死について思うこと

「映画」ドライブ・マイ・カーをみてきました。

「死」「喪失」「再生」といったことが、深い層で描かれていて見ごたえがありました。

いたるところに伏線がはられ、メタファーがちりばめられている。

その答え合わせはみる人それぞれにゆだねられているし、そもそも解釈を求めていない作品でした。

心のひだにふれ、揺れることこそを投げかけられたような気がします。

 

この映画の原作者 村上春樹さんの多くの作品に、「死」がでてきます。

それも事故や自死、病など不条理な死が多い。

 

今「死」について私的に思うこと……

すべての「生」が唯一無二のものであると同じで、「死」もまた唯一無二のものであるということ。

どのような死も尊い。

どのような死も、精いっぱいの姿なのだなと思うのです。

圧倒的に精いっぱいの姿、自分には経験しようもない、その人にしか成しえない過程のただなかにいる、その姿は恐れ多い。

いい死だとか残念な死に方だとか、生半可な評価をよせつけないもの、それが「死」だと思うのです。

 

そしてもう一つ、「死」は特別なものではないということ。

「生」の続きに必ずあるもの。

生物として生まれてきたものの宿命であり、自然な姿。

だとしたら、誰かの死に臨むとき、できるだけ普段通りでありたいなあと思います。

普段の生活でも大変そうな時期にある人に「何かできることがあったら言ってね」と普通に声をかけることがありますよね。

その心持ちで「死」の前後のことに駆けつけ、心を通わせ、手伝えたらいいなあと思うのです。

最後は「バイバイ、また会おうね」と手を振って……

ただこれは、最近身近にあったある一つの死に関して、私が感じたことに過ぎないです。

同じ私であっても、また別の死には、違う心の動きがあるのでしょう。

ある人の受け止め方は、別のある人を傷つけることすらある。

 

結局はひとりひとりが、遭遇した「死」というものに向き合い、自分の中に何かを見出していくしかないのだと思います。

それは、これからも生きていくものにとって、無駄なことではないと信じたい。

 

    鳩の幼鳥 映画館にむかう途中の名古屋駅前   

 少し離れて親鳥が見守っていました

 

 

 

クリスマスローズ

クリスマスローズがうちにやってきました。

    クリスマスローズ ウインターベル

先月末だったか、クリスマスローズを庭に植えたいなあとふと思ったのです。

なんで急に思ったのか、思いだせないけれど。

そんな折タイムリーな情報、フラワーパークで働く知人がたまたま話してくれた。

「今ね、園でクリスマスローズ特集をしているの、きれいだよ~、種類もいっぱいあってね……」

とクリスマスローズの尽きない魅力を語る。

聞けばとても丈夫で、日本の庭でもとても育てやすいというではないですか。

これはぜひ手にいれたい! と思いつつ何日か過ぎていました。

 

今週のこと、入院中で面会もできない義母に、何か楽しめるものを送ろうという話になりました。

アイパッドでみれる写真、間違い探しパズル、大人の塗り絵、スクラッチアート、手作りのメッセージカードなどなど。

そうだ、気楽にながめられる雑誌もいいかも……と本屋さんをのぞいた。

そこで目についたのが「趣味の園芸2月号」クリスマスローズ特集。

この本なら植物好きな義母がめくってくれそう。(そして送る前にちゃっかり私も読んじゃおう…)

 

「趣味の園芸」をみていたら一気にクリスマスローズ熱が高まり、すぐにでも欲しくなった。

近くのホームセンターに行ったら、ありました、ありました、クリスマスローズ。

3種類しか置いていなかったけれど、こういうのは思い立ったときの縁、ある中の一つを選びました。

早速、手持ちの大きめの鉢に植え、プランタースタンドにセットした。

冬から春にかけて、次々と花(本当はガク)を咲かせてくれることでしょう。

今年は玄関先の鉢植えでお客さま扱い、来年は地植えにしようと思います。

 

