死について思うこと

「映画」ドライブ・マイ・カーをみてきました。

「死」「喪失」「再生」といったことが、深い層で描かれていて見ごたえがありました。

いたるところに伏線がはられ、メタファーがちりばめられている。

その答え合わせはみる人それぞれにゆだねられているし、そもそも解釈を求めていない作品でした。

心のひだにふれ、揺れることこそを投げかけられたような気がします。

 

この映画の原作者 村上春樹さんの多くの作品に、「死」がでてきます。

それも事故や自死、病など不条理な死が多い。

 

今「死」について私的に思うこと……

すべての「生」が唯一無二のものであると同じで、「死」もまた唯一無二のものであるということ。

どのような死も尊い。

どのような死も、精いっぱいの姿なのだなと思うのです。

圧倒的に精いっぱいの姿、自分には経験しようもない、その人にしか成しえない過程のただなかにいる、その姿は恐れ多い。

いい死だとか残念な死に方だとか、生半可な評価をよせつけないもの、それが「死」だと思うのです。

 

そしてもう一つ、「死」は特別なものではないということ。

「生」の続きに必ずあるもの。

生物として生まれてきたものの宿命であり、自然な姿。

だとしたら、誰かの死に臨むとき、できるだけ普段通りでありたいなあと思います。

普段の生活でも大変そうな時期にある人に「何かできることがあったら言ってね」と普通に声をかけることがありますよね。

その心持ちで「死」の前後のことに駆けつけ、心を通わせ、手伝えたらいいなあと思うのです。

最後は「バイバイ、また会おうね」と手を振って……

ただこれは、最近身近にあったある一つの死に関して、私が感じたことに過ぎないです。

同じ私であっても、また別の死には、違う心の動きがあるのでしょう。

ある人の受け止め方は、別のある人を傷つけることすらある。

 

結局はひとりひとりが、遭遇した「死」というものに向き合い、自分の中に何かを見出していくしかないのだと思います。

それは、これからも生きていくものにとって、無駄なことではないと信じたい。

 

    鳩の幼鳥 映画館にむかう途中の名古屋駅前   

 少し離れて親鳥が見守っていました

 

 

 

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