曾祖母

兄と会話中、あるきっかけで、幼児時代の私の話になりました。

その頃の私を物語るエピソードの一つに、「キーッとなって鉛筆や割りばしをぎりぎり噛む」というのがあります。

はい、覚えていますよ。

自分を押し通せない時、内に吹き荒れるものを持て余して、そばにある鉛筆などをくわえてぎりぎりと噛みしめる。

私の記憶では、そのような癇癪な姿を周りが面白がるので、5歳くらいになると半分は期待に応えてやっていたのではないかと思っていました。

ところが兄の見方は違い、「あれは、ホンマににしんどそうだったで。すさまじいエネルギーを出して、消耗しとったわ」と言うのです。

3歳年上の兄の目にうつっていた幼児の私が、リアリティを持って迫ってくるような感じがしました。

なかなか大変な子供だったのだ……

 

久しぶりに、母が綴ってくれた赤ちゃんの日記を開いてみました。

私の誕生から小学校入学までの日々のことを、仔細に書き残してくれていて、読むたびに発見があります。

あらためて1歳~5歳までの記述を読んでみました。

頑固、わがまま、執念深い、強く自分を押し通そうとする、過敏、神経質、集中力がある、数々のエピソードと共にそれらのキーワードが繰り返し出てきます。

どうかこれらの性質が緩和され、優しく素直に成長して欲しいと、母は祈るように綴っています。

そして、この性質はひいおばあちゃん(曾祖母)が甘やかしすぎるからだろうか…と悩む記述もたくさんありました。

曾祖母が私を甘やかしていたとは、意外でした。

私には甘やかされたという感じはなくて、淡々とそばにいてくれた印象なのです。

 

曾祖母は、その当時80を過ぎた隠居の身で、私はほぼ彼女の子守で育ちました。

私が小学校にあがる春、亡くなっています。

曾祖母に関しては、2~3の断片的な日常の一コマと、お葬式で最後のお別れをした場面の記憶があるくらいでした。

あとは、母や叔母からの後々の話で、記憶にとどめている感じです。

今回改めて日記から感じ取れたのは、曾祖母が私に与えてくれたものの大きさでした。

10人くらいの大家族の中、やんちゃな兄にいつもちょっかいを出され、大人たちにはかわいがられもしたが、その強情な性質ゆえに叱られることも多かったらしい私。

曾祖母だけは、そんな私をそのまま受け入れ、無条件にそばにいてくれたのではないか。

それは何とありがたいことだったでしょう。

 

3年ほど前の夏、実家に掛かっている日本刺繍の額(祖母の手によるもの)をスマホで撮影しました。

その画像をみて、ギョッとしました。

だって、その写真に亡き曾祖母が写りこんでいるではないですか!!

そういえばこの部屋は、かつて曾祖母の部屋だった… ひえー……( ゚Д゚)

 

10秒後に気づきました。

なーんだ、これ私じゃん!

スマホで撮影する私の顔が、額のガラスに写っていたというわけ。

びっくりしたなあ、もう (;´∀`)

でも似ていたんですよ、今まで気づかなかったけれど。

顔の輪郭、目のくぼみ具合、とっさに「ひいおばあちゃんだ!」としか思えなかった。

思っていた以上に私と曾祖母の縁は深いのだと思います。

曾祖母が没後50年にして、それを知らせてくれたのかも知れません。

 

    4~5歳頃の絵 家と木と人が描かれている。

まるでHTPテストだ。

 

名も無い日

一年半ぶりくらいに映画館に足を運びました。

『名も無い日』

ニューヨークで写真家として活躍していた主人公のもとに届いた弟の訃報。

家族で一番優秀だった、そして誰よりもやさしかった弟。

安易な解釈や評価を一切拒否する、深い映画でした。

 

全体が「わからない」に満ちている。

遺された親族、それぞれの心に「わからない」がめぐる。

「わからない」が、こちらにも問いかけています。

心の中心を射るように……

 

切ない場面がいくつもありました。

弟が一人暮らす実家に久しぶりに帰った主人公は、ゴミだらけになった家を片づける。

黒ずんたスリッパを買い替え、汚れたタオルを変え、住み着いた猫用のお皿やキャットフード、ゴミとしかみえないおびただしいガラクタを棄てる。

しかし、弟は収集前のゴミ袋から、それらを拾い上げ、元のところに戻している。

彼にとっては、ゴミに囲まれたその空間こそが、自分を守る唯一の安全場所で、ガラクタの一つ一つは、生きていくためのよりどころでもあったのだと思います。

 

私もこの主人公と同じようなことをしてきました。

心のバランスをくずし、掃除をしなくなった母に変わって、帰省の度に自分勝手に実家を片づけた。

物を勝手に捨て、新しいタオル、スリッパに変えた。

半分は自分を納得させるために、やっていたのだと思います。

両親は「ありがとう」と言ってくれましたが、手放しで喜んでいるわけではないことは、感じていました。

 

家族であっても、わからない。

弟からニューヨークの兄に届いた手紙、限界の状況であっただろうに、本音や苦しさが気づかいのオブラードに包まれている。

兄の逃げ場を作っているのが、とても切ない。

 

自分の心すら 簡単にはわからない。

ましてや家族の内面を理解するなんてことは、到底難しい。

それでも尚、わかろうとしているだろうか。

家族ゆえに目を背けていることはないだろうか……

 

目を背けるわけにはいかない映画です。

日比遊一監督自身の身に起こった体験をもとにつくられたということです。

 

     名古屋駅前を見下ろすカフェで