郷里のバスに乗る

岡山に帰省してきた。

実家は交通の便が悪いので、いつもは駅からタクシーに乗るが、今回はのんびりバスに乗ってみた。

実家方面のバスは一日に3本出ている。

少し早めにバス乗り場に行き、誰か地元の人に会うかなーと思いながらベンチに座っていたら、向こうからT君のお母さんが歩いてこられた。

 

T君は私より一つ年上で、妹のJちゃんは確か三つ下だったかな。

「こんにちは、○○のナオミです」と挨拶する。

○○は屋号、私のように何十年も前に地元を出たものは、名前よりも屋号を名乗った方が早い。

「まあ、ナオミちゃん、何十年ぶりじゃなあ…」(半年前にもバスで乗り合わせたけど…笑)

ふたりで嬉々と話していると、そこにT君母と顔なじみらしい別のお婆さま登場、三人でバスを待った。

このお婆さま、T君のお母さんが連呼する「ナオミちゃん」に反応。

「うちの長男か、次男かの同級生に、ナオミちゃんって子がおったが……」とおっしゃる。

聞けば同級生のK君のお母さんだった!

K君とは小学校で机を並べ、運動会では手をつないで入場した仲ですよ。

記憶の中のK君のお母さんは、優しい方だった。

習字教室などで会うと、「女の子はええなあ」とか、「その服、よう似合うとるよ」とか、声をかけてくださったのを覚えている。

 

お二人とも今は80代になられたが、母のかつてのママ友。

少し早く逝ってしまった母の話も出る。

10年以上前、父と母が連れ立って、よくこのバスに乗っていた様子など、昨日のことのように話してくださる。

 

ほのぼのとした時間だった。

T君のお母さんとは降りるバス停も一緒。

車の行きかう信号のない道路を、手をつないで一緒に渡る。

別れ際、「うちの主人の五十回忌を来年するんで」とおっしゃる。

T君のお父さんは、子供たちがまだ小学生の時に、仕事中の事故で亡くなられたのだった。

 

この土地にお嫁に来て、それぞれの日々を重ねながら、しっかりと根を下ろした、かつての母のママ友たち。

彼女たちのからからとした笑いには、周りを照らす力があった。

 

        新幹線ホームから 福山城

 

 

根拠のない健康法

本来の季節らしさが戻ってきました。

身体もやっと一息ついているような気がします。

今年はコロナに加えて、インフルエンザもすでにはやっているということですね。

乗り切るには普段から免疫力をつけるのが一番、とは思っているのですが、さてどうしたらよいか……

 

唯一心がけているのは、たまたま手元に集まった食べ物を、好き嫌いせずにいっぱい食べること。

 

親戚から届く季節の野菜や果物、釣りが趣味の方からいただいた大量の魚、知人が送ってくれた地方の名産品、友人の旅行みやげなどなど。

甘いもの、辛いもの、生もの、加工品、いろいろあって体にいいのかどうかもよくわからない。

ただ、縁あってやってきたものは、今の私に絶対いいと信じている。

苦手なものも、食べやすい料理に工夫して食べる。

青くてそのままでは食べにくいパパイヤは、きんぴらやチャンプルーにしてみる。

毎日魚が続いても気にしない。

沖縄のシークワサーをたくさん頂いたら、毎日果汁を絞っていろんな料理にジャブジャブかける。

それぞれに思いのこもった品々、ありがたいことです。

 

かつて瀬戸内寂聴さんがインタビューでおっしゃっていた。

全国のファンの方から送られてくる食べ物を、何でもどんどん食べるので「先生、大丈夫ですか?」とスタッフに心配されると。

もしかしたら、縁あってやってきた食べ物への信頼感だったのかなー、なんて勝手に自分に重ねて推察しているのです。

 

万事にいい加減な私の、根拠のない健康法……

というよりは、自己暗示みたいなものかなー (*’▽’)

 

 

バドミントン

私の唯一の運動、バドミントンに行ってきました。

幼稚園時代のママ友の中から、自然発生的に始まった活動が、かれこれ15年続いている。

子供たちがそれぞれの小学校に上がり、ママ友とも顔を合わす機会がなくなって一年くらいの頃、「公園でバトミントンでもしない?」と一通のメールがきた。

 

