ブロンズ像を落として壊してしまいました。
日頃気にもせず、ただ置いておいただけのものでしたが、壊れてみると惜しい。
急に貴重なものに思えてきた。
直してみようかな……
家にあった接着剤を総動員してみたら、二つほど金属の接着もOKというのがあった。
休みの日の昼下がり、ひたすら修復を試みたのでした。
結果は……残念。
折れた断面に接着剤を塗って手で固定、を何度も試みたのですが、細くていびつな形状でもあり、とても難しかった。
動くまいぞと気合をいれ、ヒシと固定している手も微妙にプルプルしてしまう。
接着剤と材質の相性もよくなさそう。
針金をみつけて巻いてみたが、こちらもうまくいかない(いや、それは見た目が…(‘Д’)…)
あーあ、骨折り損のくたびれ儲けとはこのことか……
しばらく空しい気持ちはあったものの、一方で心の整理がつき始めたことに気づきました。
悪戦苦闘の様子を見ていた家族は、「修理のお店を探してみたら?」と言ってきましたが、私の気持ちは「もうこのままでもいいかも……」に落ち着いてきたのです。
右手を大きく掲げていた天使のブロンズ像。
その腕が折れて、傷ついた天使になってしまいました。
これはこれでいいではないですか……
この姿で放っている光がある、伝えてくるものがある……
今までよりも、ぐっと近い存在に思えてきたのでした。
ひととおりやってみたからこそ到った感覚。
無駄な時間ではなかった。
骨折り損ではなかった。
「合理的」とか「効率」やらと対極にあるひとときがもたらしてくれるものの深さ……
この一件以来「効率」の観念から少し解き放たれたような気がします。
おとといは少し遠くの駅から、ゆっくり歩いて仕事先に向かいました。
2分咲きの桜を頭上に仰ぎながら。