか……)

あの頃の空気感に包まれ、ノスタルジックな気持ちを味わう。

だいたいはほろ苦い日々だったけど、それも今となってはちょっと愛しい。

 

名匠狂言会

秋の日も落ちた夕刻、狂言を観に一人で名古屋能楽堂に足を運んだ。

野村万作さん、野村萬斎さんの芸を生で見たいという、数年来の願望がかなった。

この会は、名古屋、東京、京都の3流派が集い、それぞれが一つずつ演目を披露する。

名古屋和泉流は「懐中婿」 東京和泉流は「合柿」 京都大蔵流から「鎌腹」

各派の特色に加え、三都それぞれのお国柄も出ていて、そこも味わいがあった。

どれもよかった。

 

その中でもとりわけ心を動かされたのは、野村万作さん主演の「合柿」

柿売りが祭りで柿を売っていると、5人の地元の者たちが来たので、甘い(はずの)柿の試食をすすめる。

ところが柿はどれも渋い。

5人衆は柿売りに、自分で食べてみろと言い、柿売りが食べるとこれも渋い。

「渋い柿を食うと口笛が吹けぬ」と言われて、柿売りは必死に口笛をふいてみるが音が出ない。

「だまそうとしたな」と皆は柿売りを叩いたうえ、籠に入った柿をそこらにぶちまけて去っていく。

 

一人になった柿売りの去り際に心を打たれた。

柿売りは籠に柿を拾い集めながら、述懐する謡をしっとりと歌いあげ、とぼとぼと去っていく。

「拾い入れたる柿をもち、わが宿所ににぞ帰りける… わが宿所にぞ帰りける……」

身体から舞台から、にじみ出る悲哀。

泣けた。

 

その余韻が続くなか、帰宅して改めてパンフレットを広げ、野村万作さんの挨拶文を読んでハッとした。

挨拶文の最後はこう締めくくられる。

「はたして柿は本当に渋かったのであろうか。演じていて、常に考えさせられる点である」

うーん……とうなった。

渋柿を甘い柿と偽って売ろうとした柿売りが皆の制裁を受ける、という単純な話ではないのかもしれない。

もし、渋柿ではなく甘い柿だったとしたら、話は全然違ったものになる。

何と深いことだろう。

 

この狂言会は人間国宝の方が二人も出演されるという贅沢なものだった。

3派とも、年齢を重ねた狂言師がその舞台を格調高く引き締めていた。

装飾的なものがそぎ落とされ、ただ素をもってすっくと立っている。

このような境地にいつの日かわずかでも近づきたいものだと思う。

 

それにしても野村萬斎さんは、ひときわ華がありました。

 

庭木の剪定

毎年この時期にやってくるのは、庭木の剪定作業。

オリーブ、シマトネリコ、カシの剪定を終えた。

シマトネリコは、思い切って大枝を落とし、見違えるほどスッキリ。

近所の方も気づいて「スッキリしたね」と声をかけてくださる。

 

カシは前の住人さんが植えた、二階の屋根に届くほどの大木。

脚立に乗り、高くて狭い塀の上に立ち、片足を木の枝に預け、なかなかにアクロバティックな作業になる。

転げ落ちれば、足が一本折れたでは済まないだろう。

「安全第一、無理をしない!」 と自分に言い聞かせながら、作業を進める。

そこまでして自分でやらなくてもいいのに、と言われるかもしれない。

結局は好きなんですよね、自分でやりたい。

 

剪定はなぜか楽しい。

のこぎりでギーコギーコ、ハサミで無心にチョッキンチョッキン……

日頃のストレスなども、無心な作業の中に吸収されていくような気がする。

どの枝を落とせばいいか、葉をどのくらい残して欲しいのか、木と相談しながら進める。

 

剪定し終わった木を眺めるときの、胸がすくような爽快感。

鬱蒼としていた木が、生まれ変わったようにイキイキしている。

風が通り抜け、葉っぱが日差しを受けて、きらきらと輝く。

こうして手をかけた木と一段と仲良くなる。

 