旧いラケットを片手に出かけると、10人ほどの懐かしい顔が集まっていた。

芝生広場で、シャトルを風にあおられながら、二人一組で「いーち、にーい、さーん…」と打ち合う。

おしゃべりとバドミントン半々の、たまに会ってついでに運動もしましょ!みたいな会だった。

それはそれで楽しかったけど、なにしろ屋外なので、暑いわ、風は吹くわ、ネットは張れないわなど、やりにくさはあった。

そのうち、より快適な環境を求めて、公共の体育館を借りるようになった。

 

すると、もともとスポーツが得意で、運動神経抜群の人たち中心なので、みんなぐんぐん上達した(私を除いては…)

その日のメンバーが揃うと、じゃんけんで自分の番号を決め、みんなと次々にペアになって試合をする。

いいプレーには惜しみない称賛、珍プレーに笑い転げる。

底辺をウロチョロしている私でさえ、なにかと褒めてもらえる。

レシーブに失敗しても、「おっ よく反応したねー」

たまたまスマッシュがいい所に落ちたら「すごーい よく見てたねー」ってことになる。

この年になると全力で褒められることもないから、ホクホクするではないですか (*´▽`*)

 

このサークルが長続きしているのは、雰囲気がゆるくて余計なストレスがないからだと思っている。

人が集まるとそれなりに必要になってくるルールがほぼないのに、うまく回っている。

役割も決めていなくて、その日一番早く着いた人が、受付をする。

気づいた人が次回のコート予約をして、ラインで共有する。

参加する日は、前日にライングループにひとこと「参加します」と連絡すればいい。

試合の連続で、ゼイゼイする日もあれば、休憩たっぷりでおしゃべりばかりの日もある。

家のこと子供のこと、仕事のこといっぱい話す人もいれば、ほぼ聞くだけの人もいる。

それぞれだけど、みんなそれでOKな感じ。

 

この15年の間に、メンバーも少しずつ変わった。

転勤などで抜けていく人もいた。

人数が減れば、誰かがご近所つながりや、職場つながりなどで、新しいメンバーを連れてきた。

夏の間だけみたいな季節参加の人もいる。

 

こんな感じなので、この先お婆さんになっても、足腰がたつあいだは参加できるかも。

こういう懐の深さをもった集まり、希少だなあと思っているのです。

ありがたい……

   彼岸花がにょきり 1週間前は影も形もなかったのに!

 

「君たちはどう生きるか」をみた

映画「君たちはどう生きるか」をみてきました。

なんの先入観も持たず出かけたのですが、想像を超えてました。

人が生きていくうえで、ファンタジーの果たす役割にとても共感しました。

 

主人公の少年は、突然に、しかもやりきれない形で、最愛の母を失う。

現実の弔いの儀式は済んだとしても、心は置きざりにされたまま。

やがて母のルーツである旧い家に引っ越したときから、めくるめく展開が起こるのです。

少年は異世界につながることによって、母との真の別れと新たなつながり、心の再生をとげていく。

自然、場の力、過去の営み、先祖の気配、というような異世界の者たちが少年の冒険を導く。

少年が傷ついた心を癒し、再生のプロセスをやり抜くには、目に見える世界だけでなく、あらゆる境界を超えていかなければならないのだと思う。

ファンタジーは、ただファンタジーではなく、現実を超えてくる。

 

ストーリーを理解しようとすると、難しくわかりにくい作品です。

頭の回転がゆっくりで、しかもさっきのこともたちまち忘れる私など、とてもついていけない。

それはそれで良いと思えた映画です。

わからないことも含めてこの作品のメッセージではないかと。

今いるこの世界も簡単にわかるものでない、自分の手に負えるようなものではないことと重なる。

 

宮崎駿監督が今、社会にこの作品を放ったことを受けとめたいと思う。

善と悪、敵と味方、生者と死者、人と生物、過去と現在、そういう分け方をしない壁のない世界。

あらゆるものを包含する混沌の中からこそ、人はきっと生きる力を生み出すことができる。

 

無限に何やかんやちりばめられている作品です。

宝探しをするように、またこの作品をみたい。

 

そうそう、映像もメチャきれいです!

