一年半ぶりくらいに映画館に足を運びました。
『名も無い日』
ニューヨークで写真家として活躍していた主人公のもとに届いた弟の訃報。
家族で一番優秀だった、そして誰よりもやさしかった弟。
安易な解釈や評価を一切拒否する、深い映画でした。
全体が「わからない」に満ちている。
遺された親族、それぞれの心に「わからない」がめぐる。
「わからない」が、こちらにも問いかけています。
心の中心を射るように……
切ない場面がいくつもありました。
弟が一人暮らす実家に久しぶりに帰った主人公は、ゴミだらけになった家を片づける。
黒ずんたスリッパを買い替え、汚れたタオルを変え、住み着いた猫用のお皿やキャットフード、ゴミとしかみえないおびただしいガラクタを棄てる。
しかし、弟は収集前のゴミ袋から、それらを拾い上げ、元のところに戻している。
彼にとっては、ゴミに囲まれたその空間こそが、自分を守る唯一の安全場所で、ガラクタの一つ一つは、生きていくためのよりどころでもあったのだと思います。
私もこの主人公と同じようなことをしてきました。
心のバランスをくずし、掃除をしなくなった母に変わって、帰省の度に自分勝手に実家を片づけた。
物を勝手に捨て、新しいタオル、スリッパに変えた。
半分は自分を納得させるために、やっていたのだと思います。
両親は「ありがとう」と言ってくれましたが、手放しで喜んでいるわけではないことは、感じていました。
家族であっても、わからない。
弟からニューヨークの兄に届いた手紙、限界の状況であっただろうに、本音や苦しさが気づかいのオブラードに包まれている。
兄の逃げ場を作っているのが、とても切ない。
自分の心すら 簡単にはわからない。
ましてや家族の内面を理解するなんてことは、到底難しい。
それでも尚、わかろうとしているだろうか。
家族ゆえに目を背けていることはないだろうか……
目を背けるわけにはいかない映画です。
日比遊一監督自身の身に起こった体験をもとにつくられたということです。