クリスマスローズ

クリスマスローズがうちにやってきました。

    クリスマスローズ ウインターベル

先月末だったか、クリスマスローズを庭に植えたいなあとふと思ったのです。

なんで急に思ったのか、思いだせないけれど。

そんな折タイムリーな情報、フラワーパークで働く知人がたまたま話してくれた。

「今ね、園でクリスマスローズ特集をしているの、きれいだよ~、種類もいっぱいあってね……」

とクリスマスローズの尽きない魅力を語る。

聞けばとても丈夫で、日本の庭でもとても育てやすいというではないですか。

これはぜひ手にいれたい! と思いつつ何日か過ぎていました。

 

今週のこと、入院中で面会もできない義母に、何か楽しめるものを送ろうという話になりました。

アイパッドでみれる写真、間違い探しパズル、大人の塗り絵、スクラッチアート、手作りのメッセージカードなどなど。

そうだ、気楽にながめられる雑誌もいいかも……と本屋さんをのぞいた。

そこで目についたのが「趣味の園芸2月号」クリスマスローズ特集。

この本なら植物好きな義母がめくってくれそう。(そして送る前にちゃっかり私も読んじゃおう…)

 

「趣味の園芸」をみていたら一気にクリスマスローズ熱が高まり、すぐにでも欲しくなった。

近くのホームセンターに行ったら、ありました、ありました、クリスマスローズ。

3種類しか置いていなかったけれど、こういうのは思い立ったときの縁、ある中の一つを選びました。

早速、手持ちの大きめの鉢に植え、プランタースタンドにセットした。

冬から春にかけて、次々と花(本当はガク)を咲かせてくれることでしょう。

今年は玄関先の鉢植えでお客さま扱い、来年は地植えにしようと思います。

 

そもそもクリスマスローズという植物を知ったのは、もう30年も前。

その頃最寄り駅近くで、わずか3台のスペースで駐車場を営む、花好きなおばあ様が植えていらしたのです。

私もそこを借りていたのですが、駐車場の奥は花壇になっていて、色とりどりのお花が咲いていました。

80代も半ばの方でしたが、それは楽しそうに花壇の手入れをされていて、私も会社の帰りなどに、お花を見せてもらいながら立ち話をしたものです。

ある日「珍しいお花を取り寄せてみたの」と嬉しそうに見せてくださったのがクリスマスローズ。

そのロマンティックな名前と、可憐な姿が記憶に残っていたお花、晴れて私のところにも来てくれた。

点と点が連なって、像を結んだように思えます。

嬉しい。

 

時々聞かれる

この仕事をしていると、「溜まらない?」とか「ネガティブな影響を受けない?」とか「悪いものをもらってしまわないの?」とまで、いろんな言葉で聞かれることがあります。

時にはクライエントさん自身から、「こんな暗い話ばかり延々と聞いてもらって大丈夫ですか?」と逆に気遣われてしまうことも。

そのたびに、「えっ?」となります。

というのは、あまりそういうことを意識したことがないのです。

お話を聴くことは私にとって自然なことで、むしろ自分の人生にさえ力を与えてもらっていると思う。

 

確かに「こんないいことがあって聞いてほしくて…」とカウンセリングに来られる方は稀です。

多くは、一般にネガティブとされることが語られます。

とても困難な現実や、過去の過酷な体験、悲しみや怒りの感情が語られ、独特の時空間を共に過ごします。

 

ただそれがどのようなものであっても、私にとっては、初めてふれるもので、純粋に興味を持ちます。

その方が発するものにフォーカスし、その背景にあるものに思いを馳せ、その世界をわかろうとします。

いい話とか悪い話とか、ポジティブとかネガティブとか分けようとしない。

その人のあり方を評価しようともしない。

 

ただ純粋に興味を持って聴く……

それを続けることができると、抑え込まれていたエネルギーは徐々に開放され昇天していく(イメージですが)

とてもピュアなその方本来のエネルギーが発散される。

空気が本当に変わります。

こちらも感覚が軽くなり、いい気に包まれる。

カウンセラーも一緒に連れて行ってもらえるのです。

いい場にいさせてもらったなあと思う。

毎回のようにそれが起こるわけではありません。

ただじっと耐える時期もある。

それでも、ぶれることなく、向き合い続ける。

 

もしこちらが、語られることに抵抗をもったらどうなるでしょう。

表面的には理解した風を装っていても、内面で拒絶していたら……

その話の持つエネルギーは拒絶され、行き場を失ってしまいます。

受け止めてもらえなかった、わかってもらえなかったという感覚と共に、さらに大きなものを閉じ込めてしまうことになりかねません。

お互いにダメージの残る結果となってしまう。

 

どのような話も、純粋に興味を持って聴く。

それができているかは、繊細にいつも顧みなくてはなりません。

まだ旅の途上にあるカウンセラーはそんな風に思っています。

       路傍の猫  ある人曰く、この目はこちらに心を許していないそうな……

 

 

一人の時間

今年もめでたく誕生日がやってきました。

家族は家を空けており、人生初の一人で迎える誕生日。

それはそれで気ままで良いものです。

燦燦と光がさしこむリビングで、一人ケーキをいただく幸せといったら……

     パステルのイチゴのケーキ

 

年末から、怒涛の如く大波小波がきていましたので、久しぶりにどっかりと腰を下ろした気分。

夜はもちろん、いそいそとワインを開け、一人のささやかなディナー。

おお、満足じゃ…(*’▽’)

 

子どものころから、一人が苦ではありません。

大家族で育ちましたが、離れで一人本を読んだり、庭でアリの巣をあくことなく掘り返したり、一人で遊ぶ子供でした。

大人も忙しくて、程よくほおっておかれたのは、今思うと幸せでしたね。

ひとり想像の世界に遊ぶ時間もふんだんにあった。

内緒の悪いこともした。

小さな嘘もついた。

 

子どもにも守るべきひとりひとりの世界があると思います。

全てに大人の目が届いて、全てが白日の下にさらされたら、たまったものではない。

子どもは大人の知らないところで冒険し、小さな秘密を持ちつつ大きくなるのでしょう。

大人には適当にうまいこと言って、安心させながら。

 

一人の時間、一人の世界は私にとってなくてはならないもの。

庭で一人、アリの行列を眺めていた5歳の私と、今ここにいる私は紛れもなくつながっている。

そのつながっている一本の線のようなもの、それこそが私なのかな……