最近、同年代の友人と、お互いの記憶力低下自慢(?)になることがあります。
勉強してもちっとも頭に入らない、人の名前が出て来ない、買いたいものを忘れる、メモすればその紙を忘れる…
嘆きと共感の嵐。
ところがそんな私たちでも、いきいきと語る過去の記憶があります。まるで今、目の前で起こっているかのように…
私も人生、はや2万日近くを生きているわけですが、日々のほとんどの体験がどんどん記憶の彼方にほうむられていく中、なぜか忘れずにいるものがあります。
ま、これは忘れられないよなー、と納得できるものも多いです。
すごく悲しかったとか、悔しかったとか、すごく嬉しかったとか、面白かったとか、はずかしかった、とか。
でも中には、なんでこんなことを覚えているんだ?と自分でも笑ってしまうような些細なことも…
むしろそんなことをいっぱいいっぱい覚えてる。
何気ない日常の一コマ。
縁側での祖母とのたわいない会話、保育園の友達が持っていた絵付きのチリ紙、うんていをする同級生の一瞬のどや顔、ミシンの訪問販売員と母との会話、参観日に先生が着ていたセーターの色…
忘れたとしても人生に何の差支えもないことばかり。
そういえば、中学一年生の時のクラスの女子の名前、出席番号順に全部言える。
「あ」で始まる安保さんから最後の「ま」の松田さんまでの17名をフルネームですべて。漢字も書けるぞ。
なんで今更何の役にも立たないことを、覚えているのか…
面白いです。
ところで、私の一番最初の記憶は、多分2歳ごろのあのシーン。
朝押し入れの前で、母に赤いスモックを着せてもらっている。まだ布団の中にいる父が、その様子を見て「もう少しいい服を着せてやれよ」と母に言ったこと。
私の3歳上の兄は、私が生まれた日のことを覚えているそうです。
私が生まれるまで産科医院の前の川で遊んでいたこと、生まれたばかりの妹を初めて見たとき「気持ち悪いヤツや」と思ったこと(なんですとおー!!(-_-メ))
記憶って不思議だなあと思います。
日々の膨大な情報の中から、あるシーンを心にとどめ、持ち続ける。
そこにはその人だけの取捨選択、そして心にとどまったものは、その後の人生にきっと参加しているのでしょう。
記憶の断片、人生の様々なシーンは、色とりどりの金平糖が散らばっているよう。
その一粒一粒があふれるように、今があるのかな。