母の裁縫

昨日は亡き母の誕生日でした。

でも本当の誕生日は一日遅れの今日なのです。

何故か生まれた日の一日前の日を、出生日として役所に届けたらしく…

なので、今日も何となく母のことに思いを馳せています。

 

母のコンプレックスの一つは、裁縫が苦手なことでした。

「私はぶきっちょだから…」が口癖でした。

母方の祖母は器用な人で、まだ手編みのニットなど珍しかった母の子供時代に、本を頼りに独学で学び、手編みのセーターなど着せてくれたそうです。

母の姉と妹も器用、洋裁ができてセンスも良い。

そんな母親や姉妹の中で、自分だけが手先が不器用でセンスもない、とよく嘆いていました。

そして嫁いだ家もまた、お姑さんも義理の妹たちも、和裁洋裁ともに大の得意。

その当時のお嫁さんは、裁縫ができるというのは大切なことだったようですね。

実際、母の友人は、嫁いですぐお姑さんから反物を渡され「これを浴衣に仕立てなさい」との洗礼を受けたとのこと。

そんな話もあってか、母は結婚前「私は裁縫が苦手です」と伝えておいたのだそうです。

その免罪符のおかげか、結婚後母が裁縫をしなくてもとがめられることもなく、祖母や叔母たちが当たり前のように変わってやってくれたのですね。

縫物の得意な女たちのいる家に嫁いだのは、母にとってかえって幸運だったといえます。

日常のこまごまとした縫物は祖母がやりましたし、母や私の洋服は、洋裁学校を出た叔母たちがよく縫ってくれました。

母が針を手にするのは、とれたボタンをつけることくらいだったかもしれません。

私が高校生くらいになると、娘もあてにするようになり、「いつでもいいから裾上げやっておいて」などと、父の作業着や、その他つくろい物を私の部屋においていくようになりました。

 

そんな母ですが、二度ほど、私の洋服を作ってくれたことがあります。

一度目は私が保育園の頃で、かぎ針編みのカーディガン。

全体は朱色で、裾周りにクリーム色の花のモチーフがぐるりと編み込まれていました。

これは母にとって成功体験だったようで、後々、「あのカーディガンは自分でもよく編んだと思うわ」と回想していました。

二度目は、中学生の頃縫ってくれた、ギャザースカート。

紺地に白い格子模様と赤いサクランボが散った綿プリント。

どこかのワゴンセールか何かでたまたま目につき、めずらしく縫ってみようと思ったのでしょうね。

意外と手早く、普段着のギャザースカートが出来上がりました。

布幅いっぱいを使ったギャザー、そのギャザーは均一でなく、少々いびつで、丈もぞろりと長め。

全体にもっさりとしたものでしたが、「お母さんも一応縫えるじゃん」とちょっと意外に思った記憶があります。

そのもっさりスカート、ちゃんと着ましたよ。

 

ある年の冬、和服を仕立てていた祖母を、母が手伝ったことがありました。

祖母の手ほどきで、ここからここまで縫うといった単純作業でしたが、意外ときれいに縫ったみたいです。

「まあ、お母さんは、縫物が何にもできないと言ってお嫁に来たけれど、そんなことない、きれいに縫うわ」

祖母の嬉しそうな声が今も耳に残ります。

母のコンプレックスが救われるような気がして、私までちょっと嬉しかった……

 

 名古屋港 夜のライトアップ 

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