あとはエゴノキが残っている。

そうだ、そろそろスイートピーの種も蒔かねば……

      川上貞奴邸も剪定作業中    

 

吉本新喜劇

「吉本新喜劇&バラエティショー」のチケットに当選したので行ってきた。

吉本新喜劇といえば、子供のころ土曜のお昼にTVでよくみたものだった。

小学校から半ドンで帰ると、母が焼き飯を作ってくれる(今でいうチャーハンですね)

それを兄と並んでハフハフ食べながら、TVで新喜劇を見るのが土曜日の正しい午後の過ごし方。

今も、熱烈なファンというほどではないが、たまたまTVでやっていると、ついつい見てしまう。

 

大阪の「なんば花月」にも一度行ったことがある。

しげじいが座長の演目だったが、今までみた中でも面白さは秀逸、伝説の回と呼びたいくらい。

生でみる迫力もあった。

 

今回は酒井藍ちゃんが座長、もちろん口角が上がりっぱなしの2時間。

想えば子供のころから50年、同じ劇団に笑わせてもらっている。

ドタバタの人情劇のなかに、人間のおかしみ、やさしさ、切なさ、愚かさが見え隠れする。

 

「吉本新喜劇」は1959年に「吉本ヴァラエティ」として発足したらしい。

すでに65年の歴史があるのですね。

その長きにわたり、多様性の極みのようなスターが続々と誕生してきた。

どんな個性もそのまま強みとして、温かく受け入れられる劇団。

悪役さえ憎めないし、どこかで共感してしまう。

みんな愛されるべき人というメッセージが根底にある。

 

子供のころはただ笑いながらみていた。

今は笑いながら、泣けるんですよ(私も年をとりました…)

笑いの背後にある、哀しみや寂しさにひたひたとやられる。

 

「吉本新喜劇」は、どの時代もその笑いで人を元気づけ、癒し、厄を祓い……

劇場に足を運ぶファンはもちろん、TVの前の老若男女と共に歩んできた。

これからも変わらずにいてほしいものです。

 

語ること

みてくださいよ、この雄姿!!

なんてかっこいいんだ……

前回のブログで、オリーブの木の幼虫のことを書きました。

今日ふと見ると、羽化したばかり(多分)のスズメガの成虫を発見。

連日の灼熱の中、よくぞご無事にこの日まで……

すごいなー。

(以上、前回ブログの後日談でした)

 

さて、話は変わり今日の本題、先日1時間のインタビューを受ける機会に恵まれた。

いちカウンセラーとしてインタビュアーの質問に答えたのたが、思いのほかいい体験となった。

そのインタビュアーさんはプロでもなければ、経験を積んできた方でもない。

けれども、その真っすぐな瞳、ピュアな感性は、こちらの自由な語りを引き出すに十分だった。

優れた聴き手により、語り手の世界を立ち上げてもらえた。

 

個人的な話を聴くという行為は、予定調和とは対極にあるものだと思う。

その時間がどのようなものになるかは、未知のもの。

話し手が、何にもとらわれず、思う存分表現できること。

その「語り」を通して、生きた具体的イメージが、話し手と聴き手の間にいきいきと立ち上がり、共有する。

話し手は、聴き手の表情や質問などから「伝わっている」と実感し、さらに話は縦横無尽に広がり、深いところに降りていく。

こういう風に話せる機会って、多くの人にとって少ないのではないだろうか。

 

普段は圧倒的に「話す」より「聴く」ことが多い私であるので、貴重な体験をさせていただいた。

しかも語れた感があった。

「語る」と「話す」は、またニュアンスが違う。

「語る」は、より深い心の層とアクセスしながら、言葉を紡いでいく感じがある。

あちこちに散らばった大切なかけらたちが、まとまりをもって整理される。

今まで表現したことのない自分とも出会う。

語りの後には、未来へと続く自分がいる。

カウンセリングもこのようなものでありたい。

 

「インタビュー」と「カウンセリング」は手法も目的ももちろん違うが、根底には通ずるものがある。

それは、人が人に語るということの肝なのかも知れない。