Mちゃん

「あの、凍えつくような冬の朝」

私が小5の時、6年生を送る卒業式で言った「呼びかけ」のセリフ。

何故かふと思い出しました。

「呼びかけ」の内容は、卒業生と共に過ごした日々を振り返り、感謝を伝え、新たな門出を祝福する……みたいな感じだったと思います。

私の前のセリフはシロウ君の「あの、焼けつくような、夏の午後」

それを受けて、「あの、凍えつくような冬の朝」と私のセリフに続く。

声の通らない私は、死ぬ気で声を張り上げないといけないし、凍えつくだの、冬だの、なんて発音しにくいんだ、と不満に思ったものです。

 

クラスの優等生、Mちゃんは「卒業生の皆さん、中学生になってもしっかり頑張ってください」と華のある役どころ。

これは群を抜いて上手でしたね。

しっかりは本当にしっかりだったし、頑張ってくださいは、自然に語尾があがり、天に届くような力強さ。

Mちゃんはいつも真剣で、積極的で、何をやっても自分自身を超えるというのか、殻を打ち破るようなところがありました。

私とMちゃんとは気が合い、当時一番の友達でした。

放課後は互いの家を行き来して、たわいのない時間を一緒に笑い転げて過ごしていた。

小5のときだったか、交換日記を始めました。

Mちゃんがおうちの人に買ってもらった、鍵付きのとてもかわいい日記、ワクワクして始めたのに、わずか2往復くらいで、やめてしまいました。

原因は私、前回の自分の書いた内容がどうにも恥ずかしく、続ける意欲をなくしてしまったのです。

いつまでたっても私から回ってこないので、Mちゃんは「またあの日記、続けたいなあと思って…」と本当に控えめに気持ちを伝えてくれたのですが、私は返事をにごし、日記がMちゃんに渡ることはありませんでした。

本棚の隅で、ほこりをかぶりながら、ひっそりと存在を主張する日記は、その後ずっと私の心の小さな負担でした。

今でもちょっと胸が痛い。

 

Mちゃんとは同じ中学校に進んだのですが、同じクラスになることはなかった。

一緒にブラスバンド部にはいったもの、私は途中からさぼってばっかり。

お互いに新しい友達と過ごす時間が増え、だんだんと距離ができました。

高校も同じだったけれど、科が違っていたので、いよいよ接点がなくなっていきました。

 

それでも高1のある日、Mちゃんは自分の教室の窓からひょいと顔を出し、外を歩く私に誕生日プレゼントを渡してくれました。

サンリオの、パティー&ジミーの赤いソーイングセット。

久しぶりにちょっと話した(と思う)

でも私からMちゃんに誕生日プレゼントを返した記憶はないのです。

最後に会ったのは、30歳の時の中学同窓会。

一次会が終わって帰ろうとするMちゃんが声をかけてくれたのですが、二次会に行くつもりの私は「またね~」と軽く返してそれっきりになってしまった。

 

今思うと、疎遠になってからも、Mちゃんはいつも、友達として、私に変わらず心を開いてくれていたのです。

それなのに、私から何となく遠ざかってしまった。

今は少し、その理由の一端が想像できます。

仲が良いながら、私はMちゃんに、劣等感も持ち、わずかにひがんでもいた。

努力と勇気で殻を打ち破っていくMちゃんに対し、そうではない自分の、鬱屈したものが反応していたのではないかと。

 

同窓会の夜一緒に帰っていれば、また仲良くなれていたのかなあ、なんて思います。

後の祭りですが……

30代、40代のMちゃんと話したかった、お互いの日々を語りたかった。

今も話したい。

でも今となっては、どこに住んでいるのかも知らない、結婚後の苗字もわからない。

それでもある日、帰省中にばったり…なんてことがあるかも…?と、ちょっとだけ、夢に見ているのです。

 

今日は思いがけず、「呼びかけ」の記憶からMちゃんの話になりました。

 

雪平なべ

我が家の鍋たち。

気づけば、ほとんど雪平なべになっていました。

他にもう一つ、結婚する時母が買ってくれた、保温調理の鍋があるので、計5つの鍋でことは済んでいます。

 

ここ20数年、ホーロー鍋やら、なんとかコーティングしたなべやら、他の鍋も使ってみましたが(引き出物で頂いたりして…)私にとっては、雪平なべが一番使いやすかったですね。

タフで、軽くて、洗いやすくて、どんな料理にも応用がきく働き者たち。

朝晩使う、サイズの小さい二つは2代目です。

用途が限定された鍋は(パスタ茹で用とか、蒸し物用とか、煮込み用とか)その用途には優れているのでしょうが、色形も様々な多くの鍋を持つことになり、収納も大変。

うちでは、シンク下の一つの扉をあければ、全ての鍋が、仲良く出番を待っている。

この4つの鍋たちで大抵のものは作れます(私の貧しいレパートリーでの話ですよん(;´∀`))

