今月になって、生ゴミをカラスに食い散らかされること、はや2回。(名古屋市は家庭ゴミを各戸収集してもらえるので、「燃えるゴミ」の日に家の前に出す)
まあー、カラスは派手にやってくれるのです。
前の道路にまで、広範囲に我が家のごみが散乱、近所中に今週のごみを披露してしまうことに……
留守中にご近所の方が、掃除してくださったこともありました(申し訳なくもありがたいことでした)
うちばかりでなく、他のお宅もかなり被害に遭っていて、会えば「カラス被害と対策」の話になります。
早朝に出さない、ネットを掛ける、中身が見えないよう新聞で覆うなどなど。
でもカラスの方が上なんですよね。
うちもネットをかけていますが、ある日二階からみていると、カラスはネットをくちばしでいとも簡単にめくって、ゴミをつつきだした。
二階から「コラッ」と大声をあげるしかない、まぬけな私。
またある日は、別のお宅が被害にあって、奥様が慌てて散らばったゴミをかき集めていらしたのですが、その様子を犯人のカラスが屋根の上から見下ろしては、ダンスをしてるかのようにチョンチョンと跳ねまわっている。
自分のいたずらの結果を、高みで見物して楽しんでいるとしか思えなかった。
そんなカラスから、慰められたこともあります。
いつかの仕事帰り、その日は仕事上の出来事で、少々へこんでトボトボと足を運んでいた。
ふと顔をあげると、植え込みの石崖の上にいたカラスと目があった。
「あ、カラス」と思った瞬間、カラスは私の足元に舞い降り、つかず離れずしばらくチョンチョンと隣を歩いてくれた。
やがて横断歩道で立ち止まると、カラスは私とは別の方向に飛び去って行った。
「大丈夫かあ?」とついてきた(多分…)カラスの機転、その刹那の交流があの時の私にはありがたかった。
ドライブ中、車の後席で本を読んでいたときにふと目をあげると、すぐそばのガードレール上のカラスがこちらを見ていてハッとしたこともある。
たまたま読んでいた章が、まさにカラスにまつわる共時性について書かれていたものだったので。
子供のころはカラスは不吉、というイメージがありました。
カラスの色々な姿にふれるうち、今ではその人間っぽい魅力や、不思議さに目がいくようになっています。