本を読んでいたら「因果性の暴力」という言葉に出会いました。
自分の因果的思考によって、結果的に誰かを攻撃してしまう、という意味合いのようです。
分かりやすい例でいうと、「子供に起きている問題は母親の育て方が悪かった」的な思考です。
問題に対して、何かわかりやすい原因をテンプレート的に当てはめてしまう。
これこれの原因で、こうなってしまった。
専門家の中にも、しばしばみられるように思います。
こういう「因果性の暴力」とでも呼びたいこと、日常的にいたるところで起きている。
自分のものさしによる無自覚な暴力と言い換えてもいいかもしれません。
子供のおむつがなかなかとれなくて悩んでいるママに、先輩ママが、
「それは絶対母親の怠慢だよ、うちは二人とも2歳になってすぐとれた、こういう風にやらないからだよ」と言い放つ。
(実際に子育て中、この類のことは何度も目にしました)
自分がうまくいったからって、それが万人に当てはまるかっていうとそんな単純ではない。
ひとり一人子供は違うし、環境も違うし、早くおむつが取れたことがそんなに素晴らしいことかどうかもわからない。
親切にアドバイスしているようにみえて、無自覚に人を傷つけていることがある。
もしかしてアドバイスする本人が一番元気になっているのではないかと思ってしまいます。
人って、やっぱり自分のやってきたことを肯定したいし、認めてもらいたい傾向がある…
何かこういう因果的思考で、人にアドバイスしたくなったときは、自分の心の動きにも繊細でいたい。
そのうえでアドバイスするなら、十分配慮が必要だし、自分のその考えが絶対ではないということを自覚していたいです。
20代の頃、電車の中で違和感を覚えた光景が記憶に残っています。
夕方の通勤帰りの人で混む車内、きりっとした中年の女性が、二十歳くらいの女の子に近づきました。
「私は青少年の健全な育成に関わる仕事をしているものですけどね、あなたの服装は目に余るので、注意させて頂きます。今日はあなたのような、注意を要する方を3人みかけました」
軽い知的障害のあるらしい女の子は、「ありがとうございます」と頭をさげました。
私の目には女の子は、「目に余る方」にはみえなかった。
自分のものさしを振り回し、明らかに気分がよくなっている、中年の女性の方が目に余ったかも…
自分のものさしが無自覚に人への暴力になっていないか、気づく感性を持っていたいです。