そもそもクリスマスローズという植物を知ったのは、もう30年も前。

その頃最寄り駅近くで、わずか3台のスペースで駐車場を営む、花好きなおばあ様が植えていらしたのです。

私もそこを借りていたのですが、駐車場の奥は花壇になっていて、色とりどりのお花が咲いていました。

80代も半ばの方でしたが、それは楽しそうに花壇の手入れをされていて、私も会社の帰りなどに、お花を見せてもらいながら立ち話をしたものです。

ある日「珍しいお花を取り寄せてみたの」と嬉しそうに見せてくださったのがクリスマスローズ。

そのロマンティックな名前と、可憐な姿が記憶に残っていたお花、晴れて私のところにも来てくれた。

点と点が連なって、像を結んだように思えます。

嬉しい。

 

時々聞かれる

この仕事をしていると、「溜まらない?」とか「ネガティブな影響を受けない?」とか「悪いものをもらってしまわないの?」とまで、いろんな言葉で聞かれることがあります。

時にはクライエントさん自身から、「こんな暗い話ばかり延々と聞いてもらって大丈夫ですか?」と逆に気遣われてしまうことも。

そのたびに、「えっ?」となります。

というのは、あまりそういうことを意識したことがないのです。

お話を聴くことは私にとって自然なことで、むしろ自分の人生にさえ力を与えてもらっていると思う。

 

確かに「こんないいことがあって聞いてほしくて…」とカウンセリングに来られる方は稀です。

多くは、一般にネガティブとされることが語られます。

とても困難な現実や、過去の過酷な体験、悲しみや怒りの感情が語られ、独特の時空間を共に過ごします。

 

ただそれがどのようなものであっても、私にとっては、初めてふれるもので、純粋に興味を持ちます。

その方が発するものにフォーカスし、その背景にあるものに思いを馳せ、その世界をわかろうとします。

いい話とか悪い話とか、ポジティブとかネガティブとか分けようとしない。

その人のあり方を評価しようともしない。

 

ただ純粋に興味を持って聴く……

それを続けることができると、抑え込まれていたエネルギーは徐々に開放され昇天していく(イメージですが)

とてもピュアなその方本来のエネルギーが発散される。

空気が本当に変わります。

こちらも感覚が軽くなり、いい気に包まれる。

カウンセラーも一緒に連れて行ってもらえるのです。

いい場にいさせてもらったなあと思う。

毎回のようにそれが起こるわけではありません。

ただじっと耐える時期もある。

それでも、ぶれることなく、向き合い続ける。

 

もしこちらが、語られることに抵抗をもったらどうなるでしょう。

表面的には理解した風を装っていても、内面で拒絶していたら……

その話の持つエネルギーは拒絶され、行き場を失ってしまいます。

受け止めてもらえなかった、わかってもらえなかったという感覚と共に、さらに大きなものを閉じ込めてしまうことになりかねません。

お互いにダメージの残る結果となってしまう。

 

どのような話も、純粋に興味を持って聴く。

それができているかは、繊細にいつも顧みなくてはなりません。

まだ旅の途上にあるカウンセラーはそんな風に思っています。

       路傍の猫  ある人曰く、この目はこちらに心を許していないそうな……

 

 

一人の時間

今年もめでたく誕生日がやってきました。

家族は家を空けており、人生初の一人で迎える誕生日。

それはそれで気ままで良いものです。

燦燦と光がさしこむリビングで、一人ケーキをいただく幸せといったら……

     パステルのイチゴのケーキ

 

年末から、怒涛の如く大波小波がきていましたので、久しぶりにどっかりと腰を下ろした気分。

夜はもちろん、いそいそとワインを開け、一人のささやかなディナー。

おお、満足じゃ…(*’▽’)

 

子どものころから、一人が苦ではありません。

大家族で育ちましたが、離れで一人本を読んだり、庭でアリの巣をあくことなく掘り返したり、一人で遊ぶ子供でした。

大人も忙しくて、程よくほおっておかれたのは、今思うと幸せでしたね。

ひとり想像の世界に遊ぶ時間もふんだんにあった。

内緒の悪いこともした。

小さな嘘もついた。

 

