みてくださいよ、この雄姿!!
なんてかっこいいんだ……
前回のブログで、オリーブの木の幼虫のことを書きました。
今日ふと見ると、羽化したばかり(多分)のスズメガの成虫を発見。
連日の灼熱の中、よくぞご無事にこの日まで……
すごいなー。
(以上、前回ブログの後日談でした)
さて、話は変わり今日の本題、先日1時間のインタビューを受ける機会に恵まれた。
いちカウンセラーとしてインタビュアーの質問に答えたのたが、思いのほかいい体験となった。
そのインタビュアーさんはプロでもなければ、経験を積んできた方でもない。
けれども、その真っすぐな瞳、ピュアな感性は、こちらの自由な語りを引き出すに十分だった。
優れた聴き手により、語り手の世界を立ち上げてもらえた。
個人的な話を聴くという行為は、予定調和とは対極にあるものだと思う。
その時間がどのようなものになるかは、未知のもの。
話し手が、何にもとらわれず、思う存分表現できること。
その「語り」を通して、生きた具体的イメージが、話し手と聴き手の間にいきいきと立ち上がり、共有する。
話し手は、聴き手の表情や質問などから「伝わっている」と実感し、さらに話は縦横無尽に広がり、深いところに降りていく。
こういう風に話せる機会って、多くの人にとって少ないのではないだろうか。
普段は圧倒的に「話す」より「聴く」ことが多い私であるので、貴重な体験をさせていただいた。
しかも語れた感があった。
「語る」と「話す」は、またニュアンスが違う。
「語る」は、より深い心の層とアクセスしながら、言葉を紡いでいく感じがある。
あちこちに散らばった大切なかけらたちが、まとまりをもって整理される。
今まで表現したことのない自分とも出会う。
語りの後には、未来へと続く自分がいる。
カウンセリングもこのようなものでありたい。
「インタビュー」と「カウンセリング」は手法も目的ももちろん違うが、根底には通ずるものがある。
それは、人が人に語るということの肝なのかも知れない。