 

 

故郷のイチジク

生まれ故郷、岡山のイチジクです。

毎年お盆明けくらいから、本格的な収穫が始まる。

今年はお盆明けの週末に帰省したので、ちょうど出始めの立派なイチジクにお目にかかれた。

30年前くらい前は、4か所の広い畑に何十本ものイチジクの木があった。

8月半ばから10月初めまでの収穫時期は、祖父母と母を中心に、親戚の人手も借りて、出荷作業にに大忙し。

私も気が向けば手伝ったが、猛暑の作業はなかなか大変だった。

 

「冷蔵庫にイチジクを冷やしてあげとるよ」

その当時、学校から帰った私に母がきまって声をかけるので、付き合いで一個食べる。

兄にいたっては見向きもしない。

家にふんだんにありすぎると全然ありがたみがないんですよね。

 

ここ愛知県もイチジクの産地。

20数年前、愛知に引っ越しして初めての秋、県内産のイチジクをスーパーで買ってみた。

一口食べて、言葉が出ないほどの驚愕……

味、風味、食感、すべてがまるで違う。

故郷のイチジクの株が、私の中で爆あがりした瞬間だった。

岡山の産地で作られていたのは、主に「蓬莱柿」という品種。

地元で「トウガキ」と呼ばれるこの品種こそが、私にとってイチジクなのだと悟った。

 

今となっては実家の三本の古木を、兄がかろうじて面倒をみている。

シーズンにクール便で送ってくれるイチジクを、家族も心待ちにしている。

かつて見向きもしなかったイチジク、こんなに貴重に思う日がこようとは……

どうか今年も送ってくださいまし…=^・^=(スリスリ)

 

王様の耳は

時々エンドレステープのように脳内で再生される曲、ありませんか?

今日ふいに再生されたのは「王様の耳はロバの耳」

♪おーさまのみみはー ロバァーのみみ だかーらなんにもきこえないー きこえやしーなーいー♪

子供のころ、テレビでたまたま見たミュージカルの曲だと思うのですが、肝心のお話の内容は覚えていない。

今さらですが、ちょっと気になってお話についても調べてみました。

以下あらすじです。

ロバのような長い耳をした王様がいた。それをみんなに知られるのが嫌でいつも帽子をかむっていたが、床屋にはその秘密がばれてしまう。なので散髪してもらうたびに床屋を殺していた。ある床屋があまりに命乞いをするので、秘密を守ることを固く約束させて帰した。床屋はその秘密を話したくてたまらないのに話すことができず、病気になってしまう。占い師は「その病気は言いたいことを我慢しているのが原因であるから、誰にも聞かれない町はずれの柳の木に向かって言いたいことを言いなさい」と教えてくれる。早速床屋は、柳の木に「王様の耳はロバの耳」と気のすむまで繰り返すと病気はたちまち治ってしまった。ところがそれから後、風が吹いて木がゆれるたび、「王様の耳はロバの耳」と枝が鳴り始めたので、国中の人が王様の秘密を知ってしまった。王様はとうとう観念して帽子を脱いだところ、人々はありのままの王様を「ロバの耳の王様」と親しみを覚え、かえって敬愛するようになった。

こんなに深い話だったとは……

「秘密」についてあれこれ示唆を与えてくれる。

言いたいことを言えないというのは、時に人が病んでしまうほど重荷になるのだいうことがわかる。

占い師の助言をきっかけに、床屋は人知れず王様の秘密を吐き出すことができた。

床屋の身の安全が保たれつつも、自然の力の働きで新しい展開が生まれる。

風が吹いて木がゆれるたび「王様の耳はロバの耳」と枝が鳴るのだから、王様はたまらない。

王様が観念して秘密を手放したとき(本当の姿をみせたとき)民との関係もいっそうよくなる。

 

ギリシャ神話に由来するというこのお話を味わいながら、カウンセリングの現場を想起していました。

心理職はさしずめ、この話に登場する占い師や柳の木なのかも知れない(風が吹いても枝は鳴らしませんが)

人の営みに自然の働きが加わって、うまく事が運んでいくところも共感できる。

 

さて、秘密の共有を強いることは、世間にも多々あるのではないでしょうか。

友人に「ここだけの話にしてね」とか、子どもに「このことは外で話してはいけないよ」とか。

たいていの話は、命がかかるほどのことではないので、たやすく口止めをする。

でも口止めされた方に、どんな影響があるかなんて実際のところわからない。

時に、深刻な影響を与えうることを知っておかなければならないと思う。

 