子どもにも守るべきひとりひとりの世界があると思います。

全てに大人の目が届いて、全てが白日の下にさらされたら、たまったものではない。

子どもは大人の知らないところで冒険し、小さな秘密を持ちつつ大きくなるのでしょう。

大人には適当にうまいこと言って、安心させながら。

 

一人の時間、一人の世界は私にとってなくてはならないもの。

庭で一人、アリの行列を眺めていた5歳の私と、今ここにいる私は紛れもなくつながっている。

そのつながっている一本の線のようなもの、それこそが私なのかな……

 

朝起きたら、窓の外、一面の雪景色でした。

今もちらちらと舞い降りています。

年の瀬の思いがけない雪です。

         エゴノキのてっぺんに小鳥

 

「あとかくしの雪」という昔話があります。

ある貧しい村を、お腹をすかせたひとりの旅人が通りかかります。

村人たちは助けてあげたいけれど、自分たちも日々の食べ物に困っているので、助けることができない。

とうとう旅人は村はずれで行き倒れてしまう。

通りがかった一人暮らしのお婆さんが、家に連れ帰り、わずかな雑炊を振舞いますが、旅人にはとても足りていない様子。

おばあさんは意を決して、庄屋さんの畑に忍び込み、大根を一本引き抜いて帰ります。

大根汁を作って旅人に食べさせ、夜明け前に旅人を旅立たせるのです。

そのころ庄屋はまだ薄暗い畑で、大根が引き抜かれた跡と、点々と続く足跡をみつけます。

証拠の足跡は残っている……庄屋は夜明けを待って、代官所に届けることにします。

さて夜明けとともに、庄屋が支度を整えて外に出ると、外は一面の雪。

おばあさんの足跡はあとかたもなく雪に覆われていました。

まだ雪が降るにはひと月も早い日のことじゃった……というお話。

 

私はこういうお話が大好き。

ファンタジーでありながら、人の世の確かな側面を映し出しているような気がするからです。

自然に宿る何かが、あるとき意思を持つかのように動き、人を助けることがある、思いがけないことによって物事がうまくいくことがある。

体験的に思うのです。

(逆に戒めをあたえることも…)

 

今年も終わります。

泣いたり、怒ったり、悲しんだり、へこんだり、笑ったり、どんな自分も愛おしい。

この一年のどんな自分も、許そうではないですか。

 

今日の雪は、「あとかくしの雪」

一年のすべてを包み、許す、優しい雪に思えます。

みなさま、いい年をお迎えください。

 

頑張ったんやで

京都に一日ドライブしてきました。

今回は車なので、郊外の南のエリアに行ってみようと、伏見区方面に向かいました。

まずは混雑覚悟で、世界文化遺産 醍醐寺へ……

     醍醐寺 三宝院庭園

意外にも人が少ない。

紅葉も終わろうとしている曇天の日、ゆっくり散策できました。

     仁王門をくぐり伽藍エリアへ

途方もない年月をへた山門の佇まいと、冬の木立へと移ろいゆく紅葉の終わり、刹那のハーモニーはやさしい。

 国宝 五重塔

これはすごい、大迫力の五重塔。

見上げると、楼閣で勇壮に槌をふるう、建設当時の大工さんの姿が見えた気がした。

この困難なミッションで、命を落とした職人さんもいたであろう……ふいにそんなイメージがわいたその時、

「何人か死んだだろうね……」

夫と娘がほぼ同時に口にした。

「同じこと考えていたよ」と驚いて私が言い、3人で思わず顔を見合わした。

「頑張ったんやでって、言ってきたんだよ、今」と娘。

頑張ったんやで……この言葉が真っすぐに心に響いた。

千年以上の時を超え、当時の職人さんたちとつながれた気がした。

背中にじーんとパワーを感じながら、醍醐寺を後にしたのでした。

 

