この仕事をしていると、「溜まらない?」とか「ネガティブな影響を受けない?」とか「悪いものをもらってしまわないの?」とまで、いろんな言葉で聞かれることがあります。
時にはクライエントさん自身から、「こんな暗い話ばかり延々と聞いてもらって大丈夫ですか?」と逆に気遣われてしまうことも。
そのたびに、「えっ?」となります。
というのは、あまりそういうことを意識したことがないのです。
お話を聴くことは私にとって自然なことで、むしろ自分の人生にさえ力を与えてもらっていると思う。
確かに「こんないいことがあって聞いてほしくて…」とカウンセリングに来られる方は稀です。
多くは、一般にネガティブとされることが語られます。
とても困難な現実や、過去の過酷な体験、悲しみや怒りの感情が語られ、独特の時空間を共に過ごします。
ただそれがどのようなものであっても、私にとっては、初めてふれるもので、純粋に興味を持ちます。
その方が発するものにフォーカスし、その背景にあるものに思いを馳せ、その世界をわかろうとします。
いい話とか悪い話とか、ポジティブとかネガティブとか分けようとしない。
その人のあり方を評価しようともしない。
ただ純粋に興味を持って聴く……
それを続けることができると、抑え込まれていたエネルギーは徐々に開放され昇天していく(イメージですが)
とてもピュアなその方本来のエネルギーが発散される。
空気が本当に変わります。
こちらも感覚が軽くなり、いい気に包まれる。
カウンセラーも一緒に連れて行ってもらえるのです。
いい場にいさせてもらったなあと思う。
毎回のようにそれが起こるわけではありません。
ただじっと耐える時期もある。
それでも、ぶれることなく、向き合い続ける。
もしこちらが、語られることに抵抗をもったらどうなるでしょう。
表面的には理解した風を装っていても、内面で拒絶していたら……
その話の持つエネルギーは拒絶され、行き場を失ってしまいます。
受け止めてもらえなかった、わかってもらえなかったという感覚と共に、さらに大きなものを閉じ込めてしまうことになりかねません。
お互いにダメージの残る結果となってしまう。
どのような話も、純粋に興味を持って聴く。
それができているかは、繊細にいつも顧みなくてはなりません。
まだ旅の途上にあるカウンセラーはそんな風に思っています。
路傍の猫 ある人曰く、この目はこちらに心を許していないそうな……