境界があいまい

新しい年を迎えました。

年明け早々の突然の大きな災害に言葉を失うようです。

ここ名古屋も震度4と、あまり経験することのない揺れでした。

物理的なエネルギーの伝播とともに、こころや魂といった精神的なものの伝播を想っています。

縁者か否かとか、物理的距離とか、そんなものを超えるものがあることを信じたい。

全ての現象はつながっているとすれば、まず自分にできることは、目の前にあることを精いっぱいやっていくことだと思う。

 

東日本大震災のときに、こう打ち明けてくれた人がいた。

「被災者には日本中の人が心を寄せ、助けが入る。それなのにこんなに苦しい私のことは、誰も気にかけてはくれない。こんなこと思っちゃいけないけれど、余計に孤独を感じる」

被災地のことを思うと同様に、近くのことを忘れてはいけない。

 

境界を超えて、みんなが何となくつながっている社会は、強くやさしいのではないかと思う。

 

私自身は、全てにおいて境界があいまいな世界を生きている感じがする。

例えば私はよく夢をみる。

夢での暗示、予知、人と同時に同じ夢をみる、なんてことがあり現実世界と重なってくる。

夢もまぎれなく自分の一部だと思うから、それも取り入れて生きるのが私にとっては自然に思える。

 

仕事とプライベートを分けて考えることもしていない。

生活のなかのどのシーンでも、私は私でしかない

生者と死者の区別も気持ちの上ではあいまい。

亡くなった人たちとも心の中ではしばしば一緒にいて、姿を見、声を聞いている。

人と自然というふうな分け方もあまりない。

動物や植物にも普通に話しかける。

物事をきっちり分けないで、遊びを残している。

そんなふうにやっていると、何かインスピレーションみたいなものが冴えて助けられる感じがある。

自分の内の流れと外の流れが呼応し、無理なく生かせてもらえる気がする。

 

「ちょっとこの人、何を言ってるのだろう……」

なんて言われそうですが、まあこれが私なのでしょうがないです。

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

        今年のカレンダーは藤城清治さん

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