さて、次はどこに行こう。

京都市公式の「紅葉だより」というサイトをみていたら、同じ伏見区で城南神社という紅葉の名所をみつけた。

紅葉と、咲き始めの椿が美しいらしい。

車で一路、城南宮を目指す。

これが結構遠い、同じ伏見と言っても広いのですね、

もはや京都感のない郊外、町工場や、住宅、ブドウ畑を車窓にみながら、やっと着きました。

鳥居手前の祈祷殿で、新車と思しき車が、5台まとめてお祓いを受けていた。

遅めの七五三のお祝いに訪れた家族もいる。

地域の氏神様みたいなお宮なのかな、ちょっと外したかも……ちらっと不謹慎なことを思った。

 

お参りを済ませ、目的の庭園へ。

後で知ったのですが、庭園は広くて、5つのエリアからなっている。

最初の「春の山」は、ツツジ、しだれ梅など春の花のエリア、今は花もなく木立だけの寒々しい趣、何故かここをゆっくり見過ぎた。

次の「平安の庭」に入ると、一転目の覚めるような紅葉、「わあ、すごい」と思ったら、背後から声がかかった。

「閉門のお時間となりましたので、お急ぎください」

巫女さんが追い立てるように後からついていらっしゃる。

燃えるような紅葉の下、4つのエリアをひたすら速足で、すごすごと出口に向かったのでした。

     室町の庭の堀

「ゆっくり見たかったなあ」帰途、名残惜しげに城南宮のパンフレットを眺めていた。

そこには平安京に都が還ったときにさかのぼる、城南宮の由緒が記されていました。

とりわけ「方除けの大社」として名のあるお宮らしく、全国各地からお参りがあるという。

「方除け」とは、方位の障りや家相の心配がないよう祈願することらしく、旅行などの道中や滞在中の安全、車の交通安全を願ってお参りするのもこれに当たるという。

ぬぬ、これはこれは……

今回は、新車の初ドライブ。

「方除け」の神に導かれたのかもしれませんね。

 

 

車とお別れ

昨日、13年近く乗った車とお別れしました。

 

春夏秋冬、ひたすら家族の年月に付き合ってくれた車。

我が家の足となり、コミュニケーション空間となり、一人の癒しルームともなり、いつも家族と共にいてくれた。

外出先の駐車場に戻ると、止めた場所で忠実な執事のように、寡黙に待っている車がいる。

「おお、よくぞ待っていてくれた…」

愛車がいとおしく思える瞬間でした。

 

その時々で、いろんな色をしていたであろう人の心をそのまま包み、ひたすら走り続けてくれました。

車内、楽しさあふれる時もあれば、不穏な空気が充満することもあり、運転にも反映されていたと思うのですが、ほぼ故障も事故もなく過ごせたのは幸運でした。

私のドライブテクニックからすると、奇跡のようです。

感謝しかない!

 

もし、この13年の運転履歴をプリントしてみれるなら、それはそのまま家族の歴史そのもの。

我が家に来たとき、まぶしく輝く新成人のようであった車は12年後の今年の春、成人式を迎えた晴れ着姿の娘を、穏やかな老執事よろしく乗せて走りました。

感慨深いものがあります。

 

二十歳で免許を取って以来、乗り続けたマニュアル車とも、この車でお別れです。

まだオートマ教習などなかった当時、クラッチに泣かされました。

「あの苦労を、水の泡にしてなるものか…」と、マニュアル車に乗り続けたけれど、とうとう時代の波には逆らえず……

 

さて、新しい車は、少々やんちゃな顔をしています。

まだ大人しくしているけれど、これからどんな性格を出してくるのでしょう。

あの日に感謝

11月になり、一気に季節がすすみました。

来年のお庭のために、今日はスイートピーの種を植えようと思います。

 

さて、1週間ほど前、娘の誕生日でした。

娘にラインで「おめでとう」と送信したら、ちょうど家のチャイムがなり、ご近所の方に大きな鯛を2匹もいただきました。

あら、まるでお祝いのよう……

家族そろって鯛料理で誕生日をお祝いしたいところでしたが、娘は離れて暮らしているし、夫もその日いなかったので、秋の夜長に一人、鯛のお刺身をつつきながら、ワインを開けたのでした。

