カッパ淵の思い出

ゴールデンウイークも終わりましたね。

こどもの日に柏餅をほおばりながら新聞を広げたら、遠野の「カッパ淵」の写真が目にはいりました。

 

もう35年も前、遠野物語に魅かれて訪れたときの思い出がよみがえった。

そのときはまだ20代、他に人影もないカッパ淵で、ひとり休んでいた。

しばらくすると、どこからともなく一人のおじいさんが現れた。

「どこからきた?」

おじいさんに聞かれるまま、岡山から来たこと、家ではイチジクなど作っていることなど話した。

「ほう、それはめずらしい、この辺ではイチジクはとれないよ。気候が合わないもんな」

 

そんな話をしていると、今度は地元の農家のおじさんが大きな馬を曳いてやってきた。

バシャバシャと豪快に水しぶきを上げ、水浴びを始めた馬。

間近で見る馬の迫力に圧倒される。

水を勢いよくかけてもらって全身で喜ぶ馬、おじさんもニコニコと相好を崩し、馬が愛しくて仕方ないという感じ。

そばにいるこちらまで心躍るようだった。

 

遠野物語の58話は次のような話。

「馬曳きの子が姥子淵へ馬を冷やしに行くと、河童が馬を川に引き込もうとして、逆に馬に引きずられて厩の前に来てみつけられる。村人たちは河童に、今後は村の馬にいたずらをしないことを約束させて殺さずに放した。その河童は今は相沢の滝に住んでいる」

まさに目の前の光景は遠野物語をほうふつとさせた。

しかもここでは、それが何気ない普段のひとコマであるらしい。

この地の精神性を肌で感じるようなひと時だった。

 

遠野物語の魅力の一つは、それが事実に基づいていることの力強さだと思う。

例えば55話には「此家も如法の豪家にて○○○○○という氏族なり。村会議員をしたることもあり」とある。

人名こそ伏字にしているが、どこの家の話であるかまで記されている。

この現実性と、不可思議な話もそのまま受けいれる懐の深さに生きる知恵を感じる。

全てを白日の下にさらすのでなく、時に不都合な事実をオブラードに包み、異界とこの世、動物と人など境界を超えて混じり合うことをも受け入れ、共同体の物語に昇華させている。

 

さて先のお爺さんの話に戻ると、この方は阿部与市さんという由緒ある家の方で、カッパ淵の主のような方らしい(後で知った…)

何でも子供の時にカッパをみたという。

カッパ淵にしばしば出没して、旅人相手に話をされていたようで、私もまんまと恩恵にあずかったというわけですね。

カッパに出会えたかのような、ほんわかとした思い出となっている。

 

いつかまた会えたらいいなあ。

次はあの世でだろうけれど……

 

        赤いガーベラ 咲いた!

 

 

 

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