       シマトネリコにアブラゼミ

こういうこともある

施設にいる父の面会のため、岡山に帰省しました。

ところが……

施設に向かうため実家を出ようとしたその時に電話が鳴った。

兄が電話にでると、施設の職員さんからだった。

たった今、施設内でコロナ感染が発覚し、今からの面会を中止せざるを得ないとのこと…

「妹さん、名古屋から帰っていらっしゃるのに、申し訳ない」と恐縮される職員さん。

「いいえ、○○苑さんのせいではないですから。大変でしょうがよろしくお願いします」と兄が応じている。

 

コロナ禍以降、面会不可が続いていたのですが、やっと今春から月に一度、予約制で15分の面会が許されていた。

二ヶ月ぶりに父の顔をみられると信じて帰ってきたけれど、突然の面会キャンセル。

こういうこともある……残念だけど。

 

「せっかく帰ってきてくれたのに悪かったな…」と言う兄。

そんなことはない、こういうこともあるというだけの話。

すべてが計画どおりにすすむわけではない、人知を超えてやってくるものには抗えない。

帰省が無駄になったとも思わない。

受け身で生きているタイプの私は、流れには身を任せることにしている。

それはあきらめとか、自分をなだめるとかいうことではなく、自然の流れのなかにこそ大切なものが含まれている気がするから。

 

一つ心残りがあるとすれば、父が待っていたかも知れないということ。

意思の疎通が難しく、いつも目も閉じたままの父であるが、先月は兄の呼びかけに「ハイ」と返事をして目を開けたという。

私もこれまでの面会で、ほぼ反応のない父に一方的にしゃべりまくってきた。

家族の近況、父の兄弟のこと、地元であったこと、父の好きな海の話など、思いついたことをいっぱい話す。

すると時々反応して表情が動くのです。

わかっていないようで、父は待っているのかもしれない… そう思うとちょっと切なかった。

 

帰省の主目的は失ったが、いいこともあった。

時間が空いたので、数年間会っていなかった叔母を訪問、お互い元気な姿をみれた。

急に連絡したにもかかわらず地元の友人にも会え、四年ぶりの近況を語り合った。

 

なんだかんだいって満ち足りた気持ちで、帰りの新幹線に乗った私です。

岡山始発の「ひかり」はガラガラで、のんびりゆったり名古屋に帰ってきました。

 

      岡山のソウルスイーツ 大手饅頭

 

映画「怪物」をみて

映画「怪物」を観てきました。

なんというかすごい作品でした。

 

物語は重層的に複雑にからみあいながら、刻々と進んでいく。

万華鏡のようにザクザクと光と影が入れかわる。

息子の異変に気づくシングルマザー、子供たち、担任教師、校長先生、それぞれの視点で物語られる。

一つの事実はいくつもの物語を生む。

自分を救うために、大切な人を救うために、生きていくために、人は自分の物語をつくる。

それは自分を救いもし、また事実をそのままみることを邪魔する。

 

人は多かれ少なかれ、事情をかかえて生きているのだと思う。

この映画の登場人物たちも、それぞれの事情をかかえている。

現在と過去、外の顔と内の顔、封印した物語、そんな大人の事情に子供たちは翻弄される。

子供たちも事情をかかえている。

 

キャストそれぞれの存在感が素晴らしかったです。

メインキャストはもちろん、名もない役の子にいたるまで、みんな存在が光っている。

なかでも中村獅童さんの凄みといったら……

にじみ出る光と影、不遜な態度の中に漂う悲しさ。

 

人は心におさまりきれないものにふれたとき、自分とは関係のない特殊なことだと思いたいのかも知れない。

自分の外に「怪物」探しをする。

事件に関する、TVや新聞等の報道をみていていつも思う。

報道もまた、わかりやすい物語に誘っていないだろうか。

事件を起こす背景にはこのようなことがあった、このような生い立ちがあった、こういう原因があった……

そう簡単なことではないと思う。

 

「怪物」とは一体何だったのか。

それは自分の外ばかり探しているうちは、きっとみつからない。

内なる「怪物」にも翻弄されながら、付き合っていこう。

 

作品のラストシーンがすごくいいです。

 

好きな本「黒部の山賊」

理屈抜きに、ただ好きな本があります。

ときどき本棚から取り出して、一気にその世界に没入する本。

この本は私にとってまさにそういう本です。

      「定本 黒部の山賊 アルプスの怪」

著者の伊藤正一さんは終戦直後に、何年間も番人が入らず、荒れ果てていた三俣蓮華小屋の権利を買いとる。

そこは黒部源流の人をよせつけない厳しい自然と、戦後の混乱のなか不可解な事件が勃発する未開の地。

実態がわからず恐れられていた「山賊」が闊歩する地。

 

