あの日に感謝

11月になり、一気に季節がすすみました。

来年のお庭のために、今日はスイートピーの種を植えようと思います。

 

さて、1週間ほど前、娘の誕生日でした。

娘にラインで「おめでとう」と送信したら、ちょうど家のチャイムがなり、ご近所の方に大きな鯛を2匹もいただきました。

あら、まるでお祝いのよう……

家族そろって鯛料理で誕生日をお祝いしたいところでしたが、娘は離れて暮らしているし、夫もその日いなかったので、秋の夜長に一人、鯛のお刺身をつつきながら、ワインを開けたのでした。

 

思い返せば、娘の誕生はなかなか大変なものでした。

予定日を10日過ぎても、生まれる気配がなく、みんなやきもきしました。

やっと陣痛が来て入院し、痛みに耐えながら一晩過ごして翌朝を迎えたけれど、一向に分娩が進まない。

陣痛促進剤、バルーンなどの処置をしても進まない、あまりの辛さに「無痛分娩にしてください」と口走っていました。

麻酔をして楽になったのもつかの間、その後の検査で、母子ともに危険な状態に陥っていることがわかりました。

「赤ちゃんが苦しくなっているので、帝王切開にしますね」とだけ私には告げられ、バタバタと手術室へ。

先生も看護師さんたちも殺気立ってる感じは伝わってきて、大変なことになっているんだな、というのはわかりました。

急きょ手術をサポートする医師が他院から駆けつけ、出産後大病院に搬送のため、小児科医と救急車も待機していました。

白状するとその状況の中、私は自分がこれ以上痛い目に合わないかとビビっていた。

よくドラマとかにに出てくる、私よりも赤ちゃんを助けて…という強いお母さんではなかった。

なので、無事に生まれた娘と対面したときには「最初から一本取られたね」と心の中でつぶやいた。

試練をくぐりぬけ、たった今この世に生まれ出た命の強さに、無条件に尊敬の念を覚え、自然とこうべを垂れていました。

 

娘には生まれるときに苦しい経験をさせてしまいました。

でも同時に、赤ちゃんの持っている逞しさというのは、ゆうにそれを超えてくるものだと感じました。

もちろん安産で、できるだけストレスなく生まれるに越したことはないかも知れません。。

私もそれを願って、自律訓練法やら、呼吸法やら、妊婦さん向けの教室にも参加しました。

でも実際には、何が起こるかわからない、人のコントロールには限界がある。

そんな神秘の世界と人の手が交錯するなかで、赤ちゃんはしっかりと自分で何かを選び、何かを手放し、生まれてくるのだと思います。

 

どのようなお産でもいいではないか…と今は思うのです。

自然分娩であろうが、陣痛促進剤に頼ろうが、帝王切開になろうが、たまたまそうだったというだけのことです。

生まれるときの唯一無二の体験を、自分に組み入れて、人生を歩んでいくにほかならない。

あれから20年以上過ぎ、あらためて、あの日のすべてに感謝……

 

    ここらで見かけない新顔さん

 

 

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