馬乗り観音

広島県福山市の馬乗り観音にお参りした。

馬乗り観音は標高500メートルの山上にあり、大人になってから参るのは初めて。

子供のころ、歩いて4~5キロの山道を登ったものだったが、今回は兄と軽トラで頂上まで登る。

「ポツンと一軒家」に出てくるような、細い坂道は車一台がやっと通れる道幅。

ちょっとスリリングな道中だったが、車ごと崖から転げ落ちることもなく無事到着。

お堂に近づくとガラス戸が開き、「さあさあ中にどうぞ」と堂守さまがにこやかにお迎えくださった。

すべてが気持ち良く整えられた観音堂で、ゆったりとお茶を頂く。

 

母方の実家に近いこの観音様には、思い出が多い。

子供のころの夏休み、いとこや祖母たちと遠足気分で、往復一日がかりの山道をお参りしたものだった。

山道には鬼百合やアザミが咲いていて、目を楽しませてくれた。

昔はお参りの人も多く、ご祈祷の順番を待つほどだった。

待ち時間には、遠路はるばるのお参りの人をねぎらってか、おそうめんが供される。

子供にはお接待といって、薄い茶色の袋(筋入り茶袋というらしい)に溢れんばかりのお菓子をくださる。

順番が来ると家族ごと、グループごとにご祈祷をして頂く。

子どもの頼りない背中にもジャンジャンと、巨大な数珠の容赦ない衝撃。

いとこの一人の笑いはみんなに伝染し、子供一同必死に笑いをこらえる苦行(後で大人に叱られたくないので)

 

兄と私は、そんな思い出話を、代わるがわる堂守さまと奥様(だと思う)に聞いていただく。

頃合いをみてお布施を納めると「よろしければご祈祷しましょうか」と堂守さま。

40数年ぶりに懐かしいご祈祷をしていただいた。

 

終わると、お札にお守り、お接待、小冊子など二人にそれぞれくださる。

こんなによろしいんでしょうか…と恐縮しながらもありがたくいただく。

観音様のおかげか身も軽くなり、満ち足りた気分でお堂を後にした。

      昔ながらの茶袋のお接待が懐かしい…

馬乗り観音は千年の歴史があり、伝説がある。

長者の家に旅のものとして現れたお花という少女、品がよく働き者で、その純粋な生き方に皆は心を打たれる。

数年の歳月がたち、ある日お花は白馬に乗って山上のこの地に駆けてきて桜の木に馬をつなぐと、合掌の姿勢となるや、その姿は次第に神々しき観音様の姿となりかき消えたという。

お花は観音様の化身だった。

頂いた冊子は、令和元年の屋根修復・ご開帳法会記念にちなんで発行されたもので、その伝説についても詳しく記されている。

 

家に帰ってから、冊子を読んでいた兄が「えっ」と声をあげる。

「馬乗り観音と福泉寺」という章に、母の実家のことが記されているのをみつけたのだ。

下市の金政屋に池田泰四郎という人がいて…というくだり。

この人は晩年堂守となり、鐘楼の新設や境内の整備など画期的な事業を行った、と記されている。

下市の金政屋とはまさに母の実家。

明治初期のことで、今となっては確かめるすべもないが、この観音様と母の実家はとても縁があることがわかった。

 

今回、なぜか思い立って何十年かぶりにお参りしたのも、何かに導かれたのかもしれない。

こんなふうに過去とつながることもあるのだな…と温かい気持ちになった。

 

今度お参りしたら、堂守さまに早速この話を聞いていただこう。

 

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