Oさん

実家に電話したら、お祭りの日でした。

「いいなあ」と思わず口にすると、「いや、祭りといっても、コロナがあるから、お宮での神事だけなんよ」と兄。

 

コロナがなくとも、近年は縮小傾向のお祭りです。

    担ぎ手不足のため台車に乗ったお舟様(2018年)

 

昔のお祭りは活気にあふれていました。

朝からドンドンと太鼓の音が鳴り響き、お昼ごろから、お舟様一行の大行列が現れる。

神主さんを先頭に、お舟様は、太鼓隊、子供の鉄砲隊、のぼり隊などを従えて村を練り歩く。

赤鬼、青鬼、だんご(獅子)は神出鬼没に現れる。

赤鬼が酔いつぶれて、青鬼だけなんてこともありましたね。

みんなで飲み過ぎて、行列の時間が大幅に遅れたり、民家の庭に乱入したり、なかなか自由なお祭りでした。

 

何十年か前のある年のお祭りの日、行列の中のOさんの姿にみんなが目を見張りました。

Oさんはその頃、60歳くらいではなかったかと思うのですが、普段から酒浸りで、今でいうアルコール依存症であったと思います。

いつも千鳥足で、目はどよんとしていて、人のいるところに近寄ってはくだを巻いていました。

そのOさんが、りゅうとした背広姿で榊を持ち、しっかりとした足取りで行列の先頭あたりを歩いてくるではありませんか。

「Oさん、今日はどしたん…えらいイメチェンして…」隣にいた叔母のびっくり顔を今も覚えています。

その日のOさんは、本当にかっこよかった。

私まで誇らしいような気持ちになりました。

 

Oさんはお酒のせいで、時々周りに迷惑をかけることがありました。

子供たちの書道教室に入ってきてくだをまき、若いお母さんたちの眉をひそめさせるというようなことが。

そんな時、Oさんの控えめな奥さんが、さらに身を小さくして連れ戻しに来られました。

子供の目にも切ない光景でした。

 

Oさんは、小学生の私と道で会うと、「お~、ノリ君の娘か」といつも声をかけてきました。

「もうちょっと、あっさりした服を着るとええよ」と言われたきは、ほんとうに自分でもそう思った。

 

Oさんとの忘れられない思い出があります。

学校帰りに村のよろづやの前を通った私を、お店で飲んだくれていたOさんが目ざとく見つけ、中に招き入れました。

「好きなお菓子を買うてやる」

小1の幼い私は、この状況にどうしていいかわからず、じっとしていたと思います。

するとOさんは店で一番高そうなお菓子、イチゴのショートケーキ(おそらくヤマザキの)を手にして、私に持たせました。

どうしていいかわからないまま、イチゴのショートケーキを手に店を出ました。

多分、ありがとうも言えなかった。

ケーキを持った私は、寄り道して、自分ちの畑に行った。

そして、畑のこんもりと土が盛ってあるところに、ケーキを棄てたのです。

白いクリームがぐしゃっとつぶれて、黒い土にまみれたのを、しばらく眺めていました。

なんともいえない気持ちで眺めていました。

 

なぜ、あのようなことをしたのかよくわかりません。

「Oさんにもらった!」と喜んで家に持ち帰ってもよかったのに、小1の私はそうしなかった。

Oさんの気持ちを無にしてしまったこの出来事を思うと、今でも悲しいです。

 

Oさんはもともととても頭の良い人であったのに、戦争から帰ってからお酒におぼれ、あんな風になってしまったのだと聞いたことがあります。

村の人の多くは、Oさんのことを悪く言わず、受け入れていたように思います。

 

お祭りがきっかけで、今日はOさんのことをつらつらと思いだしています。

いつか私もあちらの世界に行ったら、大人同士の話ができるでしょうか。

いや、やっぱり子供のまま「ノリ君の娘」で会った方がいいのかな……

 

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