たっぷりのおでん、煮物、味噌汁、リンゴのコンポート、果物のジャム、ポトフ、野菜の茹でもの、プリン、蒸しパン、茶わん蒸し、リゾット、麺類を茹でる、などなど……

蓋も大は小を兼ねる精神で、3サイズくらいは同じ蓋でいけます。

 

料理番組を視ていると、プロの料理人たちも雪平なべをよく使っておられ、「ほう…」と思います。

はやり、昔からの日本のお鍋、長く使われているには理由があるのでしょうね。

機能美にも魅かれます。

 

風流

所要があり、夕刻の3時間ほど京都に立ち寄りました。

ゆっくり観光するほどの時間はなかったのですが、せっかくなので東山界隈をふらっと歩いてみました。

既に閉門している知恩院を左手にみながら、円山公園へ。

人影もほとんどなく、迎えてくれたのは夜の使者。

 くろねこさん

 

円山公園から細い通路を下ると、いつのまにかそこは八坂神社の境内でした。

ひたひたと闇夜が迫る中、おびただしい提灯の灯りがあたりを照らしています。

突如、異世界にワープしたかのよう。

まるでジブリの千と千尋の世界ではないですか……

そう、千尋一家が引っ越しの途中で迷い込む、うすほのかな提灯に浮かび上がる街。

 

 八坂神社 舞殿

境内のいたるところに灯る提灯が、本殿に、朱塗りの鳥居に、小さなお社にいざなう。

柔らかく幻想的でありながら、その奥に底知れぬものを秘めている感じ。

こちらの心も、底知れなさに揺らぎ、「わあ、きれい…」だけではすまないのです。

普段はオフにしている心の奥の灯りさえ、ひそかにともされようとする。

京都という場所は、日常の中にこのような仕掛けが巧みに組み込まれているのでしょうね。

 

昨日、玄侑宗久さんの「日本人の心のかたち」という講話を視聴しました。

その中で、「風流」とは、「心のゆらぎ」だと述べられているのが新鮮でした。

禅において「風流」はとりわけ大事なことであり、病気、災害、歯痛、死、予測不能な出来事に心がゆらぐこと、それは風流でめでたいことなのだと。

想定外の出来事にゆらぎながら、必死で対応する中で新しい自分に出会う、「ゆらぎ」こそ新しい心の発生現場だということです。

なるほど……

 

生きていると予測不能なことばかりです。

個人的な些細なことから、コロナ禍のような世界的な出来事まで、心がゆらぐことばかり。

これも風流なことなのか……

そもそもゆらいでいる世界で生きているのだから、自分も一緒にゆらぐのが自然なのでしょう。

ゆらぎはしなやかさ、強さではないかと思います。

 

観光客が消えた八坂神社の門前町にも、提灯がずらりと並び、ちょっと感動する風流さ。

それは祈りにもみえ、京都の底力を感じました。

新しきもの

新年を迎え、さいふを新調しました。

今年初のお買い物となった新しい財布は、フレッシュな気を放っていて、気分が上がります!

10年以上使った今までの財布、少し前に、この財布も役目を終えたなあ、と感じた瞬間がありましたので、納得のいく買い替えでした。

 

時を同じくしてフライパンや鍋のいくつかも、買い替えました。

取っ手の金属がとれたり、ねじを締めても閉めてもゆるむようになっていたので、これも納得して買い替え。

物を大事に使うほうですが、やはりどんなものにも寿命があります。

新しい行平鍋はピカピカと光って、やはりフレッシュな気を放っています。

 

新しいものっていいなあと思うんです。

まさに今を生きる作り手さんたちの、新鮮な思いやエネルギーまでもが、その品に宿っているような気がする。

伊勢神宮も20年に一度、式年遷宮といって、社殿やその他のものを、すべて新しくしますよね。

新しい木材を山からきりだし、それはそれは多くの方がこの一大イベントに関わり、力を注ぐ。

以前はまだきれいなのにもったいない…と思っていたのですが、今はその様々な意味が理解できるというか、先人の知恵なのだなあと思います。

 

新しいと言えば、うちの娘も新成人となりました。

今年は成人式の開催についても様々な意見がありましたが、名古屋は簡素化しつつも執り行われました。

私は良かったなあと思っています。

なんといっても新成人の放つ輝きはすごい。

毎年、振袖をまとって街をいく新成人と出会うと、その輝きの余波、恩恵を受ける気がする。

 

さて娘のお支度は、簡素に私の振袖一式ですませることにしました。(本人着飾ることにまるで興味がなく、それでいいと……)

でもすべて私のお下がりでは、何か寂しいなという気もした。

ということで前日に思い立ってデパートに走り、娘自身のバッグと髪飾りを新調しました。

時を経た振袖や帯は、新しいものが足されて、息を吹き返したようでした。