 

思い返せば、娘の誕生はなかなか大変なものでした。

予定日を10日過ぎても、生まれる気配がなく、みんなやきもきしました。

やっと陣痛が来て入院し、痛みに耐えながら一晩過ごして翌朝を迎えたけれど、一向に分娩が進まない。

陣痛促進剤、バルーンなどの処置をしても進まない、あまりの辛さに「無痛分娩にしてください」と口走っていました。

麻酔をして楽になったのもつかの間、その後の検査で、母子ともに危険な状態に陥っていることがわかりました。

「赤ちゃんが苦しくなっているので、帝王切開にしますね」とだけ私には告げられ、バタバタと手術室へ。

先生も看護師さんたちも殺気立ってる感じは伝わってきて、大変なことになっているんだな、というのはわかりました。

急きょ手術をサポートする医師が他院から駆けつけ、出産後大病院に搬送のため、小児科医と救急車も待機していました。

白状するとその状況の中、私は自分がこれ以上痛い目に合わないかとビビっていた。

よくドラマとかにに出てくる、私よりも赤ちゃんを助けて…という強いお母さんではなかった。

なので、無事に生まれた娘と対面したときには「最初から一本取られたね」と心の中でつぶやいた。

試練をくぐりぬけ、たった今この世に生まれ出た命の強さに、無条件に尊敬の念を覚え、自然とこうべを垂れていました。

 

娘には生まれるときに苦しい経験をさせてしまいました。

でも同時に、赤ちゃんの持っている逞しさというのは、ゆうにそれを超えてくるものだと感じました。

もちろん安産で、できるだけストレスなく生まれるに越したことはないかも知れません。。

私もそれを願って、自律訓練法やら、呼吸法やら、妊婦さん向けの教室にも参加しました。

でも実際には、何が起こるかわからない、人のコントロールには限界がある。

そんな神秘の世界と人の手が交錯するなかで、赤ちゃんはしっかりと自分で何かを選び、何かを手放し、生まれてくるのだと思います。

 

どのようなお産でもいいではないか…と今は思うのです。

自然分娩であろうが、陣痛促進剤に頼ろうが、帝王切開になろうが、たまたまそうだったというだけのことです。

生まれるときの唯一無二の体験を、自分に組み入れて、人生を歩んでいくにほかならない。

あれから20年以上過ぎ、あらためて、あの日のすべてに感謝……

 

    ここらで見かけない新顔さん

 

 

カバンを磨く

8年以上使っている、仕事用のカバン。

かなりくたびれてきました。

A4のファイル、重い本、水筒、はおりもの、何でもかんでも放り込んで、酷使してきました。

型崩れが進み、バッグの口のところなど、こすれて色が剥げてきている。

 

いつだったか、このかばんを持った自分の姿が、デパートの鏡にふいに映った。

周りのきらびやかな雰囲気の中、ふるぼけたカバンを持っている人……だった。

「そろそろ買い替えようかなー」一度は思ったけれど、結局その後も使い続けています。

 

時々革用クリームで磨くと、新品にはない艶となめらかさが出て、ちょっとほれぼれします。

使い込んだ風合いですね。

革が柔らかくなった分、手にも身体にもなじみ、使い易い。

 

先日の外での仕事の後、自分の中にモヤモヤとしたものが残ってしまった、ということがありました。

(その機関のルールがあるので、その中でどこまで自分のカラーを出せるかという葛藤があった)

帰宅後、なぜかカバンを磨いている私がいました。

革用クリームをとんとんと何か所かのせて、全体に伸ばす。

隅々にまで伸ばして、丁寧に磨く。

ダメージのある所は、もう一度クリームをのせて磨きこむ。

その日のことは、頭の中を浮遊していましたが、手は無心に動かし続ける。

磨き続けるうち、心がひたひたと穏やかな波で満たされるように、すーっと整っていった。

 

