施設にいる父の面会のため、岡山に帰省しました。
ところが……
施設に向かうため実家を出ようとしたその時に電話が鳴った。
兄が電話にでると、施設の職員さんからだった。
たった今、施設内でコロナ感染が発覚し、今からの面会を中止せざるを得ないとのこと…
「妹さん、名古屋から帰っていらっしゃるのに、申し訳ない」と恐縮される職員さん。
「いいえ、○○苑さんのせいではないですから。大変でしょうがよろしくお願いします」と兄が応じている。
コロナ禍以降、面会不可が続いていたのですが、やっと今春から月に一度、予約制で15分の面会が許されていた。
二ヶ月ぶりに父の顔をみられると信じて帰ってきたけれど、突然の面会キャンセル。
こういうこともある……残念だけど。
「せっかく帰ってきてくれたのに悪かったな…」と言う兄。
そんなことはない、こういうこともあるというだけの話。
すべてが計画どおりにすすむわけではない、人知を超えてやってくるものには抗えない。
帰省が無駄になったとも思わない。
受け身で生きているタイプの私は、流れには身を任せることにしている。
それはあきらめとか、自分をなだめるとかいうことではなく、自然の流れのなかにこそ大切なものが含まれている気がするから。
一つ心残りがあるとすれば、父が待っていたかも知れないということ。
意思の疎通が難しく、いつも目も閉じたままの父であるが、先月は兄の呼びかけに「ハイ」と返事をして目を開けたという。
私もこれまでの面会で、ほぼ反応のない父に一方的にしゃべりまくってきた。
家族の近況、父の兄弟のこと、地元であったこと、父の好きな海の話など、思いついたことをいっぱい話す。
すると時々反応して表情が動くのです。
わかっていないようで、父は待っているのかもしれない… そう思うとちょっと切なかった。
帰省の主目的は失ったが、いいこともあった。
時間が空いたので、数年間会っていなかった叔母を訪問、お互い元気な姿をみれた。
急に連絡したにもかかわらず地元の友人にも会え、四年ぶりの近況を語り合った。
なんだかんだいって満ち足りた気持ちで、帰りの新幹線に乗った私です。
岡山始発の「ひかり」はガラガラで、のんびりゆったり名古屋に帰ってきました。