最期を平穏に

先週末の新聞に、「平穏死」という見慣れない言葉が出ていて、その記事を興味深く読みました。

老人ホームの常勤医の方によるエッセイでしたが、私の父も介護施設でお世話になっているので、身近な問題です。

最近ちょうど私が感じていたことと重なって、共感するものがありました。

(本文より)

『人生の最終章で、医療は不要になるときが来る、人は苦しまずに穏やかになくなっていくようにできている。この「平穏死」こそ、老衰で迎える最後の姿なのではないでしょうか』 

老人ホームの常勤医として、多くの終末期の患者さんやそのご家族と接してこられた経験からの言葉に説得力があります。

 

花が枯れていくように、人も本来、だんだん食べられなくなり動けなくなり、最期を迎えるのは自然な姿かと思います。

その過程にあらがうように、一日に必要とされているカロリーを必死に摂取させ、悪いところがみつかれば、負担の大きい検査、手術などの先進医療を受けさせるのが本当に良いのか。

先のある人への医療とは別の、もっと自然な優しいケアがあるはず。

 

父は今、すっかり食欲がなくなり、身体を動かす気力も萎えてきています。

それを見ていると、かくいう私も、何とか食べさせて元気になってもらいたい、もう一度自力で歩いてほしい、こちら側の思いがでてきます。

リハビリに行っても、気力がなくて、やろうとしない父に「もう一回だけやってみようか」と何とかやらせようとします。

ご飯をあまり食べようとしないので、「もう一口、もう一口」と無理に食べさせたり、ペースト状の食事が口に合わないのではと、せめてご飯だけでもお粥にしてもらえないかと職員さんにお願いしてみたり。

 

何とか食べさせよう、何とかリハビリを頑張らせよう、こちらの思いと要求は父にとってとても負担になったようです。

時折いらだちを見せるようになりました。

 

もしかして無理を押し付けているのかもしれないな・・ふと思いました。

 

からだの自然な流れを感じ取り、受け入れていくことも、ある時期からは大切なのではないか、今はそう思っています。

 

  庭のバラをつみました。秋咲に備えて一度剪定。

 

 

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