一方、カバンはつやつやと輝き、よみがえりました。

この古ぼけたカバンはもはや相棒、まだまだ力をくれます。

Oさん

実家に電話したら、お祭りの日でした。

「いいなあ」と思わず口にすると、「いや、祭りといっても、コロナがあるから、お宮での神事だけなんよ」と兄。

 

コロナがなくとも、近年は縮小傾向のお祭りです。

    担ぎ手不足のため台車に乗ったお舟様(2018年)

 

昔のお祭りは活気にあふれていました。

朝からドンドンと太鼓の音が鳴り響き、お昼ごろから、お舟様一行の大行列が現れる。

神主さんを先頭に、お舟様は、太鼓隊、子供の鉄砲隊、のぼり隊などを従えて村を練り歩く。

赤鬼、青鬼、だんご(獅子)は神出鬼没に現れる。

赤鬼が酔いつぶれて、青鬼だけなんてこともありましたね。

みんなで飲み過ぎて、行列の時間が大幅に遅れたり、民家の庭に乱入したり、なかなか自由なお祭りでした。

 

何十年か前のある年のお祭りの日、行列の中のOさんの姿にみんなが目を見張りました。

Oさんはその頃、60歳くらいではなかったかと思うのですが、普段から酒浸りで、今でいうアルコール依存症であったと思います。

いつも千鳥足で、目はどよんとしていて、人のいるところに近寄ってはくだを巻いていました。

そのOさんが、りゅうとした背広姿で榊を持ち、しっかりとした足取りで行列の先頭あたりを歩いてくるではありませんか。

「Oさん、今日はどしたん…えらいイメチェンして…」隣にいた叔母のびっくり顔を今も覚えています。

その日のOさんは、本当にかっこよかった。

私まで誇らしいような気持ちになりました。

 

Oさんはお酒のせいで、時々周りに迷惑をかけることがありました。

子供たちの書道教室に入ってきてくだをまき、若いお母さんたちの眉をひそめさせるというようなことが。

そんな時、Oさんの控えめな奥さんが、さらに身を小さくして連れ戻しに来られました。

子供の目にも切ない光景でした。

 

Oさんは、小学生の私と道で会うと、「お~、ノリ君の娘か」といつも声をかけてきました。

「もうちょっと、あっさりした服を着るとええよ」と言われたきは、ほんとうに自分でもそう思った。

 

Oさんとの忘れられない思い出があります。

学校帰りに村のよろづやの前を通った私を、お店で飲んだくれていたOさんが目ざとく見つけ、中に招き入れました。

「好きなお菓子を買うてやる」

小1の幼い私は、この状況にどうしていいかわからず、じっとしていたと思います。

するとOさんは店で一番高そうなお菓子、イチゴのショートケーキ(おそらくヤマザキの)を手にして、私に持たせました。

どうしていいかわからないまま、イチゴのショートケーキを手に店を出ました。

多分、ありがとうも言えなかった。

ケーキを持った私は、寄り道して、自分ちの畑に行った。

そして、畑のこんもりと土が盛ってあるところに、ケーキを棄てたのです。

白いクリームがぐしゃっとつぶれて、黒い土にまみれたのを、しばらく眺めていました。

なんともいえない気持ちで眺めていました。

 

なぜ、あのようなことをしたのかよくわかりません。

「Oさんにもらった!」と喜んで家に持ち帰ってもよかったのに、小1の私はそうしなかった。

Oさんの気持ちを無にしてしまったこの出来事を思うと、今でも悲しいです。

 

Oさんはもともととても頭の良い人であったのに、戦争から帰ってからお酒におぼれ、あんな風になってしまったのだと聞いたことがあります。

村の人の多くは、Oさんのことを悪く言わず、受け入れていたように思います。

 

お祭りがきっかけで、今日はOさんのことをつらつらと思いだしています。

いつか私もあちらの世界に行ったら、大人同士の話ができるでしょうか。

いや、やっぱり子供のまま「ノリ君の娘」で会った方がいいのかな……