トラだましい

たまたま同じ題名の本を買いました。

「猫だましい」

本を買ったときの、ワクワク感。

これから浸るであろうその世界への期待感……

子供の頃も、大人になっても、いくつになってもこの気持ち、変わらないですね。

ましてや、「猫だましい」なんて、猫好きとしては持っているだけでも嬉しくなる本!

 

今もリスペクトしてやまない、かつての飼い猫「トラ」

その稀有に優れた存在性に、生物の種を超え、かなわないという想いを抱いていたように思います。

まさに「トラだましい」を秘めていた猫でした。

飼い猫であっても人との距離を頑として保ち、孤高の雰囲気を漂わせていました。

あるとき、外で一人(一匹)遊んでいたまだ子猫のトラを、別のお宅の方が捨て猫と勘違いし、ご自宅に連れ帰ったことがありました。

近所の人が気づき「お宅の猫が、○○さんの家にいたよ」と教えてくださいました。

「トラがいなくなったあー」と半泣きだった小学生の私は、母に連れられトラを迎えにいきました。

そのお宅に行くと、トラは明らかに我が家よりも豪華な餌を与えられていましたが、まったく口をつけなかったそうです。

お腹がすいていただろうに、かたくなに食べようともせず、その家の人に慣れようともせず、ただじっとしていた。

あっぱれじゃ、トラ。

 

野性味あふれるトラは、時々ヘビやスズメを口にくわえて帰ってきました。

お土産のつもりだったのでしょうが、これには困りましたね。

兄がわざと私を叩くふりをしたときは、猛然と兄に飛び掛かっていった。

気に入らなければ、容赦なく飼い主にも牙をむき、引っ掻く。

私もよくやられました。

 

そんなトラも亡くなる半年くらい前から、人肌が恋しいかのようにそばに来るようになりました。

私がごろんと横になると、すかさず走り寄ってきてお腹の上にでんと乗る。

人にむやみに触られるのが嫌いで、一段高い所から(TVの上とか)人間界を見下ろしている猫だったのに、ずいぶん変わってきたなーと思っていた。

それから間もなく交通事故で亡くなりました。

私が初めて車を運転し車道に出たその日に……

そろそろと車を動かす私をどこかでみていて、「これは何事か、白い箱に入ってどこかに行くうちの子を助けなければ…」と思ったのかもしれません。

そして夢中で車道を追いかけてきて事故に遭ったのかもしれない、と考えたりします。

 

ここ1年くらい、ハンドルを握るときは「トラ!」と、一声鳴いて(?)車を発進させるようになりました。

メチャクチャへんな人ですけど、なーんか安心するんですよね。

トラがそばで守ってくれているような気がして……

トラとお別れしてもう33年、「トラだましい」を今も感じている。

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