理屈抜きに、ただ好きな本があります。
ときどき本棚から取り出して、一気にその世界に没入する本。
この本は私にとってまさにそういう本です。
著者の伊藤正一さんは終戦直後に、何年間も番人が入らず、荒れ果てていた三俣蓮華小屋の権利を買いとる。
そこは黒部源流の人をよせつけない厳しい自然と、戦後の混乱のなか不可解な事件が勃発する未開の地。
実態がわからず恐れられていた「山賊」が闊歩する地。
そんな原始の場所で山小屋を始めようとした若き日の著者は、その地に底知れぬ魅力を感じ、愛着心を深めていく。
多くの人にこの最奥の自然にふれて欲しい、大衆登山の道を拓きたい……
その壮大な夢は、山を知る「山賊」たちの協力抜きには成しえなかった。
著者を通して語られる山賊たちの素顔、たたずまい。
「山賊」という、私にとってはイメージの中の存在が、ひとりひとり実像を持った愛すべき人間として近づいてくる。
巻末には「山賊たちのプロフィール」として写真と実名、その生涯が紹介されているのもいい。
著者と山賊との出会いに始まり、彼らとの奇妙な生活、山のバケモノの話、山の不思議な出来事、すべては実話からなる。
よくぞこのような世界を書き残してくださったと思う。
山賊とは結局何者だったのだろう。
著者はあとがきで、次のように綴っている。
「山賊とは、つまりやがてほろびていくかもしれない猟師という職業にたずさわる人々の、最後の姿だったといえよう。近代アルピニズムや、産業開発の入ってくる以前の山々には、彼らのような無名の開発者がいたことを忘れてはなるまい。」
さて今回読み返していて、自分の原体験を思いだした。
子供のころ、父の友人には猟師さんが数名いた(本業ではなく趣味だったのだと思うが)
彼らは猟の帰り、猟の興奮冷めやらぬ猟犬を伴い、獲物のお裾分けで我が家に寄られることがあった。
そして家の離れで、猟師さんと父は、山鳥やウサギのすき焼きを囲み酒盛りを始める。
幼い私は、家族の中で一人離れに入り浸り、山鳥やウサギの肉を喜んで食べたらしい(5歳にも満たない頃のことで、自分ではよく覚えていない)
もはや山賊の娘ローニャではないですか(笑)