芽が出た!

11月に蒔いた、スイートピーの芽が出ました。

蒔いて何週間たっても、芽が出ないなー

きっと蒔く時期が遅すぎたのね・・とあきらめていました。

 

年は明けて、雪が何度も降って、極寒に震えるある日、ぴょこりと芽が出ているではないですか!

ひとつ、ふたつ、みっつ・・・全部で五つの芽。

うれしいっ!!

 

自分で蒔いた種が、芽を出した時のこの喜びはなんなんでしょうね。

理屈ではない、命の根源に結びついているような喜び。

 

古事記にこんな話がでてきます。

長旅の途中のスサノオが、オホゲツヒメという女神に出会い、何か食べさせてほしいと頼みます。

ヒメは美味しいものを次々とふるまってくれますが、不審に思ったスサノオは、調理の様子をそっとのぞいてみます。

するとヒメは、口や鼻や肛門などから、食べ物を出していたのでした。

怒ったスサノオはヒメを殺してしまいます。

するとその亡骸から、蚕と五穀の種がこぼれ落ちます。

粟、小豆、大豆、稲、麦。

スサノオはこれらの種を持って、人々に実りをもたらす神として地上に降りるのです。

日本の農耕の起源のエピソードですね。

 

種から芽が出る。

それは実りへとつながり、おいしいごちそうとなる。

人の生存欲求に直結していますよね。

 

だから芽を見つけたとき、こんなにも心がヨロコンでいるのね・・・

妙に納得するワタシです。

 

2018年2月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

北風と太陽

寒いです・・・

連日ほんとに寒い。

「うー さむっ」何度もつぶやくひとり言。

 

コートの襟をかき合わせ、冷たい風から身をまもりながら思い出すのは、幼い頃に絵本で読んだ「北風と太陽」のお話。

確かイソップ童話でしたね。

 

北風と太陽が自分の方が強い、とお互いに譲りません。

それではあの旅人の上着を脱がせることができたほうが勝ちだ、という話になり勝負します。

 

まず北風。

ビュービューと力任せの強風で、旅人の上着を吹き飛ばそうとしますが、旅人は「おお寒い」とばかりに、いよいよ上着をしっかり押さえます。

次に太陽。

あたたかな光をさんさんと旅人に降り注ぎ続けた結果、まもなく旅人は「こりゃ暑い」と自分で上着を脱ぎます。

 

教訓めいたお話ではあるけれど、私はなかなか好きなお話です。

もし北風が上着を吹き飛ばすことができたとしても、旅人は「なんでこんな目に合うんだ」と納得しないでしょう。

でも太陽の暖かさによって、上着を脱いだ旅人は、自分の意志だから納得しています。

「上着を脱がせる」と「自分で上着を脱ぐ」は結果は同じでも、まったく本人の気持ちが違います。

 

「自分で上着を脱ぐ」ということは、相手に心を開くことを象徴しているようにも思えます。

 

テクニックではなく、自分も心を開いていてこそ、本物の太陽になれるのでしょうね。

そしてここぞという瞬間には、北風にもならなければ。

北風要素の少ない私はそう思います。

 


帰り道、いつも出迎えてくれる野良猫

2018年2月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

カズオ・イシグロさんを読む

カズオ・イシグロさんの小説を初めて読みました。

わたしを離さないで Never Let Me Go

カズオ・イシグロ

 

 

 

 

 

 

「介護人」キャシーの語りで物語は進んでいきます。

最初、「介護人」という職業から、病院か福祉施設のお話かと思いました。

ところが、読み進むにつれ、その衝撃的で奇怪な世界が現れてきます。

登場する施設の子供たちが、自分たちの特殊な状況の理解にさまようと同様、私もさまよいながら読み進みます。

そして徐々に物語の真実が明らかになってきます。

 

背景がどうあれ、その中でより輝きを増す子供たちに魅了されました。

 

人が小説を読むのはなぜか・・。

私が思うのは、人は小説を読んで登場人物の気持ちを感じている時、同時に自分自身が大切な体験をしているのではないかということです。

そうそう、私が感じていたのはこういうこと、私が言いたかったのはこれなんだ。

その瞬間、とても心が広がっている、癒されている、力が湧いている。

 

タイミングよく、NHKの番組「白熱教室」にカズオ・イシグロさんが登場され、その言葉を聞くことができました(要約しています)

なぜ、小説を書くのか。

それは心情を伝えたいから。

知的意見を伝えたいわけでも、何かについて議論したいわけでもない。

自分たちの体験に対して、人間としての感情を分かち合うことは非常に重要なことなんだと思う。

人間は社会で経済活動をするだけでは不十分、心情を分かち合うことが必要なのだ。

心を分かち合う・・それは人間の本能のようなものなのだ。

私は小説でこのことを最も大切にしている。

この世界を生きていく人間として心を分かち合うことを・・・

 

心に落ちる言葉です。

 

同じくイシグロさんの作品、「日の名残り」も読みたくなっています。

今日買ってこようかな・・・雪が降る前に。

 

 

2018年1月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room

初夢を話す

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

今年の初夢、お正月に実家でみた夢。

巳年の私にふさわしく蛇の夢でした。

 

わりに平たい入れ物に、オレンジ色の蛇と地味な蛇、2匹が入っています。

この平たい入れ物では、蛇がすぐ逃げてしまう・・

そう思った私は、なんとかしなければと思います。

ところが蛇たち、ちょっと目を離したすきに、近くにあった水槽に自ら入ったのです。

う~ん、水がいっぱい入っていて、この水槽も蛇の住む環境ではないかも・・

そう思った瞬間、私は蛇たちを、また別のすり鉢のような入れ物に移し替えたのです。

その入れ物には、茶色に混濁した湯のような液体が入っていました。

しまった・・・

そう思ったときにはすでに遅く、2匹の蛇は熱でぐったり。

もう助からないかも、と焦っているところで、目が覚めました。

 

とても示唆的で、印象的な夢だった、と思いました。

蛇たちが、自由に選び取った環境を、私は自分の思い込みで壊し、自分がもっと良くしてやろうとします。

ところが、私がよかれと思っってやったことは、、蛇たちを死に追いやってしまうのですから。

 

見守りつつも、その人の力を信じてゆだねる。

自分がなんとかしようではなく。

私ができる具体的な何かよりも、もっと大切なことがあると改めて気づかされた夢でした。

 

自分のみた夢、私は身内にも友達にもよく話します。

昨日、仕事仲間の会でこの夢の話を、私の日常と重ねて話したところ、ある方が「今の自分にとても大切に思える話、聞けてよかった」と言ってくださいました。

 

マレーシアの先住民族のある部族は、夢を家族や部族内で語る文化があるそうです。

ユング派には夢分析という心理療法があります。

心理学者のアーノルドミンデルは、夢と身体症状、夢と現実との間に重大なつながりがあることを、提唱しています。

 

夢・・不思議な不思議な物語・・・

 

 

 

 

2018年1月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : naomi-room