そんな原始の場所で山小屋を始めようとした若き日の著者は、その地に底知れぬ魅力を感じ、愛着心を深めていく。

多くの人にこの最奥の自然にふれて欲しい、大衆登山の道を拓きたい……

その壮大な夢は、山を知る「山賊」たちの協力抜きには成しえなかった。

著者を通して語られる山賊たちの素顔、たたずまい。

「山賊」という、私にとってはイメージの中の存在が、ひとりひとり実像を持った愛すべき人間として近づいてくる。

巻末には「山賊たちのプロフィール」として写真と実名、その生涯が紹介されているのもいい。

著者と山賊との出会いに始まり、彼らとの奇妙な生活、山のバケモノの話、山の不思議な出来事、すべては実話からなる。

よくぞこのような世界を書き残してくださったと思う。

 

山賊とは結局何者だったのだろう。

著者はあとがきで、次のように綴っている。

「山賊とは、つまりやがてほろびていくかもしれない猟師という職業にたずさわる人々の、最後の姿だったといえよう。近代アルピニズムや、産業開発の入ってくる以前の山々には、彼らのような無名の開発者がいたことを忘れてはなるまい。」

 

さて今回読み返していて、自分の原体験を思いだした。

子供のころ、父の友人には猟師さんが数名いた(本業ではなく趣味だったのだと思うが)

彼らは猟の帰り、猟の興奮冷めやらぬ猟犬を伴い、獲物のお裾分けで我が家に寄られることがあった。

そして家の離れで、猟師さんと父は、山鳥やウサギのすき焼きを囲み酒盛りを始める。

幼い私は、家族の中で一人離れに入り浸り、山鳥やウサギの肉を喜んで食べたらしい(5歳にも満たない頃のことで、自分ではよく覚えていない)

もはや山賊の娘ローニャではないですか(笑)

カラス

今月になって、生ゴミをカラスに食い散らかされること、はや2回。(名古屋市は家庭ゴミを各戸収集してもらえるので、「燃えるゴミ」の日に家の前に出す)

まあー、カラスは派手にやってくれるのです。

前の道路にまで、広範囲に我が家のごみが散乱、近所中に今週のごみを披露してしまうことに……

留守中にご近所の方が、掃除してくださったこともありました(申し訳なくもありがたいことでした)

うちばかりでなく、他のお宅もかなり被害に遭っていて、会えば「カラス被害と対策」の話になります。

早朝に出さない、ネットを掛ける、中身が見えないよう新聞で覆うなどなど。

 

でもカラスの方が上なんですよね。

うちもネットをかけていますが、ある日二階からみていると、カラスはネットをくちばしでいとも簡単にめくって、ゴミをつつきだした。

二階から「コラッ」と大声をあげるしかない、まぬけな私。

またある日は、別のお宅が被害にあって、奥様が慌てて散らばったゴミをかき集めていらしたのですが、その様子を犯人のカラスが屋根の上から見下ろしては、ダンスをしてるかのようにチョンチョンと跳ねまわっている。

自分のいたずらの結果を、高みで見物して楽しんでいるとしか思えなかった。

 

そんなカラスから、慰められたこともあります。

いつかの仕事帰り、その日は仕事上の出来事で、少々へこんでトボトボと足を運んでいた。

ふと顔をあげると、植え込みの石崖の上にいたカラスと目があった。

「あ、カラス」と思った瞬間、カラスは私の足元に舞い降り、つかず離れずしばらくチョンチョンと隣を歩いてくれた。

やがて横断歩道で立ち止まると、カラスは私とは別の方向に飛び去って行った。

「大丈夫かあ?」とついてきた(多分…)カラスの機転、その刹那の交流があの時の私にはありがたかった。

 

ドライブ中、車の後席で本を読んでいたときにふと目をあげると、すぐそばのガードレール上のカラスがこちらを見ていてハッとしたこともある。

たまたま読んでいた章が、まさにカラスにまつわる共時性について書かれていたものだったので。

 

子供のころはカラスは不吉、というイメージがありました。

カラスの色々な姿にふれるうち、今ではその人間っぽい魅力や、不思議さに目がいくようになっています。

 

       今日もカラスに会った