お墓参り

岡山に帰省してきました。

施設の父との面会が主な目的でしたが、ちょうどお彼岸でもあったので、親戚と実家のお墓参りをしてきました。

 

母方のお墓は実家から車で40~50分かかるので、いつもちょっとしたドライブ気分。

墓参りに関しては身の軽い兄がいつも気持ちよく車を出してくれます。(兄はかつて川遊びに明け暮れたこの田舎に、思い入れがあるので)

途中のスーパーでいつも通りお花とお供えものを買って、これまでに何往復したかわからない道を進み、メイン道路から左に折れて細いくねくね道に入ると間もなく、川沿いに美しい集落が開けてくる。

母はいつもここで「お母さんお父さん来たよー」と言ってたっけ。

向こうの山の、咲き始めの山桜が迎えてくれる。

山桜と言えば、子供の頃母から聞いた話を思い出した。

母の中学時代の先生に「山桜」という風雅なあだ名の人気者の先生がいた。

なぜ山桜かといえば「鼻」よりも「歯」が前に出ていたからだという。

山桜も「花」が咲くより「葉」のほうが先に出るそうで、それにかけたあだ名だったらしい。

当時の中学生の何と容赦ない…… でもほのぼのとした師弟関係も感じる…

そんな話をしながら、お墓に着いた。

お墓掃除を終えて、お花とお供えを手向け、晴れやかな気分で手を合わせた。

 

帰り道の途中、おととし亡くなった従叔父のお墓に参ろうと空き家になっているその家に寄った。

子供の頃、松茸狩りなどで何度か遊びに行かせてもらった親戚。

確か家の前が墓所だったという兄の記憶を信じて行ってみたが、家の前にお墓はない。

子供の頃の記憶はあてにならないものですね。

60年くらい前から変わらずかかっている表札、かつての家族全員の名前が記されたものを懐かしく眺めて、空き家を後にしました。

お墓をさがして家の周辺をウロウロしている二人を、従叔父や大叔父、大叔母がどこかで見ていたかも知れません。

 

そしてその日最後になったけれど、実家のお墓参り。

普段さぼっている掃除をして、お花を供えると見違えるように、お墓も輝いてみえる。

一仕事終えて、新鮮なお花の生気につつまれたお墓を見上げるこの時間がとても好きです。

体まるごと浄化され、パワーが与えられるような気がする。

お墓参りは先祖のみならず、この世で今を生きるもののための、ささやかな営みだといつも感じます。

この上なくゆるくやっていますが……

 

     名古屋の桜 満開(名鉄瀬戸線の車窓から)

 

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