ふらり京都

ふらりと京都日帰り旅をしてきました。

平日の京都、まだ秋の観光シーズンには早く、人の喧騒とは無縁。

鴨川のほとりに住む娘と落ちあい、まずは下賀茂神社をめざします。

川の飛び石を渡れば、近道。

みんなぴょんぴょん川を渡っていきます。

お散歩中の奥様も、犬もぴょんぴょん。

赤ちゃんを抱いたお母さんもぴょんぴょん。子供もぴょんぴょん。

娘も私もぴょんぴょん。

アオサギかな?

澄んだ川面には小魚がいっぱい。

おさかな食べ放題でいいねえ~

 

古代の森、糺の森に歩み入ると、ひんやりとして空気感が明らかに違う。

太古からの気の流れか、樹木のちからか、とても居心地がいい……

鴨長明ゆかりの河合神社で一休み。

これは美人水。

下賀茂神社のかりんと御神水の飲物、とても美味しかったです。

 

糺の森の奥、下賀茂神社へ(写真撮り忘れた…)

森に映える鮮やかな楼門をくぐり、お参り。

干支ごとにお参りできる小さなお社が並んでいる。

私は巳年、巳年とつぶやきながら探すうち、なぜか脳内で子年に変換され、危うく子年のお社にお参りするところでした。

無事巳年のお社に手を合わせ、本殿にお参りしました。

 

午後用事のある娘とここで一度別れ、一人ランチ。

その後、京都御所近くの梨木神社に行ってみました。

ちょうど萩の花の季節で、参道は可憐な萩の花がまっさかり。

 

午後3時半に再び娘と合流。

最後は二条城に行くことにしました。

あまり時間がないねーと言いながら、人気のない裏通りで行き方を調べていると、そこに滑り込むように一台のタクシー。

とっさの判断でタクシーに乗りました。

聞けば、二条城の最終受付は午後4時、バスや徒歩だと完全に間に合わなかったみたいです。よかった~!

二条城はさすがに二条城でしたねー。

二の丸御殿のつくり、細部まで行き届いた装飾の美しさ、目を奪われる虎や豹、松や四季折々の花を描いた障壁画。

あまりに時間をかけてみていたので、時間を心配した職員さんに声をかけられました。

「お庭もみられますか?お庭だけでも30~40分かかりますよ」

少しピッチをあげました。

気付けば、御殿内もだんだんと展示用の照明を落とし、ところどころ戸も閉められ始めている。

「ちょっと暗くて見にくいね」と不平を言う私に、娘が

「逆に、昔住んでいた人が感じていたような雰囲気や生活が感じられる空間になっている。なかなか体験できないよ」

一本とられました。

そして勇壮かつ繊細なお庭をそぞろ歩き、5時の閉門ジャストに二条城を後にしたのでした。

「また来ようね、もっと時間をたっぷりとって…」と話しながら。

 

次の楽しみができました。

母の裁縫

昨日は亡き母の誕生日でした。

でも本当の誕生日は一日遅れの今日なのです。

何故か生まれた日の一日前の日を、出生日として役所に届けたらしく…

なので、今日も何となく母のことに思いを馳せています。

 

母のコンプレックスの一つは、裁縫が苦手なことでした。

「私はぶきっちょだから…」が口癖でした。

母方の祖母は器用な人で、まだ手編みのニットなど珍しかった母の子供時代に、本を頼りに独学で学び、手編みのセーターなど着せてくれたそうです。

母の姉と妹も器用、洋裁ができてセンスも良い。

そんな母親や姉妹の中で、自分だけが手先が不器用でセンスもない、とよく嘆いていました。

そして嫁いだ家もまた、お姑さんも義理の妹たちも、和裁洋裁ともに大の得意。

その当時のお嫁さんは、裁縫ができるというのは大切なことだったようですね。

実際、母の友人は、嫁いですぐお姑さんから反物を渡され「これを浴衣に仕立てなさい」との洗礼を受けたとのこと。

そんな話もあってか、母は結婚前「私は裁縫が苦手です」と伝えておいたのだそうです。

その免罪符のおかげか、結婚後母が裁縫をしなくてもとがめられることもなく、祖母や叔母たちが当たり前のように変わってやってくれたのですね。

縫物の得意な女たちのいる家に嫁いだのは、母にとってかえって幸運だったといえます。

日常のこまごまとした縫物は祖母がやりましたし、母や私の洋服は、洋裁学校を出た叔母たちがよく縫ってくれました。

母が針を手にするのは、とれたボタンをつけることくらいだったかもしれません。

私が高校生くらいになると、娘もあてにするようになり、「いつでもいいから裾上げやっておいて」などと、父の作業着や、その他つくろい物を私の部屋においていくようになりました。

 

そんな母ですが、二度ほど、私の洋服を作ってくれたことがあります。

一度目は私が保育園の頃で、かぎ針編みのカーディガン。

全体は朱色で、裾周りにクリーム色の花のモチーフがぐるりと編み込まれていました。

これは母にとって成功体験だったようで、後々、「あのカーディガンは自分でもよく編んだと思うわ」と回想していました。

二度目は、中学生の頃縫ってくれた、ギャザースカート。

紺地に白い格子模様と赤いサクランボが散った綿プリント。

どこかのワゴンセールか何かでたまたま目につき、めずらしく縫ってみようと思ったのでしょうね。

意外と手早く、普段着のギャザースカートが出来上がりました。

布幅いっぱいを使ったギャザー、そのギャザーは均一でなく、少々いびつで、丈もぞろりと長め。

全体にもっさりとしたものでしたが、「お母さんも一応縫えるじゃん」とちょっと意外に思った記憶があります。

そのもっさりスカート、ちゃんと着ましたよ。

 

ある年の冬、和服を仕立てていた祖母を、母が手伝ったことがありました。

祖母の手ほどきで、ここからここまで縫うといった単純作業でしたが、意外ときれいに縫ったみたいです。

「まあ、お母さんは、縫物が何にもできないと言ってお嫁に来たけれど、そんなことない、きれいに縫うわ」

祖母の嬉しそうな声が今も耳に残ります。

母のコンプレックスが救われるような気がして、私までちょっと嬉しかった……

 

 名古屋港 夜のライトアップ